Phase-41 "蒼い星へ"

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――現在この場にいるすべてのザフト艦艇に告げます。わたくしはラクス・クラインです。追悼慰霊団代表のわたくしのいるこの場所でこれ以上の争いは許しません!すぐに戦闘行動を中止してください!――

それを聞いた誰もが耳を疑った。国際救難チャンネルではなくわざわざ危険度の高いレーザー通信で告げられたその言葉。その声。だが、それは疑いであっても振り上げた手を下ろす理由には十分すぎた。しかし、その声は『双方にとって好ましくない事象』とされ、記録されることはなかった――


「地球への降下、ですか?ですが……この目標地域は……」

戦闘直後、まだ損害艦の救助もままならない中、『アークエンジェル』の艦長マリュー以下、陣頭指揮に当たるナタルを除いた士官、つまりムウ、スズネ、ノイマン、キラの5人が第8艦隊旗艦『メラネオス』へと招集されていた。『メラネオス』ブリーフィングルームにて行われる緊急会議と称された、士官以外の立ち入りを禁じられた会議にて、ハルバートン提督が提示したのは被弾ゼロだった『アークエンジェル』の地球への単艦降下作戦だった。

ハルバートン提督が提示し、モニタに映し出された地域を見て、全員が息を飲む。ハルバートン提督が指し示す降下目標地域は、北アフリカ――ザフトが誇る『砂漠の虎』こと、ザフト軍北アフリカ方面軍指揮官アンドリュー・バルトフェルドが支配する地域だったのだから。

「先の戦闘中、本艦が避難民を乗せたシャトルを緊急降下させたのは既に話したとおりだ。そのシャトルが降下したのが、この北アフリカの砂漠地帯。我々はやむなきとは言え敵陣に放り投げてしまった無辜(むこ)の友人達を安全な場所まで送り届ける義務がある。
 ……それと、ミス・クラインの件もある」

ハルバートン提督の言葉に、マリューは申し訳なさそうな顔をする。先の戦闘中、ラクス・クラインの説得に応じてザフト艦への即時撤退要求通信を実行させてしまったのは自分なのだ。即座に『プラント』本国へと伝わったラクス・クライン生存の情報は自軍の無警告攻撃をも正当化する連合糺弾のプロパガンダとなりつつあるが、『JOSH-A』(ジョシュア)からの問い合わせに第8艦隊は虚偽だと応じ、現在その件は平行線を辿っている。第8艦隊は敵のみならず味方をも欺いている、この現状を鑑みてマリューは自身が引き起こした軽率な行動の結果を恥じ入るしかなかった。

「気にすることはない。ラミアス少佐。彼女のおかげで第8艦隊は救われた。これは厳然とした事実だ。あとは、どう折り合いを付けるか、その一点に尽きる。
 私は……ミス・クラインは『砂漠の虎』に預けるのが現状最良の方法だと考えている。場合によっては先に先方に『保護』されてしまった避難民引き渡しと引き替えにすることもあるだろうが……『JOSH-A』の件は心配する必要はない。そちらはこちらで引き受けよう。恩義には恩義を以て返す。私は彼女を捕虜として扱うつもりは毛頭ない。君達もゲストを丁重に送り届けるつもりでいてくれれば良い。
 事は一刻を争うと思って欲しい。準備出来次第、『アークエンジェル』は地球への単艦降下を開始せよ。以上だ」


「……なんて、言われても困るんだがなぁ。『スカイグラスパー』が運び込まれた時にそんな気がしてたけど、本当に敵地に降りることになるとは……」

会議後、『アークエンジェル』に戻ったムウが言う。横を歩くスズネもそれには相づちを打つしかない。

「そうですね。特に重力下の戦闘経験、フラガ少佐と私以外にありませんから」

相づちを打ちつつ「尤も、私の場合はほとんどモビルスーツ以前の代物のテストでしたけど」と謙遜するスズネ。ムウも「謙遜謙遜」と言いつつ、その顔が真剣そのものに戻る。

「ところで、例のお姫様は?一緒に地上に降りること、もう話したのか?」

「それはヤマト少尉にお願いしています。コーディネーター同士で話もしやすいでしょうし」

スズネの言葉にムウが意外そうな顔をする。

「……俺はてっきり君がするとばかり思ってたよ」

「何か、問題でも?」

スズネの問いかけにムウが言葉を濁す。それでもしばらく見つめられて観念したのか、ムウは歯切れ悪く話し始める。

「……いや、坊主の周りに最近良くない噂が立っていて、な。いや、コーディネーターだからという訳じゃなく、別のなんだが……悪い方向に行かなきゃ良いが……」

スズネには初耳だった。どうやら艦内でも男性陣の間だけに広まっている噂らしい。ムウはそれ以上語らず真相はスズネに伝わることはなかったが、知らなかったとは言え拙い選択をしてしまった、ということだけは理解できた。

「後で様子を見に行った方が良いですね」

「そうしてくれ。俺も坊主の方を見ておくから」

そう言って二人はそれぞれの持ち場に別れていく。同じ飛行科とは言え、大気圏突入までにやることはそれぞれ異なっている。スズネは自分の持ち場であるモビルスーツデッキへ向かう最中にも、キラの『良くない噂』と言う言葉が耳から離れなかった。


一方、ラクス達への説明を終えたキラは事前に指示されたとおりに自室のベッドにその身を横たえていた。休める時に休んでおきなさいという上官の言葉。その言葉に従いつつ、キラの脳裏にはここまでに起こった出来事が巡る。『ヘリオポリス』のこと、ラクスのこと、そして、アスランのこと――

「……僕は、まだ迷ってるんだ。戦うって、決めたのに……」

そうやって身を横たえていると、部屋の呼び出しブザーが鳴る。誰かと思って出てみれば、そこには赤毛の少女、フレイがいた。

「キラ、疲れているだろうって思って……食堂の人にドリンクもらってきたの」

そうやって、手渡されるドリンクとともに微笑みかけられる。袋小路に差し込む一条の光。ひび割れた隙間に入り込むような微笑み。僕の手を取るその手は細くて温かくて……そのままドリンクを一口含んだ後、自然と僕はフレイの膝枕にその身を委ねていた。

「聞いたわ、キラ。もう一歩、だったわね」

その声は砂に溶け込む水のように甘くて――

「残念だったわね。もう一歩だったのに、キラは私を守ってくれるんだから、敵はみんなやっつけて……ね……」

唇に触れる感触は柔らかくて――僕はそのまま眠りに落ちていく。どこか遠くで笑う声が聞こえているのを感じながら……


「――修正軌道、降角6.1、シータプラス3」

操舵手のノイマン少尉が大気圏突入準備の最終シークエンスを告げる。あとは、マリューが号令をかけさえすれば、地球の重力へと降下し、大気熱の帯を越えて重力の支配する地球へと向かう新たな旅が始まる。マリューは尊敬する上官であるハルバートン提督に倣って軍帽を被り直す。それまでは着用することも少なかったが、やはりけじめは付けておきたい。技術士官上がりとは言え、今の自分はこの大艦を預かる艦長なのだから。

「降下開始準備。各員、シートベルト着用確認……キラ君は?」

そう言ってマリューは大気圏突入準備で総員配備の中特別休養させているキラの私室をモニターさせる。そこには赤毛の少女の膝枕で眠っている少年、キラの姿が映った。

「……あ、貴女?アルスター二等兵?そこでなにしているの?」

マリューがモニタ越しに問う。モニタの向こうの少女、フレイはうつむいた状態からやや困ったような表情をマリューに向けた。

「あ、艦長……キラ、ヤマト少尉が疲れているだろうと思って食堂からドリンクを届けたんですけど、一口飲んだ後眠ってしまって……」

やや感情の抑えられた言葉。その表情は本当に困っているように見える。マリューも当人が当惑していると思い、キラを安全のためベッドに固定することと、移動している時間もないのでフレイはキラの席でシートベルトを付けてじっとしているように指示を出す。モニタが消えた後、マリューが「何をやってるの、あの子」とやややり場のない怒りを向けるが、ナタルを始めとする艦橋のクルーはそのとばっちりを受けないよう自分の仕事に専念することにする。

「艦長、降下開始します。よろしいですね?」

ナタルの言葉にはっとしたマリューが首肯すると、そのまま降下シークエンスの続行を指示する。ノイマン少尉がそれに応じ、『アークエンジェル』はゆっくりと、確実にその身を重力の(くびき)に委ね始める。

「降下開始。機関40パーセント。微速前進。4秒後に姿勢制御開始……
 降下シークエンス、フェイズワン。大気圏突入限界点まで10分……」

『メラネオス』を始めとする第8艦隊の艦艇群が見守る中、『アークエンジェル』は単艦蒼い地球へと向けて降下を開始する。白亜の巨艦が大気の摩擦熱に(さら)されて徐々に赤熱を始める。

「フェイズツー。限界点まで5分。融除剤ジェル、展開用意」

ノイマン少尉が告げる。巨艦が徐々に振動を始める。大気の流れが『アークエンジェル』を揺らし始めているのだ。プラズマ化したまま重力に絡みとられる大気に触れ外殻温度が徐々に上昇していく――

「フェイズスリー。融除剤ジェル、展開!」

艦底部のノズルから、大気圏突入用の耐熱融除剤ジェルが噴射され、艦底部を覆っていく。決して大気圏突入に適した形状とは言い難い『アークエンジェル』級を大気圏内外両用艦たらしめている一つが、この新開発の融除剤ジェルだ。これにより艦底部を耐熱材で覆い尽くし、それ以外の突起部を艦底部より内側に納めることで、『アークエンジェル』は艦の損傷を最小限に抑えつつ大気圏突入を可能としていた。

融除剤ジェル展開確認後、ノイマン少尉はややうわずった声で宣言する。無理もない。彼自身、今まで経験したことのないことを、今実行しているのだ。

「艦、大気圏突入!目標、アフリカ北部。北緯29度、東経18度!
 艦機能異常なし。フェイズフォー!」

融除剤ジェルでも除去しきれない高熱がラミネート装甲を赤熱させる。艦内はその冷却能力を最大限に発揮し、クルーへの影響を最小限にしようとしていた。


「……行ったか」

その様子を、第8艦隊旗艦『メラネオス』艦橋から、ハルバートン提督は目を離すことなく見届けた。送りの敬礼に、艦橋のクルー達が続く。『アークエンジェル』の光点が見えなくなった後、ハルバートン提督は軍帽を被り直して艦隊に指示を出す。

「我々はこれより降下した『アークエンジェル』支援行動に移る。各員、準備を怠るな!」

クルー全員が持ち場に戻り旗艦『メラネオス』を先頭に第8艦隊が移動を開始する。彼らはこれよりザフトのみならず連合総司令部へも欺瞞行動を開始するのだ。ラクス・クラインが先の戦闘で発した言葉は、恐らく両軍とも記録に残していないだろう。ザフトにとっては『評議会議長の娘が連合艦艇に乗り込んで自軍への即時停戦を要求した』などと言えるはずもなく、連合にとっても『ザフトのVIPを捕虜にもせず、またその事実を総司令部に連絡しないまま戦闘艦に乗艦させ続けた』という事実は、対外的にマイナスでしかない。幸いにして通信は全方位の国際救難チャンネルではなく、ピアツーピアのレーザー通信で行われていた。どちらも事実を隠蔽し、秘密裡にラクス・クラインの身柄確保に動く。せめて連合側の行動くらい、自分の権限において封じてやろう、ハルバートン提督はそう考えた。ザフト側への直接的な対処は……『アークエンジェル』のクルーの奮戦に期待するしかないが、彼らならばきっと成し遂げてくれるだろうと信じて。

「……宇宙(そら)で逢おう。諸君」

遠ざかる地球に向けて、ハルバートン提督は静かにそう呟いた。

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