Phase-2 "凪の静寂(しじま)に娘達は踊る(後編)"

*

「ごめんね。なかなかスケジュール調整できなくて。でも、キキさんも元気そうで何より」

「……その『キキさん』って、何か距離感感じるな。『キキ』でいいですよ。Maayaさん」

「じゃ、そうさせてもらおうかな?」

「……お二人とも、楽しそうですわね」

アプリリウス市中心部にあるカフェ。若い女優をはじめとする芸能関係者に人気のあるこのカフェで、Maayaさんとキキさん、それに少し遅れて私がテーブルを囲む。『プラント』でも有名な英雄『砂漠の虎』アンドリュー・バルトフェルド氏をはじめとするコーヒー愛飲家に人気のある銘柄を多く揃えるこのカフェは、Maayaさんお薦めの、どちらかと言えば紅茶が好きな私でも楽しめるお気に入りの場所の一つだった。


年が明けたC.E.71年。ニューイヤーパーティをはじめとする年末から新年にかけてのイベントが一区切りついた時、私達3人はようやく顔を合わせることができた。キキさんが目を覚ましてから昨日までは本当に慌ただしく、また、キキさんも医師から『強い心因性ショックによる一時的な記憶障害』と診断されたことから、病院から出ることができなくなってしまっていたから。

どうしてそんなことになったのか――それはキキさんが話す地球とその家族のことが、私達の知っている地球とは異なっていた、というのがその理由。出身地として挙げられた地名はこの世界には存在せず、同じ地図上のその場所も、ただ鬱蒼と木々の生い茂る密林地帯で人の住んでいたことなどない場所。それでも彼女が嘘を言っているとは、私も、Maayaさんも思っていなかった。

「……まさに『異邦人(エトランジェ)』ね。彼女も」

異邦人(エトランジェ)』――私の耳に残るこの言葉は、キキさんの様子を知ったMaayaさんがふと漏らした言葉。それがどういう意図を持つのかは、私には解らない。でも、この言葉は今のキキさんをよく表してるとも言える。彼女の知る世界はここではなく、また、彼女を知る者もここにはいない。初めて出会った時には『Erika Mustermann(名無しの女)』で、今は『異邦人(エトランジェ)』――『判って演じている』私と違い、そうせざるを得ない彼女。もしかすると……Maayaさんも……?そう思った時、私はまたも現実に引き戻された。


「……ラクスさん、本当に大丈夫?少し休養取った方がいいんじゃない?」

目の前にあるのは心配そうに見つめるMaayaさんの顔。そこには嘘偽りない、心から私のことを心配している様子が見て取れる。

「……あ、あら?また私ったら……」

私の言葉に半ば呆れ、半ば諦めたような表情のMaayaさん。この少し年上の女性は、時々こうやって私より半歩だけ前に立つ。(かしず)かれだけの毎日よりも、こうやって何気ない会話の中で過ごす時間が、何よりも大切に思える。すっかり冷めてしまったコーヒーのおかわりを頼んだあたりで、Maayaさんが口を開いた。

「……そう言えば、もうすぐでしょ?ラクスさんがあの『血のバレンタイン』一周年式典へ参加するのは。それ理由にしてでも少し休養取った方がいいと思うよ?あたしと違ってそういうことできる立場なんだし、上手く使わないと」

Maayaさんが言う『血のバレンタイン』一周年式典――それは、あの忌まわしいユニウスセブンへの地球連合軍が行った非人道的行為、核による無差別殺戮からもう1年が過ぎたことを意味していた。私は直接その被害を受けたわけではないけれど、父、シーゲル・クラインを筆頭とする『プラント』評議会が大きく揺れた日でもあった。婚姻統制で決定された私の婚約者、『ザフト』のエリートの証である赤服を纏うことを許された若き士官アスラン・ザラのお母様も、農業プラントでもあったユニウスセブンで新しい農業の研究をしていて……核の光に消えていた。私個人としてはあまり参加したくない行事ではあるけれど、『プラント』最高評議会議長としての父の体面と『プラントの歌姫』という私の立場上、参加せざるを得ないものだった。

「……『血のバレンタイン』?」

「あ、そうか。キキは知らないんだっけ」

不思議そうな顔をするキキさんにMaayaさんが『血のバレンタイン』の顛末と、今の『プラント』のことを説明する。話が進むにつれて、キキさんの様子がだんだんと昏く、愁いを含んでいくのが判った。

「……連邦も、こっちの連合も変わらない……」

それだけ言うと、キキさんは下を向いてしまう。キキさんの言う『連邦』とは、こちらの世界で言う地球連合軍によく似た軍組織のこと、らしい。キキさんの『世界』では地球連邦軍とジオン公国軍という二つの勢力が戦争をしていて、キキさん達はその両方から身を守らなければならなかった、ということ。そのお話は真実味を帯びていて、とても妄想の産物とは思えない。けれど同時に、それが真実だとして、キキさんがどうしてこちらの『世界』に来たのか、という意味と、どうすれば帰ることができるのか、という行動に繋がることがないのが、私にはもどかしかった。

「……世界は、どこも同じかな?けど、あたし達はあたし達でできることをやればいいんじゃない?……って、これ、(かなめ)さんの受け売りだけど、あたしもそう思うよ」

Maayaさんが言う。Maayaさんのマネージャーのエンソウジさんもかなりお若い方だけれど、お会いする度に私の周りにはいないタイプの方だと思い知らされる。私の周りにはお父様に媚びへつらうために近付く人間と、私を利用しようとする人間の、どちらかがほとんど。パルスのように従順に従う人間もいるけれど、それは女主人と使用人の関係に近い。Maayaさんのようにこちらの立場を知っていて、それでいて損得勘定で動かない人間は、今までほとんどいなかった。いても私の地位を知って尻込みして消えていく。Maayaさん達3人は、それに類しない希有な人間達だった。今はキキさんもここに含めても良いかも知れない。

「……私達にできること……そうですわね。お休みの理由にすることはありませんけど、私にできることはしたいですわ」

私がそう言った時、キキさんが少し迷ったように口を開く。

「ラクスさん……あたしも……一緒に連れてってもらえないかな?その式典。勿論、邪魔はしないよ。ただ、自分の目で見てみたいんだ。この世界のことを少しでも……」

「……随伴人として増やすことはまだ間に合うとは思いますけれど……」

少し迷う私に、キキさんは何度も「お願い」を続ける。私が承諾すると、キキさんの顔がぱあっと明るくなった。

「……いいんじゃない?あたしは、二人のおみやげを楽しみに待ってるから」

Maayaさんもその様子を微笑ましく思っているのが表情に出ている――そう。これはまだ平穏な一日。ずっと続くと思われた、繰り返される毎日。その日もそんな風に始まって、終わると思っていた。その時まで……


一発の銃声。それが世界を変える合図。『血のバレンタイン』一周年記念式典出席のために私達が乗ったチャーター船『シルバーウィンド』号がデブリベルト付近にさしかかった時に地球連合軍の臨検を受ける――このとき、私達の誰もがそれを変だとは思わなかった。本当ならばここが連合の勢力圏内ではない公海であり連合に私達を臨検する権利などないことに、誰も気付かなかった。その結果……船内は混乱の坩堝と化した……


「……ラクス様!早くポッドへ!」

パルスが叫ぶ。その手には拳銃が握られていて、銃口からは硝煙すら立ち上っている。船内には0.7G程度の重力と適度な余圧がされているためだ。連合の灰色の軍服を着た男達が私に迫った時、私の前に立った影が一発の銃声とともにそれを打ち倒す――キキさんだった。

「……ラクスさん、こっち!」

「キキさん?銃の撃ち方なんて、どちらで?」

「そんなことは後!」

キキさんが私の手を引く。全員が私を護るように動き、脱出用ポッドに続く通路のハッチをキキさんが閉めた時、ハッチの向こう側に立つパルスがそれにロックをかけた。

「……ここは通行止めです。ここから先は……1インチたりとも行かせません」

パルスの声。それに、野卑な声が被る。

「……そうかい」

銃声。一呼吸おいてまた銃声。そこから逃げるように、私とキキさんは脱出用ポッドに乗り込む。そのまま虚空に打ち出された後でも、私の耳には最後に聞いたパルスの声が離れなかった。


「……あれが連合?海賊の間違いじゃないか?」

狭いポッドの中でキキさんが言葉を発する。私達、いや『私』が遭難したことは、いずれ『プラント』にも知れることだろう。けれど、それまで私達が生きているかどうかの保証はない。それでも、私達は……今を生きるしかなかった。

「……確かにあれは地球連合軍の制服です。脱走兵が海賊になってしまったのか、それとも……」

「……あのときのように、正規軍が誰も見てないから海賊行為をやった、ってことか……」

「……『あのとき』?」

キキさんが言った言葉に引っかかるものを感じた私が鸚鵡返しに問い返す。キキさんは自分で言った言葉に戸惑っているようでもあった。思い出さない方が良かったことかも知れないと私が気付いたのは、言葉にしてからだった。


沈黙が支配する。それでも、いつか誰かが私達を見つけるだろう。それまでは時間がある。キキさんと、ゆっくりお話しできる良い機会かも知れない。私はそう考えることにした。もし一人だったら、こんな考えには至らなかったかも知れない。けれど、今ここにはこうして二人いる。誰かがいたら話せないことでも、今この場所でなら話せるかも知れない――私の方から一歩踏み出してみよう。そうすれば、何かが変わるかも知れないから……


C.E.71.02.02.――Story continued...As for the end, still, in the distance.

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