K*A*G*U*Y*A

満月に照らされた夜空に大輪の花が咲いた


ついさっきまでその支えるべき巨大な質量を分け合って支えていた、峻険な山々に囲まれた冷たい空気を切り裂く巨大な金属のブレードが本来あるべき場所からもげ落ち、夜の闇に消える。闇の中で赤と青の翼端灯が自分の役目を果たしつつ見えなくなるころ、人が作り出した巨大な空飛ぶ箱、巨大飛行空母ブリガンダインは幾つもの誘爆による小爆発を起こしながらゆっくりとその高度を落とし始めた。


「やっ……た……?」

つい先ほどまで死闘を繰り広げた相手を見下ろす位置につけたまま、次世代試作戦闘攻撃機XF/A-49ホワイトスォード零号機のコクピット内で私は思わずつぶやいた。


『やったな!カグヤ!』


レシーバーを通じて自分を呼ぶ男、XF/A-49と同じく航空宇宙兵器開発センターにただ一機だけ存在する実験機、F-15Eストライクイーグルをベースに次の世代の母体となるために作られたF-15S/MTDの優秀なRIO(レーダー迎撃仕官。複座機において航法・火器管制などを担当する)ロバートの声も、このときばかりはどこか遠くに聞こえた。


そう。本来ならば私はもうここに座ることはないはずだった。ローランド・フリントとロバート・ブリッグスの名コンビと、ここにはいない彼、ダニエル・ダークリンクが私の作ったこの子を育ててくれると、信じていた。


けれど、運命の女神は残酷だった――

あれは世界が真っ暗になるような雨の日だった。

前日の徹夜作業を終え、眠気覚ましのコーヒーを手にしたとき、けたたましい情報部員の靴音とともにその事実は私の元へとやってきた。

世界の警察官を自負するアメリカ合衆国の次の世代の空の守りとして期待されていたプロジェクト『DAREDEVIL』の要であるXF/A-49一号機がフル装備状態でのテスト飛行中にそのテストパイロットであるダニエルの手によって強奪されたというのだ。

にわかには信じられなかった。しかし、その信じられない話が事実であるということは、プロジェクトの責任者であり、かつダニエルと関係の深い人物(私のことだ)を拘束するべく彼らがやって来ていることが証明していた。


それから、ダニエル追撃劇から帰還したローランドたちが私の潔白を証明してくれるまでの間のことは思い出したくもない。人間とはあそこまで呵責なく人間を痛めつけられるのかという事実を知ることができた、としか語る言葉がない状況だった。


その後、ローランドたちが撃墜した国籍不明機のパイロットを尋問(実質的な拷問だったろう)した結果、ダニエルが実は多国籍巨大企業デルダイン社のエージェントであり、最高機密を奪取するべくこのセンターに送り込まれた事実を知った合衆国上層部がどんな反応を示したかは想像するしかないが、ただ彼らが自由と平等を標榜する合衆国においても組織の末端の人間は人間ではないと考えていることだけは解った。それほどまでに上層部が出した決定は過酷きわまるものだった。

それは――卓越した技能を持つ最優秀のパイロットのみで構成された小規模部隊にて国籍不明機を装い敵地深くに進入。奪われたXF/A-49の所在を確認の後、それを奪回もしくは機密保持のために破壊せよ――つまり、燃料と弾薬の手配くらいはしてやるがそれ以外は一切関知せず、しかも任務だけは何があっても果たせ、ということなのだ。


政治的なことが判らない訳ではない。ないが、この作戦にローランドとロバートが真っ先に志願したことは想像の埒外だった。そのときの二人の顔と言葉を私は一生忘れることができないだろう。彼らは強い意志を秘めた紺碧の瞳を私に向け、こう言ったのだ。

「……けじめをつけたいから、だな」

「……おまえをあんな目に遭わせたあの野郎を一発殴ってやらないと気がすまないからだ」

二人らしい答えだった。


それから作戦開始までに残されたわずかな時間は志願したローランドやロバート、そして海軍から選抜されたトップガンエースのスティーブ・ラッセルとダグラス・ロリンザー、空軍のサンダーバーズの問題児ラルフ・エマーソン、栄光のアメリカ軍の陰とも言える外人傭兵部隊『インサニティ・ドッグ』に籍を置くクローマ・カニンガムというつわものの面々だけでなく、XF/A-49を開発した私にとっても貴重なものであり、かつ多忙を極めた(なにしろ時間は極端に少ないのだ)。

スパイ衛星からの写真にCIAをはじめとする各情報部員が命を賭けて手に入れた詳細な情報を組み合わせた作戦図はひどく簡素なものだったが、これがこれからどのようになるのか、全員まったくもって想像もできなかった。ブリーフィングともいえないようなただ問題点を再確認するだけの時間が流れ、決行の時は寸分の遅れもなくやってくる。


そのとき――運命の女神は私にも舞台に上がることを強要した。


空母ニミッツからの話では、予定通りラッセルとロリンザーのF-14Dスーパートムキャットが発艦した直後、エンジントラブルを起こして緊急着水したというのだ。二人とも命に別状はないが、もう予備機も時間もない。そのとき、時間合わせのためのタイムラグのおかげでまだ地上にいたローランドの一言が、私の運命を決めた。

「カグヤだ!あいつならホワイトスォードが使える!
 ……専任のパイロットではないから腕が落ちる?構うものか。そんな程度機体が何とかしてくれる。あれはあいつが作ったんだ!そういう仕事をしてきた!
 ……一号機に全部持っていかれて専用装備がない?通常機のものを使えばいい!固定武装のレーザーキャノンだけ十分なくらいだ。威力の桁が違う!
 とにかく時間がないんだろう!ぐだぐだ言っている暇があるならさっさとカグヤを飛ばせ!」

私に「No」と言えるはずはなかった。


それからの時間はとても短かったはずなのに、今思い返すととても長く思える。

けれどそれももう終わる。後は今目の前で燃えているブリガンダインの残骸の中からXF/A-49一号機を回収すればすべては終わる……はずだった。

最初に異変に気づいたのはクローマだった。彼の駆るフランス製最新鋭試作戦闘機ラファールMがぬめっとした黒い機体を翻し、後はただ落ちていくだけのはずのブリガンダインの飛行甲板に機銃掃射を浴びせる。私を除いたメンバー全員が一騎当千の凄腕ぞろいである以上、それだけで何が起こったのかはすぐに判る。いや、彼らだけではない。私にも判った。


まだ戦いは終わっていなかったのだということが……


『許さん……許さんぞ……貴様ら……全員地獄に道連れだ!』

「……この声!」

私の疑問はすぐに晴れた。

『ダニエル!貴様か!』

『この裏切り野郎が!悪党ほどしぶといってのは本当らしいな!』

ローランドとロバートが吼える。アフターバーナーの真紅の帯を引きつつ彼らの愛機F-15S/MTDが野を駆ける野獣そのものといった勢いで突進する。しかし、彼らの怒りを代弁するかのようなありったけのミサイルと機銃掃射の嵐が過ぎ去る前に燃え盛るブリガンダインの飛行甲板から舞い上がった純白の翼は、二人と、そして私を驚愕させるには十分だった。

『あいつは!』

『あの野郎……やりやがった!』

「ホワイト…スォード……」

予想できたことではあった。今回の作戦が起草された時点で最大の懸案点でもあった。けれどいざ現実にその姿を目の当たりにしたときの驚きはたとえようもない。

峻険な山々に照り返された満月の光を受けたXF/A-49一号機はその純白の翼を広げ、悠然とこちらを挑発するかのように飛んでいる。その姿はまさしく『白い悪魔』と呼ぶにふさわしかった。

『畜生!畜生!畜生!貴様ら!よくも俺の計画を台無しにしてくれたな!』

その声は確かに私の知っているダニエルのものだった。けれど、何かが違った。

『ダニエル!貴様か!?貴様が乗っているんだな!』

さっきから回線を開きっぱなしにしていたため、ローランドの怒りに震える声がはっきりと解る。

『フリントか!貴様では俺には勝てないというのがまだ理解できないようだ!』

ダニエルの声には明らかに侮蔑の色が混じっていた。

『てめえ!今までよくも騙し続けてくれたな!そこで待ってろ!首根っこひっ捕まえて修正してやる!』

『ブリッグス……貴様にそんなことができるはずもないだろう。笑わせるなよ!』

違う。私の知っているダニエルはこんな人じゃなかった。プライドの高い野心家ではあったけれど、こんな人では……

「ダニエル!どうして……」

私の声を聞いた途端、ダニエルの嘲笑が止んだ。

『そうだ……あれはXF/A-49……零号機か?なぜここにある?何故気づかなかったんだ?
 そうか。カグヤ!カグヤ・シンクレア!君が持ってきてくれたのか!』

思わずヘルメットからレシーバーユニットを引きちぎりたくなった。気持ちが悪い。悪寒がする。そうだ。もう彼は……私の知っているダニエルでは……ないのだ。

「来ないで!もう貴方は……私の知っているダニエルじゃない!」

『カグヤ……?そうか。君も俺を……はは……そうか……そうか……!』

『ダニエル……貴様』

『女に振られて気が触れたか!馬鹿野郎が!』

ローランドとロバートがダニエル機の挙動が不信なことに気づいたまさにその瞬間。上空警戒を買って出ていたラルフが彼にあるまじき悲鳴を上げる。

『やばいぜ!奴ら意地でも俺たちにそいつを渡さない気だ!うじゃうじゃいやがる!』

確かにレーダーには巨大な輝点がひとつ出現している。山間を縫ってきたため今まで探知されなかったのだろう。もちろん、これがたった一機のはずがない。無数の航空機が密集隊形で飛んでいるのだ。

『カニンガム!援護に回るぞ!』

言いつつローランドはガルグレーに鈍く光るF-15S/MTDの機体を翻した。

『別に構わないが……博士一人の手に余るんじゃないか?あいつは』

クローマの疑問を、ローランドがきっぱりと否定した。

『決着をつけさせてやれ。心配するな。貴様や俺には劣るが、何故軍に入らなかったのか不思議なくらいの技量はある』

「ローランド……」

『ま、あんたがそう言うなら大丈夫だろう。それじゃあ、後は任せた』

その言葉を最後にクローマのラファールMが空域を離脱する。それがラストバトルの合図となった。

『はは……カグヤ……君が俺の相手をするのか……シミュレーションと同じだと思うな!』

ダニエルがそう言うが早いか。天空から蒼白い輝きが大地を射た!

「サテライトキャノン?どこから!?……まさか!」

そう。デルダイン社がかつて民生用と偽って打ち上げた発電衛星に、有事の際にはこのような使い方もできるような仕掛けを施していたのだ。それにしても味方もいるのにこれが援護射撃というのなら、正気の沙汰ではない。

「大丈夫。避けきれる!」

これまでのタイミングからコンピュータに予測させたコース……ではない。そんなことをしたら相手の餌食になる。大地に大穴を穿つ熱と輝きの中、ダニエルが私が移動すると予測した位置に向けてミサイル(一号機専用装備のひとつ、中距離ミサイルAIM-120L "AMRAAM Limited"だ)を放つのを見た。四つ……五つ……六つ。斉射ではない。ペイロードにはまだ半分は残っているはず。様子見のつもりか。掃射もせずに航過する。もちろん、私もみすみす食らうわけがない。

今度は私の番。と言いたいが、そうやすやすと攻撃位置に占位させてくれるはずもなかった。

「調整不足……?いくら最終テスト中に強奪したといっても。まさか……」

完璧に調整されたXF/A-49にダニエルほどのパイロットが乗っていれば、今の一撃だけで私は大空に散華していたはずだ。それができなかったということは……

「いい勝負になりそうね。ダニエル」

思わず笑みが浮かぶ。何とかなるかもしれないと希望の光が見えたから。そんなカグヤの様子とは違い、ダニエルの狂乱は留まるところを知らなかった。

『馬鹿な……くそっ!カグヤ!貴様がこの機体に細工を!どこまでも汚い女狐めが!』

もうダニエルの声を聞きたくない。認めたくなかったのかも知れない。思い出の中だけに残しておきたかったのかもしれない。綺麗なままで、いつまでも。

そんなカグヤの思いが届くこともなく、ダニエルは未だ止む気配のないサテライトキャノンの蒼白い輝きの中を無謀としかいいようのない機動で暴れている。だがその中であっても確実にカグヤをなぶり殺しにするかのような攻撃を加え続けられるのは、まさしく狂気の産物といえた。

「くっ……こんな状態で攻撃なんてできない。もう軍が動いてもおかしくないのに!」

ダニエルの攻撃とサテライトキャノンの雨は少しずつ確実にカグヤの機体にダメージを蓄積させていく。既に下手な機体ならば爆発してもおかしくないほどの状態でまだ戦闘能力を保っているのには我ながら驚かされる思いだ。強度計算を誤っていたのは確実だが、今回はそれに救われていた。

『どうしたカグヤ!来ないのか!俺はここだぞ!』

ダニエルの嘲笑が乗り移ったかのようなレーザーキャノンの蒼い残光がキャノピーを掠める。一瞬にして視界が白濁する。再び晴れた時、サテライトキャノンの雨も止んでいた。

合衆国のキラー衛星がデルダイン社の発電衛星の破壊に成功したのだ。

『これは……!?』

ダニエルの顔が見えたなら信じられないものを見たような恐怖に引きつっていたに違いない。

「間に合った……!」

この一瞬の隙を見逃すほど私も素人ではない。チェックシックス――俗に言う相手の『ケツ』に喰らいついた瞬間、私の手は機械のような正確さで手持ちのミサイル六発全部を瞬く間にロック、ダニエルの純白の翼めがけて撃ち尽くしていた。

自動迎撃システムが作動してフレアが射出されるが、数が足りない。私はその瞬間勝利を確信した――


――それから先はまるでスローモーションのビデオを見るようだった――


電子の目を持つ何の変哲もない大量生産品のIR(赤外線)誘導ミサイルがその周辺でもっとも高熱を発する箇所、XF/A-49一号機の左エンジンノズルに真っ直ぐ突っ込むのが見えた。一瞬遅れて起こる小さな爆発。左の垂直尾翼と尾翼が跡形もなく飛び散り、まだ爆発を続けている左エンジンの残骸が脱落する。推力と揚力のバランスを失った機体がくるくると子供のおもちゃよろしく回転を始めると同時に、蓄積したダメージが強度限界を超えた左主翼が根元から折れて飛んだ。

そこまで見届けたとき、私は思わず叫んでいた。

「ダニエル!早く脱出(ベイルアウト)しなさい!」

必死だった。私の血と汗と涙の結晶(我ながら……月並みな表現だと思う)に自分で引導を渡したことを悔やんだのではなく、少しでも同じ時を過ごした人の死を先送りにしたかったのだと思う。たとえ、それが見る影もなく変わり果てたとしても。

けれど、その答えは私の望んだものではなかった。

『……ふっははははっ!カグヤ!嬉しいか?嬉しいだろう!だがな!おまえの腕で勝ったと思うな!機体の性能差だ!それ以外にない!俺が負けるはずが……!俺が……』

最後までその声は続かなかった。機体の左半分を吹き飛ばしたエネルギーがついにコクピットをも吹き飛ばしたからだ。残った右主翼と胴体の一部だけが満月の照らす夜空に真紅の彗星となって落ちていく。それで終わりだった。


「……馬鹿……」

涙が止まらなかった。けれど、まだ任務は完了していない。涙を拭いて、私はローランドたちにXF/A-49一号機破壊に成功したことを告げた。

『……終わったな』

『馬鹿野郎が……まぁ、妥当な線か』

『ま。楽しいショーだったぜ。俺のには負けるけどな』

『いい腕だ。センター辞めても傭兵で十分に食っていける』

私とダニエルのバトルの行く末を全員で見守っていてくれたようだ。私のXF/A-49零号機を中心にローランドとロバートのF-15S/MTD、ラルフのF-16C、クローマのラファールMがダイヤモンドを組もうとしたとき……私の機体に異変が起こった。

『どうした!』

ローランドが叫ぶ。外から見てもはっきりと判るらしい。そう。ダニエルの執念か、私の機体のコントロールは徐々に失われていた。

「パワーが上がらない!右エンジン……止まった!?」

それからは坂を転げ落ちるより早かった。両方のエンジンが止まり、操縦桿もまるで言うことを聞かなくなったとき、私はXF/A-49零号機を捨てる決心をした。

「ベイルアウトするわ!ローランド、後はお願い!」

それだけを言うと、私の体は勢いよく夜の闇の中へと放り出されていく。やや間を置いてパラシュートが無事に開き、そして……私の視線の先に、あの子がいた。


「ホワイトスォード……ありがとう」


軍人ではない私が敬礼で見送ることはない。ないが、ただ大空を埋め尽くすような満月の輝きに照らされたまま真っ直ぐに飛ぶホワイトスォードの、戦いに傷ついても輝きを失わなかった純白の翼が私に『さよなら』を言ったような、そんな気がした。