失われた知識のルビー

第四章 壊れた唇歯輔車

1

「姿を現せ!クラーケン!私はお前を倒すために今日まで生きて来たんだ!カイの仇、今こそ取らせてもらうぞ!」

ギルガメッシュはクラーケンの玄室に向かって叫ぶ。彼はかなり興奮しているようだった。

「ギルガメッシュさん!俺も加勢します!」

テュロスは『水龍の剣』を構え直しつつ言った。

「無駄だ。君の腕では奴には敵わん!犬死にしたいのか!?」

「だ…だけど…」

「下がっていろ!ここは私一人で十分だ!」

ギルガメッシュがテュロスを後ろに押し返したとき、玄室の中からクククク…と不敵な笑い声が聞こえて来る…。不思議なことにその声は初めは男性のように暗闇の底から響いて来るような低い声だったのに、それはいつの間にか女性のように甲高い声へと変わっていた。

『そこまで言うのならぱ…。良いだろう。私が直々にお前の息の根を止めてくれるわ。今更お前の命乞いなど聞かぬ!』

声が辺りに響き渡る…。暗い玄室の奥から強大な何かが迫って来る…。そして姿を現したクラーケンを目の辺りにしたとき、ギルガメッシュはそこに意外なものを見た…。

彼女はどんな闇よりも暗い色をした不気味なローブを纏い、右手には海の水よりも透き通った碧い宝石のついた杖を持っていた。髪は闇夜のように黒く、そしてそれは腰の辺りまで無造作に伸ぱされていた。また、頭には幾つかの宝石があしらわれ、何らかの力が込められているらしい黄金で作られた冠を被っていた。そして…。

「お…お前は…。な…なぜ生きている!?」

ギルガメッシュは彼女の顔を見たとき、驚きを隠し切れなかった。

――そう、彼女の顔は先程までここにいた黒騎士の顔そのものだった

…いや、正確には彼女の顔が本物だったのだ。彼女は三百年前にギルガメッシュがその手にかけたはずのカイ本人だったのだ。

「お前にはたいそう感謝しているぞ。お前のお陰でこの女の肉体が完全に私のものになったのだからな…。今、三百年遅れでささやかな礼をしてやろう」

クラーケンは高らかに笑いながらそう言った。

「ま…待て。どういう意味だ!」

「お前があやめたのはカイ本人の強靭な意志だ。お陰でこの若々しい肉体はそのときから完全に私のものとなった。だから礼を言うのだ。一撃で殺してやるからあの世でカイに感謝するが良い。愛するものの肉体から発せられた力であの世に堕ちれたことをな!」

「待てっ!及ばすながら俺も加勢するぜ!お前みたいな卑怯者の血でギルガメッシュさんの剣を汚す訳にはいかない!」

テュロスは剣の切っ先をクラーケンに向けて言い切る。

「ほう。貴様ごときが私の相手をすると言うのか?…面自い。ではお前から先に血祭りに上げてやろう…」

クラーケンの右手に光が生まれる…。

「逃げろ!『爆裂』の呪文だ!」

ギルガメッシュはその場にいる全員に向かって言った。

「遅い!今更逃げても無駄だということが分からぬのか!」

クラーケンの手の上で光はどんどん大きくなる…。そしてそれが人闇の頭くらいの大きさになったとき、彼女はそれを地面に叩き付けた!


ズズウゥーン…


凄まじい爆風が洞窟の中を駆け抜ける。爆発の中心部は深く抉れ、岩は変質して全く異質の物にその姿を変えていた。ギルガメッシュの指示の下、素早く凹みに隠れたテュロス達は、辛くもその爆風による影響を最小眼に止めることができた…。

「運の良い奴らよ…。しかし、それももう終わりだな…。なあ、ギルガメッシュ?」

クラーケンは勝ち誇ったような笑い声を発しながらギルガメッシュに問いかけた。


「さ…さすがだな…」

「今更私を誉めても命は助けてやらんぞ」

「いいや…。お前を誉めたのではない…。私はカイを誉めたのだ…」

ギルガメッシュは左足を押えながら言い返した。よく見ると彼の履いていた真っ青な羽根飾りのついた長靴は真っ赤に染まり、脚はぷるぷると震えていた…。

「その状態でまだ無駄口がたたけるとはな…。『加速の長靴』もそうなってはもはや機能すまい…。さあ、もう動くな。今すぐ楽にしてやる…。私の最大最強の呪文でな…」

クラーケンはゆっくりとギルガメッシュのところへと歩み寄って来た。

「フフッ。『私の最大最強の呪文』ときたか…」

「な…何がおかしい!」

「お前はその力が自分自身のものだと思っているのか…いや、そう思っているからこそさっきのような言葉が口から出て来るのかも知れんな…。今の『爆裂』にしても、さっきお前が自分の僕を吹き飛ぱしたように見せかけた『幻惑』の呪文にしても、それらはもともとカイが苦労して修得した呪文だ!それを自分の力だと誤解しているようでは、『海魔』クラーケンとはとんだ紛い者だったようだな!」

「…そこまで見切っておったとは…。私にはとんだ誤算だった。だが、そこまで私を愚弄した以上、覚悟はできているのだろうな!?」

クラーケンの顔に怒りの表情が浮かぶ…。彼女はギルガメッシュの前で仁王立ちになり、動けない彼に向かって聞いた者全てが不快な気分になるような不気味な呪文を唱え始めた…。

「古の悪霊グローヴィよ!我が前の愚かなる贄を捧げ、そなたの胃袋に収めん。この者に苦しみの中での惨たらしい死を与えよ!」

「ぐ…ぐわあああ!?」

ギルガメッシュは胸を掻き毟って問え苦しむ…。彼の目は異常なほどに大きく開かれ、何かの幻影を見さされているように思われた。テュロス達が必死に彼の名を呼ぷものの、彼は全くそれに答えはしなかった…。


「フフフ。『恐慌』の呪文だ…。どうだ!?ギルガメッシュ。お前にこの恐怖が耐えられるかな?
 私を愚弄した罰だ。心をずたずたに切り裂かれて苦しみのうちに果てるが良い!」

「く…くそっ!」

テュロスはギルガメッシュの仇とぱかりにクラーケンに斬りかかる。しかし、それはいとも簡単にかわされてしまった。

「無駄なことを…。テュロス君とか言ったな。君では私には勝てない。…ここでひとつ取引といこう。君の持っている『水龍の剣』、それを私に渡してはくれないか?もし、君がそれを渡してくれればこの男を助けてやらないこともない…。どうだね?悪くないだろう」

クラーケンは女性が男を誘惑するような艶めかしい声色を使いつつ言う。テュロスはそれに抵抗するものの、とうとう彼女の誘惑の虜になってしまった。

「聞いちゃ駄目!テュロス!気をしっかりもって!」

ロスヴァイゼはテュロスのかけられた誘惑を解くように大声で叫んだ。だが、彼は既にその言葉が全く耳に入らないようになっていた。

「ちっ!しょうがねえ!」

「何をするの!?アレク!止めて!」

アレクゲルグはロスヴァイゼの言葉に全く耳を貸さず、テュロスに向かって短剣を投げた!

「…はっ!?い…一体俺は何をしてたんだ!?」

アレクゲルグの投げた短剣が頬を掠めたお陰で我に帰ったテュロスは、自分のしていたことが分からず戸惑っていた。

「お…おのれ!もう少しで『水龍の剣』が我が手に入ったものを…。こうなったら腕ずくで剣を手に入れてやる!」

「そうはさせるか!ギルガメッシュさんが動けない分俺達でお前を倒してやる!」

「後梅するぞ!小僧!」

「おう!殺せるものなら殺してみやがれ!お前のような邪悪な者に俺達は決して負けはしない!」


売り言葉に買い言葉…。テュロスはクラーケンの挑発を真に受け、彼女の頭目がけて大上段から剣を振り降ろす!それを待ち構えていたかのようなクラーケン。彼女はテュロスが振りかぷったと同時に彼の懐に潜り込み、手にした杖で彼の水落ちを抉るように突いた!


カーンカラカラ…


「…ぐふっ!」

『水龍の剣』が彼の手を離れ乾いた金屋音を立てて地面に落ちると同時に、テュロスは血に染まった腹を抱えながらゆっくりと地面に崩れ落ちた。慌てて彼の元に駆け寄るロスヴァイゼ…。彼女がテュロスの所にたどり着いたとき、クラーケンは先程までとは打って変わってカイ自身の声らしい柔らかな女性の声でこう言った…。

「妬けちゃうな…。貴方達を見ていると…昔の私を思い出すわ…。
 あのときの私達も幸せだったわ…。だから…」

ここまで言ったとき、クラーケンの声色が急に変わった!

「だから殺してあげるわ!二人揃ってあの世にお行き!」

クラーケンは先程ギルガメッシュに使ったのと同じ呪文を唱えようとする…。そのとき…


バシッ!


「だ…誰だ!?」

突然テュロス達がやって来た方角から『魔法の矢』が飛んで来た…。それも一本ではなく、何本も何本も…。そのうちの一本がクラーケンの肩を掠め、彼女の呪文の詠唱を中断させたのである…。

「テュロス、ロス、アレク!大丈夫!?」

『『レルム!』』

三人は嬉しそうにその名を呼んだ。

「レルムだけじゃないわよ」

「そ…その声は…。ブリュン義姉さん!?」

ロスヴァイゼはレルムが来たときよりももっと感極まったような声で言った。

「私もいますよ!年寄りをここまで引っ張っておいて忘れてもらっては困ります!」

「…神父エターナリャス!貴公まで!」

「おや、随分ひどくやられましたね。…あちらの騎士殿も相当ひどい呪文をかけられたようで…」

彼は一目で状況を判断し、それから順をおって適切な治癒呪文をかけて回った。

「すみません。貴方にここまで出向いていただいて…」

エターナリャスがかけた『平静』の呪文で平常心を取り戻したギルガメッシュは彼に礼の言葉を述べた。

「良いのですよ。私も暇を持て余していましたから…」

エターナリャスは微笑みながら言った。

「お…おのれ…。まだ仲間がいたのか…」

「貴女が私達の村を混乱に陥れたクラーケンですか…。貴女のお陰で『解石』の呪文をどれだけ使わなけれぱならなくなったか…。
 私一人の力では間に合わないじゃありませんか!どうしてくれるのです」

「ええい!貴様の戯言など聞く耳持たぬわ!」

クラーケンは再び呪文を唱えようとする…。

「分からない女ですねえ…。これだけ言ってもまだ分かってくれませんか…」

彼は失望した顔でこう言った後、首から下げた聖印を握り、静かに祈り始めた…。

「神よ。戒めのために彼女の周りの一切の音を消し去りたまえ!」

祈りが終わった途端、クラーケンの周りに薄い光の幕が現れ、彼女を包んで行く…。そしてそれが完全に彼女を覆ったとき、呪文はその力を表した…。かけられた者から全ての音を奪う『沈黙』の呪文である。

「……(しまった)!」

クラーケンが発する声は、もはや全て音にならなかった。当然、これではもう呪文を唱えることは不可能である。

「だから言ったのです。さあ、テュロス、それからギルガメッシュ!早く彼女に止めを刺しなさい。彼女をこれ以上生かしておけば世界を破減に導く恐れがあります!」

「待って下さい!私にはカイを殺すことなどできない。それに、クラーケン本体は『知識の紅珠』で封じるしか方法はないのです!」

「『知識の紅珠』…ですか!?それに…カイとは…!?」

エターナリャスは何がどうなっているのか皆目見当がつかなくなった。ギルガメッシュはクラーケンが呪文を封じられほぼ無力化しているのを確かめた後、クラーケンとカイのことをエターナリャスを初めとするその場に居合わせた全員に話した。その後、ロスヴァイゼが補正するように青竜から聞いたことを皆に話す…。それを聞いたエターナリャスとプリュンヒルデは驚構した…。

「な…何ですって!?私も『巫女の予言』は何度も読みましたけれど、そこに記されていた『灰色の勇者』が貴方とそこにいるカイさんだなんて…。とても信じられないわ…」

「確か『巫女の予言』に記されているところの『灰色の勇者』は全部で六人のはず。そのうちの『黄金の騎士』と『囚われの巫女』が恋仲とは…。いやはや…」

「だけど、『知識の紅珠』は一体どこにあるのかしら。あたしが青竜に聞いても彼は答えてくれなかったわ」

ロスヴァイゼが急に三人の間に割って入った。その言葉で全員がそのことを思い出し、揃ってそのことに頭を抱えることとなった。しぱらく時間が過ぎたころ、今までクラーケンの放った『幻惑』の呪文で消し去られたことになっていた黒騎士がコソコソと何か細工をしているのに、退屈して辺りを見回していたレルムが気付いた。彼は他の皆に黒騎士の存在を告げ、アレクゲルグが『暗闇の鎧』の力を使って背後から忍び寄り一撃の下に黒騎士を血の海に沈めたとき、彼らは思った。

『早いうちに片付けておけば良かった』と…。

気がついたときは既に遅かった。黒騎士はクラーケンの指示でエターナリャスのかけた『沈黙』を解いていたのだった。彼女は再び取り戻した声で『分解』の呪文を高らかに朗詠する…。


「…よくも…この私にここまで屈辱を味わわせてくれたな!ギルガメッシュ!この肉体の持主に一番関係の深いお前からまず地獄に送ってくれる!」

クラーケンの声はまさに狂気を孕んでいた。そしてその呪文が完成間近になったとき、異変は起こった…。

『止めて!もうこれ以上みんなに迷惑をかけないで!』

その声はクラーケンの中から聞こえた、若い女性の声だった。

「お…お前は…。三百年前に死んだのではなかったのか!?」

クラーケンは狼狽した。そしてその声を聞いたギルガメッシュは喜びに顔をほころばせた。

「カイ!生きていたのか!」

『『ええっ!?』』

ギルガメッシュの言葉はテュロス達を驚かすのに十分すぎた。

『お願い!これ以上過ちを繰り返さないで!私の意識が生きている限りもう貴方の好き勝手には振る舞わさない!』

「ええい!黙れっ!私はようやく三百年間の封印を解かれたのだ!三百年前はお前とギルガメッシュに邪魔をされたが、今はもうそうはいかんぞ!」

『それはどうかしら。私が貴方と同化している限り貴方のことは総て私のことでもあるのよ!』

「ま…まさか…」

クラーケンの顔に焦りの色が見え始める。

『ギル、そしてそこにいる皆さん。クラーケンを封じる『知識の紅珠』は…』

「だ…黙れっ!黙れーーっ!」

クラーケンは頭を押えてうずくまった。クラーケンとカイ、二人の意識は今、彼女の身体の中で外の人間には見えぬ戦いをしているのだった。

『『知識の紅珠』は『人魚の入り江』の底に沈んでいます!
 …クラーケン。貴方が無理やり隷属させた『水龍の家系』、彼らが貴方を長い間ずっと欺き続けていたことに気がつかなかったようね。彼らは仮にも海神ネプトルの近衛隊の家系。その彼らが本気で貴方のような邪悪な者につくと思って?』

カイの言葉は全員に衝撃と希望を与えた。その言葉にクラーケンは動揺し、テュロス達はギルガメッシュとエターナリャス、そしてブリュンヒルデを残して『人魚の入り江』へと引き返して行った…。

「ま…待てっ!お前らに紅珠は渡さん!」

クラーケンはテュロス達の後を追おうとしたが、それはギルガメッシュ達に阻まれた。

「お前にはここでじっとしていてもらおう。お前をカイからひっぺがすまでな!」

ギルガメッシュの声からは新たな使命感に燃える彼の意気込みが伝わるようであった。

「お…おのれえっ!」

クラーケンは短い呪文を唱え指先から小さな光をギルガメッシュに向けて放つ。それは彼の目を失明させる目的で放たれた『光球』の呪文だった。

「無駄よ!貴女が沈黙させられている間私が手をこまねいていたとでも恩ったの!?」

ブリュンヒルデの言葉のとおり、『光球』の呪文は彼の目の前で何かに阻まれその威力を完全に殺がれた。彼女はこうなることを予想して、あらかじめ『防御結界』の呪文を辺り一面に展開していたのだった。…勿論、この呪文はある程度までの弱い呪文しか防ぐことはできないのであるが…。

「助かったよ。あれを喰らっていたら私は全くの無力になってしまうところだった」

「別にそうなっても私がすぐに冶してあげますよ」

エターナリャスはやもすれぱ忘れられがちな自分の存在を誇示するように口を挟む。

「ええい!こうなればそんな結界など通じぬくらいの呪文で貴様ら全員を吹き飛ぱしてくれる!」

クラーケンは再び『爆裂』の呪文を唱え始める。そしてその光が最高点に達し彼女の手を離れた瞬間、ギルガメッシュは背中に結わえていた楯を手に駆け出した!

「ギルガメッシュ!」

ブリュンヒルデは彼の身を案じて叫ぷ。


…しーん…


爆発は起こらなかった。ギルガメッシュは『爆裂』の呪文が炸裂する寸前に楯で呪文を受け止めたのだ!

「ふう。私としたことが戦いの神アヌから授かったどんな呪文も無力にするこの楯のことをすっかり忘れていた…」

「脅かさないで下さい!…もう。そういった便利なものがあるのならもう少し早く気付いてくださいね…」

ギルガメッシュの周りをひやひやさせた行動にブリュンヒルデはすっかり呆れてしまった。


戦いは続く…。果たして先に力尽きるのはクラーケンか、それともギルガメッシュ達か…?それは神のみぞ知ることである…。

2

ギルガメッシュ達がクラーケンとの激しい死闘を繰り広げているころ、テュロス達は一路『人魚の入り江』へと続く道をひた走っていた…。

やがて青竜から教わった道を抜け、彼の棲み家へと出た。青竜はテュロス達が別れたときと同じく安らかな寝息を立てて眠っている…。テュロス達は彼を起こさないように慎重にその場を去ろうとした…。

テュロス達が彼らが開けた岩壁から外へ出ようとしたとき、彼は不意に目を覚まし、彼らに話しかけて来た。

「今日はつくづく来訪者の多い日だ。…おお。誰かと思えばロスヴァイゼではないか…。クラーケンはもう封じ込めたのか?」

「すみませんが…。今貴方とお話しをしている時間は私達にはないのです。クラーケンを封じる『知識の紅珠』、それを取りに行くために私達はここを通ったものですから…」

「…そうか」

彼はそう言うとまた眠りについてしまった…。

青竜が眠りについた後、テュロス達はまた元のようにゆっくりと静かにその場から去る…。今度はもう彼は目を覚まさなかった。

しばらくの間、彼らの身には何も起こらなかった。やがて彼らは見覚えのある入り江に出た。ここがテュロス達が初めて実戦を経験した場所でもある『人魚の入り江』だった…。

「テュロス様!どうしてここに舞い戻られたのです!?」

彼らを初めに見付けた珊瑚の槍を持つ金髪の人魚、ディズカが叫ぶ。その声で彼の横にいたテテュスがまだ別れてから一日も経過していないにもかかわらずとても懐かしそうな顔で彼らを迎えた…。

「どうしたのです?まだ誰かが戦っているようですが…!?」

「話は後だ。君達にお願いがある!」

テュロスは焦り口調でテテュスと彼女の周りにいた人魚達にこれまでの経過と自分達がここに来た訳を説明した。

「…分かりました。…ディズカ!早速潜って真っ赤な紅珠を探すのです!」

「御意に…。…おおい!動ける者は今すぐ潜って真っ赤な宝石を探すんだ!」

ディズカは入り江全体に響き渡るような声でそこにいる人魚全員にその旨を告げた。そのとき、動けたのはディズカを含んで僅か十人だけだった。彼らは全員揃って入り江の底を浚うようにして隅々まで探したが、結局紅珠は見つからなかった…。

「申し訳ございません!我ら一同全力を尽くしましたが見つかりませんでした」

ディズカは自分達の失敗を梅やむかのように悔しげに結果をテテュスに報告した。

「貴方達がそこまで気にすることはないわ。あたし達が無理なことを頼んだんだから…」

「いいえ…。貴女達にご迷惑をおかけしたことに対するせめてもの償いですから…」

ここまで言ったとき、テテュスは何かを思い出したようだった。

「…私がまだ幼いころ母上から聞いたことがありましたわ!確か『知識の紅珠』は私の母上が入り江の底から…そう、あの岩場の下にある隙間に隠していたはずです!」

彼女はそう言ってテュロス達と初めて会ったときに自分が腰掛けていた岩場を指さした。

『それは良いことを聞かせてもらった!裏切り者テテュスよ、我が制裁を受けるが良い!』

その声にテュロス達は聞き覚えがあった…。地獄の底から響いて来るような重圧感をもった声…。海魔クラーケンの声だった。

テテュスを初めとする人魚達はその声に動揺し、中には必死で逃げようとする者もいた。テュロス達は各々の武器を構え、迫り来る奴の攻撃に備える…。辺りに緊張が漂い、そこに居合わせた者達全員の心に絶望と抵抗が交錯し始めたころ、漆黒のローブを纏った彼女は彼らの前にその姿を現した…。

「お…お前は…ギルガメッシュさん達と戦っていたのではなかったのか!?まさか…」

テュロスの言葉には自身の中に沸き起こる悪い予感を信じたくない様子が明らかだった。

「フフフ…。そう焦らずとも良い。奴らはまだ生きている。…ただ、ちょっと私の幻影と遊んでいるだけなのでな。テュロスよ、返事はまだ変わらぬのか?」

「変わるものか!誰がお前なんかに『水龍の剣』を渡すか!」

「ほう。…まあ良い。お前とはまた後で遊んでやる。それよりもまず内輪の問題から片付けさせてもらわぬとな…」

そう言うとクラーケンはテテュスの方を向き、そして短い呪文を唱える…。

「きゃぁぁぁ…」

『『テテュス!』』

テュロスとロスヴァイゼがテテュスのそばに駆け寄ったとき、彼女は既に虫の息であった…。

「貴様ぁ!テテュスに何をした!?」

「別に…。ただ私への背信行為に対するお仕置きをしただけだが…。少し強すぎたようだ。…たかが『精神破壊』の呪文くらいで…情けないことだ…」

「てめえ…。もう許せねえ…。カイさんの肉体を乗っ取り、あげくの果てに、テテュスに向かってしたい放題…。てめえの腐り切った性根を俺がこの手で叩っ斬ってやる!」

「できるかな?お前の腕で?…そうまで言うのなら仕方がない…。『水龍の剣』のために最後まで生かしておこうと思ったが…今すぐくびり殺してやる!」

クラーケンはテテュスの方からテュロスの方へと目線を向け、そして今まで虚ろに開いていた目をかっと見開いた!

「死ねっ!」

「テュロス様!クラーケンの目を見てはいけません!」

テテュスがクラーケンとテュロスの間に割って入る!

「テテュス!」


ピシッ…


「テテュス様!」

ディズカが叫んだとき、テテュスはもう息をしてはいなかった。彼女はテュロスを庇ってクラーケンの石化光線をその身に受け、石像となって入り江の縁に横たわっていた…。愕然とするテュロス達。その光景を尻目にクラーケンは「外したか」と言うような顔でもう一度テュロスに向かって光線を放とうとした。

そのとき…


カッ


「ぐ…ぐおおお…」

突然の光がクラーケンを襲い、その目を完全に潰された。遠くから複数の人間の足音が聞こえて来る…。ギルガメッシュ達がクラーケンの幻影を倒し、テュロス達の援護に来たのである…。

「どうやら間に合ったみたいね。黒騎士の屍体に『幻惑』の呪文をかけて時間稼ぎをするなんて…貴方本当に『海魔』を名乗る資格があると思って!?」

「カイ!安心しろ!もうすぐお前からそいつをひっぺがしてやるからな!」

「ブリュン義姉、それにギルガメッシュさん!」

テュロスは『待ち入来たれり』と言うような顔で言う。

「お…おのれぇ…。私はこのままでやられはせぬ!どうせ果てるならお前らを道連れにしてやるわ!」

クラーケンは複雑な印を結び高らかに呪文を詠唱する。しかも今回のそれは普段よりも遥かに長く、彼女の表情も危機追るものがあった…。

「…『爆裂』か!?」

ギルガメッシュはその呪文の解釈に戸惑う。

「『爆裂』ではありません!これは…まさか『隕石雨』!?」

ブリュンヒルデはその答えに驚愕した。

『『何だって!?』』

全員が一度に叫ぷ。

――こんな狭い場所でそんな呪文を使えばその効果は数倍にはねあがりこんな小さな島など一瞬で潰滅させてしまう…。クラーケンは討たれて果てるより、自分を倒しに来た者達全てを巻き込んで自殺しようとしているのである…。

「フハハハハ!死ねい!古き神々の後継者ども!お前らのような『光』が存在する限り『闇』は決して消えぬ!私がここで果てても私の遺志を継ぐ者はいつか必ず現れるわ!」

クラーケンの顔には狂気の表情が見えていた。もう間もなく呪文の詠唱が終わろうとしていたとき…


『止めてーっ!』


辺りにカイの意志が飛ぷ…。その意志にクラーケンの意志はかき消され、『隕石雨』の呪文も中断された…。

「おのれっ!ここまで来てまだ私の邪魔をする気かっ!?」

『殺らせないわ…。貴方は私とここで果てるのよ…。…誰にも迷惑はかけさせない…。私達が犯した罪は私達の死によってしか償うことはできない!』

「カイ!」

ギルガメッシュは喜色ばんだ顔で叫んだ。

『ギル…。ごめんなさい…貴方との約東、果せなかった…』

今やカイの肉体はクラーケンの支配から逃れ、カイ自身の意志によって動いていた…。彼女は小さな声で、しかし朗々と最期の言葉を口にする…。その言葉は彼女の命の炎をかき消すかのように、周りの者の心を震わせた…。

「カイ!止めるんだ!それだけは…止めてくれえ!」

ギルガメッシュはカイに近付こうとしたが、それはもはや叶わなかった。彼女は自分の周囲に結界を張り、誰もそこに近付けないようにしてしたのである。

「畜生!もうどうすることもできないのか!何か…何か方法はないのか!?…そうだ…」

テュロスは手に持っていた『水龍の剣』に目を落とす。そして彼は何かをつかんだかのように、それを入り江に向かって掲げた。

「…『水龍の剣』よ!俺に力を…カイさんを救ってくれえ!」

テュロスの心に応えるかのように『水龍の剣』は岩場に向かって光を放つ!そしてその光の指し示す先には…彼らの捜し求めていた『知識の紅珠』があったのである!

「ディズカ!急いで取って来てくれ!」

「分かり申した!」

ディズカは威勢の良い返事をすると水の中に潜って行く…。そして、彼はそれから一分も経たないうちに『知識の紅珠』を手に上がって来た。それを受け取ったテュロス。…しかし、彼にはクラーケンの封じ方が分からなかった。

「どうすればこの力を使ってクラーケンを封じ込められるんだ!?」

「テュロス!その紅珠をカイに向けて翳せ!そして『盟約の時は来たれり!』と唱えろ!」

そう彼に助言したのはギルガメッシュだった。

「よ…ようし…」


テュロスは剣を鞘に収め、そして『知識の紅珠』をカイに向けて翳す…。自身の中からと外からの攻勢に狼狽するクラーケン。そしてカイの唱える『消去』の呪文が完成する直前…

「ネ…ネプトルの名において命ずる!盟約の時は来たれり!」


グオォォォォォ……


断末魔の叫びと共にクラーケンは地に倒れ、その禍々しい重圧感を持った意志がカイの中から消える…。そしてそれと同時に彼女の顔からは先程までの狂気に満ちた表情も消え、ギルガメッシュの知っている彼女へと戻っていた。

「ギル!」

「カイ!」

三百年もの長きにわたって引き裂かれていた恋人達が今互いをしっかりと抱き締め合う…。二人の瞳は感激の涙で曇り、互いの温もりを感じ合っていた。テュロス達はそれを静かに見守り、しばらくすると石化されていたテテュスも元の姿に戻っていた。海魔の呪いは完全に解けたのである…。

「ありがとう。皆さん。お陰で邪悪な意志から解き放たれました。本当にどうもありがとう」

カイがテュロス達に礼の言葉を述べる。

「良かったですね。…さあ、俺達もこの紅珠を元どおりにしないと…あれっ!?」

テュロスは驚いた。そう、確かに自分の手の中にあったはずの紅珠がなかったのである。そして、アレクゲルクの姿も、その場から消え失せていた…。

「テュロス!あそこ!」

ロスヴァイゼがアレクゲルクを見付けたとき、彼は紅珠を握り締め、洞窟の出口へと行こうとしていた。

「アレク!一体どこへ行く!?」

テュロスはアレクゲルグを問いただす。しかし、彼はその問いかけに対して…

「フフン。テュロス、お前は本当に馬鹿だな。こんなお宝を目の前にして素直に元どおりにしようなんて、な…。本当にお笑いだぜ」

アレクゲルグは一笑に付してテュロスをばかにした。

「何だと!?…お前こそ馬鹿なまねはよせ!一体それをどうするつもりだ!?」

「決まってんだろ!?これであの青竜を脅して宝を手に入れるさ!」

「宝ですって!?」

それはテュロスではなくロスヴァイゼが訊いた。

「そうさ。お前が読んでくれたんじゃねえか。『猛き者は宝を取り』ってあの金の板に書いてあっただろ!?俺は今からそれを取りに行くのさ。お前にも少し分けてやろうか!?」

「馬鹿なこと言わないで!宝ならもう貰ったでしょう!?これ以上何が欲しいの!?」

「もう貰った…だって!?一体俺達は何を貰ったって言うんだ!?何も貰ってないじゃねえか!嘘つくんじゃねえ!」

「いいえ。貴方は確かに貫っているわ。青竜の宝を…。彼が持っていたものは『勇気』と『団結』、これからの貴方達に必要なもののはずよ」

ブリュンヒルデは静かに言った。しかし、彼はそれを全く信じようとはしなかった…。しかし、幾度にわたる説得の末、ようやく納得した彼は、とうとうこんなことを口にした。

「ほ…ほう。あいつぁそんなくだらねえのしか持ってなかったのかよ…。じゃあ、あいつの所へ行くのは止めだ。これから俺は地上に帰って世界中の宝をこの手にしてやる!この『知識の紅珠』さえありゃあ怖いものなんかねえぜ!じゃあな義姉さん!あばよ!」

「アレク!待ちなさい!」

ブリュンヒルデの言葉に全く耳を貸さず、アレクゲルグは行ってしまった…。テュロス達は懸命に追いかけたが、『暗闇の鎧』を身につけている彼に追い付けるはずがなかった…。

3

アレクゲルグが『知識の紅珠』を持ち逃げしてしまった後、テュロス達は『人魚の入り江』でエターナリャスの治療を受けながら、今後のことを話し合っていた…。

「どうするのテュロス。これから?」

ブリュンヒルデはそれとなくテュロスに聞いた。

「そのことなんだけど、義姉さん。俺は紅珠を取り戻すためにアレクを追って旅に出ようと思うんだ」

「そう。じゃ、それは私からお父様に伝えておくわ。…ロスは?」

「あたしは…テュロスについて行こうと思うの。相手はあのアレクよ。あいつ一人じゃ街角でグサリなんてこともありえるし、誰かが背中を守ってあげないと」

「お…俺は別にいいよ」

テュロスは嫌そうな顔で言った。

「後ろから袈裟斬りにされたの、どこのどなたでしたっけ?」

「わ…分かったよ」

今度は彼も何も言うことができなかった。その情けない様子は暗く沈んだ雰囲気を明るくする材料になった。

「フフフ。で、レルムは?」

ブリュンヒルデは笑いながらレルムに聞く。

「僕は村に残るよ。アレクもいないし、テュロスとロスも行っちゃったら義父さんが寂しがるものね」

「そう。それじゃあ私と一緒に帰りましょう、レルム」

「また『飛行』の呪文で?」

レルムは冗談紛れに聞いた。

「『飛行』!?ちょっとレルム、それどういうことなの!?」

「落ち着いて、ロス。貴女達を追って来るときに絶対的な距離の差があったでしょう。それを埋めるために私が使ったの。…三人を連ぷのはちょっと辛かったけれどね」

「そうだったの。それで納得がいくわ。あそこで義姉さん達が現れたことのね」


話がまとまったころ、彼らの輪の外側に座っていたギルガメッシュが立ち上がり、全員に聞こえるように言った。

「テュロス、それに今回私達の不始末の片付けを手伝ってくれた皆さん。私はこれまでクラーケンとなったカイを捜して流浪の旅を続けていました。…少し虫の良いことかも知れませんが、私とカイを貴方達の村の住人にしてはいただけないでしょうか。私達はこの戦いを最後に武器を捨てて普通の生活を送りたいのです」

ギルガメッシュの言葉は、その場に居合わせた者から大歓迎を受けた。そしてブリュンヒルデは帰った後その旨を父に話すことを約束し、きっと彼らを新たな村の住人と認めてくれるだろうと言った。

「さあ、新しい仲間も入ったことだし、村へ帰ろう。テュロスやロスも、旅立つのはいったん村へ帰ってからでもいいでしょ?」

「ああ。義父さんに今までのことのお礼を言っておかないとな」


こうして、テュロス達の最初の冒険は終わった…。しかし、テュロスの胸には新たな決意――クラーケンを封じ込めた宝珠を手にして去って行ったアレクゲルグを追うこと――が沸き起こっていた…。

この旅で彼らの学んだことはどれだけ大きなものだったことか。だが、この話は次のテュロスとロスヴァイゼの冒険へと続く。それは、また次の機会に…

―続く...?―