Phase-5 "遭遇"
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『異邦人』――外から来たもの。時にそれは蔑称となり得る。
外から来たもの――『どこ』から来たのか、それを聞いたのは、いつの頃だったか……
「……くぅっ!」
スズネはペダルとスティックを巧みに操り、X105の横滑りを防ごうとする。が、それでも外から見れば、今、巨大なモビルスーツがたたらを踏んだようにしか見えないだろう。
まだX105のオートバランサーは完全ではなかった。同じX100系のX102、X103と違い、やや特殊な装備を有することが原因だったが、それでもX102、X103からのフィードバックが後回しになっていたのも事実だ。『G』のロールアウトは公式にはコズミック・イラ71年1月20日とされているが、あくまでこれはメーカーから連合軍に引き渡された日のこと。この日を以て『G』各機は工業製品から兵器へと変貌を遂げ、所属軍の識別マークを掲げることができるようになる。ただそれだけのこと。実際にはそこからで、本当に『使える兵器』にするまでの時間がどれだけ短縮できるか、密度を高めることができるかで、その兵器の価値が決まる。メーカーによっては自前でそこまでの鍛錬をしてしまい、同じ兵器を扱わせても正規軍より上手く扱ってしまう、ということもまれに存在するが、これはあくまで例外だ。
スズネはX105を起動させた後、直ちにX303を追った……が、それは目の前に現れたザフトのモビルスーツ『ジン』によって阻まれた。ジンはX105も捕獲、あるいは破壊しようとしているのだろう、こちらを無力化させるように攻撃を仕掛けてくる。破壊と捕獲、どちらかと問えば、できれば捕獲したいのだろう。ただ、こちらも早々手が出せる状態ではなかった。理由は簡単。どこの世界にメンテナンスデッキでのデータ取りする機体にフル装備する馬鹿がいるか。いくらセーフティが利いているとは言っても、人間は完璧ではあり得ないのに。こういう場合、外せるものは外しておくのが常識。このため、X105は固有装備以外全く装備していない状態で起動し、初の実戦に臨むことになった。
「……イーゲルシュテルンもせいぜい2秒撃てたら上等、あとはアーマーシュナイダーだけ……か……森林地帯へ移動したいけど、行かせてくれそうにないか……」
スズネは現在の装備を再確認する。が、これも一瞬目をやったに過ぎない。目の前のジンは76ミリ重突撃機銃の攻撃が当たらないことに業を煮やしたか、重斬刀を抜き、斬りかかってくる。これも何とか躱したが、その際の横滑りがコクピットを激しく揺さぶった。
「……ちょっと、キツいかな?でも、やるしかないか……」
スズネは誰にも聞かれないように小さく呟く。そして、大きく振りかぶる斬撃をまた一撃、躱した。
「……躱した?ナチュラル風情が……生意気なんだよ!」
ミゲル・アイマンは苛立ちを隠しきれないでいた。目の前の、連合の新兵器――暗灰色のモビルスーツに。牽制目的とはいえ、重突撃機銃の射撃は全て躱された。そして、今の重斬刀の一撃も。躱した後に必ずバランスを激しく崩すが、転倒するほどでもない。オートバランサーが未完成と言うことか。それならば……と、重突撃機銃をフェイントに重斬刀で斬りかかろうとしたとき……相手の姿が消えたことにミゲルは『黄昏の魔弾』らしくない失敗をした。今まで横に躱し続けた敵に対して、同じように躱すと思っての攻撃……だが、今度は相手が身を屈め、ショルダーチャージを仕掛けてきたと気付いたのは、コクピットが激しく揺さぶられ、機体が激しい衝撃とともに近くのビルに背中から突っ込んだときだった。
「……回避行動は最後まで同じ機動を続けろ、先に音を上げた方が墜ちる、って昔のサムライ・エースは言ったけど、明らかに狙ってくるんじゃ逆襲してくださいって言っているようなものね……」
(……やっぱり、凄い……)
連続した戦闘機動に肩で息をするスズネ。マリュー・ラミアスは『彼女がここまで戦えていること』そのものに驚嘆していた。恐らく、自分がX105を操っていたなら、歩かせるだけで精一杯だったろう。いや、自分だけでない。他のテストパイロット達も、死者に鞭打つようだがここまでのことすらできなかった。さすがの彼女もマニュアルでバランサー制御を行うには無理があるのか、先程から振り回されているようだが。
X105のOSが一番完成度が低いことは、技術主任である自分が一番よく解っている。他のXナンバーが全て装備がある程度固定されているのに対して、X105だけは装備によって機体バランスが大きく変わるため、その調整が難航していた。それ以前に、地球連合軍にモビルスーツ用のまともなバランサーのプリセットデータなどない。一から作る必要があったのだ。機体はオーブのモルゲンレーテ社に委託したが、OSや装甲等の特殊装備は機密保持のため外部への委託は行わなかった。これが完全に裏目に出た。ハードは良くてもソフトがお話しにならない状態――それが今のX105。コーディネーターならこの辺も自前で何とかしてしまうのだろうが、ナチュラルはそうもいかない。ナチュラルの中でも突出した操縦技能を有するのが目の前にいるスズネ・サハリン・アマダ少尉――まるでモビルスーツのコクピットを揺り籠に生まれてきたような彼女――でも、未完成な機体ではその能力を発揮しきれないでいる……マリューは現在の状況をそう判断していた。
――せめて、これが彼女が乗り慣れたX102、またはX303だったら――現在の状況を打破するには、今自分達だけでなく彼女がX105に乗っているという神の悪戯に加えてもう一つ、駒が必要だと、マリューは感じていた。
今まで乗ったどの絶叫マシンよりも強烈な動きに、キラは猛烈に込み上げる嘔吐感と戦っていた。右へ右へ、激しく揺さぶられるコクピットブロック。男の自分がこうなのに、女性の二人が何ともないのは、やはり大人だからなのだろうか……とも思ったが、口には出せずにいた。
それと同時に、キラはシートのスズネの操縦方法に違和感を感じていた。避けてばかりで攻撃を仕掛けない、操作に素人目で見ても無駄が多すぎる……今し方反撃に転じたが、それすら地に足が着いてないと感じていた。
(これって……)
途端、キラの体を再び激震が襲う。起き上がった敵のジンが重斬刀で斬りかかってくるのを、躱したためだ。その時、キラはモニターの端っこに驚愕の表情を浮かべる見知った顔……ミリアリア・ハウの姿を見た。逃げ遅れた彼女達が、今、自分がいる場所とそう遠くないところにいる。いや、今戦っている場所がゼミのあったビルの側なのだ。
更に身を乗り出したとき、もう一度激震が体を襲う。身を乗り出した不安定な体制のキラはスズネの胸に頭から突っ込む恰好になった。
「……!?危ないからじっとしてて!」
窒息するほどではないが、息苦しさから顔を上げたキラは慌てて元の位置に戻る。その頬に、手に触れた柔らかな感触も、今は感じている暇すらない。その一瞬の隙に、ジンの重斬刀がモニタ一杯に広がっていた。
(やられる!)
キラは咄嗟に目を閉じる。だが、スズネとマリューは違った。マリューは毅然と相手を睨み付け、スズネは慌てることもなく落ち着いた様子でコンソールパネル横の『Phase Shift』を書かれたボタンを押していた。
ミゲル・アイマンは勝利を確信した。敵の足が突然止まった一瞬に、重斬刀の一撃を見舞うことができたのだ。しかし……その表情は一瞬にして驚愕へと変わる。
敵モビルスーツの装甲が、突如として暗灰色から白を基調として、胸が青、胴体が赤のトリコロールへと変化した。そのまま敵は両腕を交差させて重斬刀の一撃を受け止める。通常ならばあり得ない行動。そして、敵には何ら損傷の欠片も見えない現実。そこに、彼は一つの結論に達する。未だザフトも実用化できていない技術に。
「……フェイズシフトだ……と……!?」
その言葉も最後まで発することを許されなかった。体を入れ替えた敵の動きにつんのめったジンはもう一度手近なビルに叩き付けられていたからだ。
激しい衝撃にキラは咄嗟に『やられた』と思った。しかし、モニタにはビルに叩き付けられたジンが映っている。
「ジンのサーベルなど、この『ストライク』には通用しない!」
マリューが傷の痛みも忘れたかのように、拳を握りしめ叩き付けるように言い放つ。しかし、追い討ちをかけるように放たれた
「……ストライク?……でも、これって……」
まだ足許にはミリアリアやトール達がいる。キラは居ても立ってもいられなくなり、ついに声を上げた。
「……何をやってるんです!こんなのに乗っているんだったら、さっさと何とかしてください!」
言いつつ、キラは計器類をチェックする。そして、頭を掻きむしりたい衝動を抑えつつスズネに迫る。
「……無茶苦茶だ!二足歩行させてるのにオートバランサーもまともに動いてない!こんなお粗末なOSでこれだけの機体を動かそうだなんて!」
「……仕方ないでしょう!まだ試験中、碌にフィードバックもできていない状態で起動させたんだから!」
「……ああっもう!どいてください!」
瓦礫の中からジンが立ち上がり、再び迫ってくるのを見ながら、キラは叫ぶ。
「……僕だって、死にたくないんです!早く!」
その時のキラの表情、それは牙を剥く野獣のそれだった。スズネを押しのけてでもシートに割り込もうとするキラ。ついにスズネからシートを奪い取ると、シートの横からメンテナンス用コンソールを引き出して猛烈な勢いでキーを叩き始める……
それからのストライクの変貌……それは敵対していたミゲルが一番感じていた。突然、軛から解き放たれた獣のように大地を蹴る俊敏な動きに翻弄され……手にした一対のナイフによってジンの戦闘能力が奪われたとき、彼は敵を道連れにした機体の放棄を決意した。
「……?!早くジンから離れて!」
アーマーシュナイダーによって電装系を破壊され機能停止に追い込まれたジンからパイロットが脱出するのを見たマリューは、キラにジンからストライクを離すように指示する……が、キラにはそれが何のことかすぐには理解できなかった。キラがマリューの言葉を理解したのは、目の前のジンが自爆装置を起動させて爆発した衝撃にコクピットを揺さぶられたとき。だが、それを突然だと考えていたのはキラだけで、マリューとスズネには予想される結末だったため、身を乗り出したスズネの操作でX105――ストライクは何とか転倒せず体勢を立て直すことができた。
「……はぁ……はぁ……」
肩で息をするキラ。彼の様子を見ていたスズネとマリューは、二人とも同じことを考えていた。
先程、スズネから強引に主導権を奪い取った彼の取った行動、その凄まじい勢いのタイピング速度は、ナチュラルではあり得ないものだった。そして、初見のOSのセキュリティホールを突き管理者権限を強奪し、駆動系プログラムを書き換えるこの能力……これも、天才ハッカーという陳腐な言葉、いやそれ以前にナチュラルでは考えられないものだった。つまり……彼は……
「……ほう。ミゲルが機体を失ったか。その新型、ここで始末をつけねばその代償、我らの血で贖うことになりかねんな……」
ミゲル・アイマンのエマージェンシーを受けたクルーゼ隊の隊長、仮面の士官ことラウ・ル・クルーゼはそう言って麾下の部隊にD装備への換装を指示する。
D装備――それは要塞や拠点攻略用の最重装備だ。たかがモビルスーツ相手には、オーバーキルも過ぎるもの。ましてや到底コロニーで使用する兵器ではない。しかし、彼はそれを選択した。
「準備完了次第全機投入しろ。私は先に出る」
副官にそう指示する彼の向かった先……それは彼の愛機、全身を白く染め上げた『シグー』だった。
「……なるべく早くケリをつけなければな。
ラウは独りごちる。それは誰にも聞かれることなく、虚空へと消えた。
『ヴェサリウス』のリニアカタパルトから見える虚空――そこは、まだかりそめの平穏を保っているように見えた。今は、まだ……