Phase-8 "舞い上がる翼"
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嘘だと思えればどれだけマシかと思える出来事。
非情な戦場の掟は、容赦なく私達を包み込む。
もし、あともう少し私があの場所に留まっていたならば……
しかし、彼女の加護なくしては、また生き残ることはできないのだ……
「……う……うん……」
上下の感覚がない。重力制御が切れているのか、体が浮いている。耳の奥にはまだ残響音のような嫌な感じが残っているが、時間の感覚があやふやだ。どうやら、相応な時間気を失っていたらしい。
目を開ける。目の前にあったのは、目から血を流す同僚の顔。肩に触れると、温もりが急速に抜けていっているのが感じられる。背中に触れると、そこには片腕くらいの長さの鉄骨が刺さっていた。恐怖感は、不思議と感じられない。戦場とはこういうもの、小さな頃から両親にそう教わっていたのが、ある意味ありがたかった。
背中が壁に当たる。どうやら、自分は今天井に背を向けているらしい。物言わぬ同僚だったものを押しのけ、天井を蹴ってある場所に向かう。
「……アークエンジェルは……?」
真っ先に考えたのはそれだった。自分が乗艦することになる、地球連合軍の最新鋭艦。あの爆発はドックの方から起こった。そうなれば、アークエンジェルが狙われたと考えるのが普通だ。艦長は、ご無事だろうか?モルゲンレーテにいるはずの、あの頼りない副長は?
「誰か!誰かいないのか!……生き残った者は!」
返事は、どこからも聞こえない。目にするのは、物言わぬ同僚だったもの、部下だったもの、そして、上官だったもの。それほどの距離を移動するまでもなく、ドックに辿り着く。そこにあるのは白亜の巨艦。多少傷付いてはいるものの、健在。安堵の息を漏らす前に、後ろから声がかかった。
「バジルール少尉!ご無事で!」
私の名を呼ぶもの。振り返ると、そこには黒髪の青年下士官、アーノルド・ノイマン曹長がいた。
「……無事だったのは、爆発の時、艦におりましたほんの僅かな者だけです。ほとんどが工員、そして僅かに下士官、兵です……」
「そうか……」
アークエンジェルのブリッジへ移動する最中、ノイマン曹長から報告を受ける。私の顔を見た途端、ノイマン曹長と一緒にいた生存者達の表情がぱっと明るくなったのは、私が現在唯一の士官であること、だけではなさそうだ。本来自分はこういう役ではないのだが、と苦笑したくなるが、こんなことで士気が上がるなら安いものだ。
(こういうことは、彼女の方が上手いんだけど、な……)
それは口には出さぬこと。第一、副長と同じくモルゲンレーテにいるはずの人間に、今、連絡を取る手段がない。いない人間に思いを馳せる暇があるなら、今できることをやる。それが私、ナタル・バジルールだと、思い直す。
アークエンジェルのブリッジは健在だった。最先任士官として艦長席に着いた私は、艦を発進させるための準備をさせる。それに意見具申したのは、ノイマン曹長だった。
「艦を発進させるなど!……この人員では無理です!」
「そんなことを言っている暇があるなら、やるにはどうしたらいいか考えろ!
電波妨害はまだ続いている。モルゲンレーテはまだ戦闘中かもしれんのだぞ!それをこのまま、ここに籠もって見過ごせと言うのか!」
我ながら無茶なことを言うと思うものの、今は一刻を争う。しかし、この場に士官は自分だけ。生き残りの一人ジャッキー・トノムラ伍長に動ける者を全員引っ張ってくるよう命じたものの、ドックのハッチ付近には爆発の影響で瓦礫が堆く積み上がり、進退窮まっている。さっきの言葉はノイマン曹長だけに言ったものではない。自分自身にも言った言葉。今この場に船務科と砲雷科を兼科している自分がいることに、ある種の神の意地悪な悪戯すら感じられた。
「ご命令どおり、動ける者を全て連れてまいりました!」
トノムラ伍長が数名の人員を連れてブリッジに戻ってくる。私は全員を配置し、発進シークエンス開始を命じる。
「シートに着け!コンピュータの指示どおりやればいい!アークエンジェル、発進シークエンス開始!」
命じる私に、ノイマン曹長が食い下がる。
「コロニー外縁にザフト艦が健在です!戦闘などできませんよ!」
「解っている!モルゲンレーテ救援のため、ヘリオポリス内部へ進入する。艦起動と同時に特装砲発射準備――できるな?ノイマン曹長!」
私の気魄に負けたのか、いや、腹をくくったと言うべきか。ノイマン曹長はシートに着いて発進シークエンスをスタートさせる。全員不慣れなため手間取り、叱咤することもあったが、何とかなりそうだ。そして、特装砲発射準備開始前に、私は一つの指示を出すことを忘れなかった。
「特装砲は出力25%以下で発射する!前方障害物と隔壁のみを破壊し、コロニーへの物的、人的被害は最小限に留めろ!最適値はアークエンジェルのコンピュータに算出させ、可能な限りコロニー構造物に損害を与えるな!」
「了解!
……主動力、コンタクト。エンジン、異常なし。『アークエンジェル』全システム・オンライン。発進準備完了!」
ノイマン曹長が叫ぶ。不安を押し殺しているのが丸分かりだ。彼も機械ではない。怖いのだ。そして、それは、私も。だが、今はそんなことをしている場合ではない。
私は腹に力を入れ、少尉任官後初めて艦の指揮を執ることになった今の現状を精一杯受け止める。今、自分がやるしかないのだと――
「気密隔壁閉鎖!総員、衝撃に備えよ!特装砲発射と同時にアークエンジェル起動、最大戦速!
……撃てぇっ!」
一瞬の間をおいて、アークエンジェルの特装砲――一撃必殺の陽電子破壊砲『ローエングリン』が、その無慈悲な破壊の力を解き放つ。それが、この長い長い旅路の幕開けだったと私が気付くには、暫しの間を必要とした……