Phase-13 "交錯の想い"
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あの日の悪夢は、今も忘れることができない。
あの日、一瞬の邂逅。それだけで十分だった。
功を競らず、それでいて敵軍に確実に軛を打ち込む奴は……紛う事なき戦場の悪夢だった――
GAT-X105ストライクを包囲するように遷移する2機の『ジン』。そして、司令塔たる青い『シグー』――ムウはアークエンジェルを包囲していた敵軍が一時退避したことと合わせて、今、ストライクを駆る現状唯一の切り札が出くわした最大の悪夢から彼女を何とかして助け出そうと動き出す。ラウ・ル・クルーゼと同じく機種変更こそしているが、この、全身が総毛立つ感覚は忘れようもない。奴は間違いなくプロだ。コーディネーターという、一種特殊な存在を鼻にかけることのない人種。そういう手合いを敵に回すことは、できうるなら避けたいが、出会ってしまった以上は、全力で抗って抜け出すほかない。今、彼女が墜ちたなら、それはここで戦っている自分達の敗北を意味する。現状唯一残された、ザフトへの対抗手段を失うことは、彼には到底看過できない問題だった。
「……動きに隙がない……狙いが……あうっ!」
後退できない状態で、スズネは何とかして突破口を見つけようとしていた。だが、この操縦練度の差がまともに出る状態で、スズネは敵機に完全に包囲される。目前の青い『シグー』はまだ動かない。動かないのに、それが最大の抑えになっている。狙いをつけようとすると容赦なく他の2機の『ジン』にロックオンされ、そして、ついに被弾した。『ジン』の装備は通常の76ミリ重突撃銃のため、稼働状態のPS装甲は貫通できないが、衝撃まで抑えてくれるわけでもない。シートベルトでかろうじて押さえつけられているような激しい衝撃に、スズネはエースと呼ばれた『黄昏の魔弾』との戦いですら感じることのなかった、訓練や教導、ましてや評価試験では決して味わえない、『事故で死ぬ恐怖』ではなく、生の実戦の『殺される恐怖』を否応なしに味わうことになった。
「……なんて装甲だ!強化
「落ち着けハンス!敵は『黄昏の魔弾』を倒したんだ!甘く見るな!」
ウォルターは半年前の『新星』攻防戦が初陣でまだ経験の浅いハンスを叱咤しつつ、砲戦装備の割に機敏な動きをする敵モビルスーツの優位に立とうと機体を遷移させ――その途中、敵モビルスーツが右肩に装備された大口径機関砲を自分に向けて放つのを至近で躱す。牽制か、それとも見越し射撃を外したのか、それは今は知る術のないこと。ただ、事実として、自分は撃墜されなかった。お返しとばかりに放った一撃は敵に命中するものの、全く動じることのない。上手い具合に敵母艦から引き離したものの、厄介なものだ。そう思いつつ、ウォルターは自分とハンスにこの敵を相手にする機会を与えてくれた隊長に感謝していた。ラウ・ル・クルーゼや、『黄昏の魔弾』が倒せなかった敵を倒す――それが、自分にできる答だと。
「……これじゃ……迂闊には動けない……」
艦長席で歯噛み、思わず呟くマリュー。それと同様にCICを担当するナタルも迷っていた。猛爆撃を続けていた敵機は一時待機状態だが、撤退したわけではない。また、スズネの『ストライク』を救援に向かったムウの『メビウス・ゼロ』も、途中で阻まれたまま『ストライク』まで到達できていない――どうやら敵はこのアークエンジェルへの攻撃は中断しても、艦載機動兵器への攻撃までは中断していないようだ――。この状態で、ナタルは一つの決断を下す。勿論、上官であるマリューの裁断を仰ぐ必要はあるが、ナタルとしては、これは通すつもりだった。
「……艦長代理。本艦はこれより主砲による敵機攻撃を実施したいと思います。許可を」
「……バジルール少尉?本気?」
マリューが驚愕の表情を浮かべる。第一、現状での対空戦闘で防空機関砲以外の兵装、特に主砲と艦対空ミサイル等の使用を禁じたのは、他ならぬ自分だ。今になって言を翻すと思われても、致し方ないこと。それでも、ナタルには勝算があった。
「……はい。モビルスーツが撃破できる程度の出力による威嚇射撃を実施し、機動兵器の連携を断たれた現状を打破します。特に、あの青い『シグー』とその麾下編隊を何とかしないことには、『ストライク』が墜とされます」
ナタルのこの提案に、マリューは迷った。確かに出力調整による射撃はコロニーへの被害を軽減できるだろうが、同時に発生する余剰エネルギーを強制排出するため、砲そのものへの負担が大きすぎると、技術士官としての自分は言うが、艦長としての自分は、今のうちに少しでも事態を好転させたいとも思う。その葛藤は、艦長としての自分が勝った。
「……解りました。許可します。本艦進路そのまま、
「ありがとうございます。……ゴッドフリート1番、出力20%に調整。威嚇で良い。目標、あの青い『シグー』!」
ナタルは許可が出たと同時に、自艦の兵装の強力さをどこまで抑えるか苦慮していた。初起動時の特装砲ローエングリンの射撃は、最終的に自分の計算では甘過ぎ、1%以下の出力であの威力だった。それでも陽電子誘導用のレーザー照射が強力すぎる等で、コロニーへの被害も出た。自分がこの『ヘリオポリス』崩壊の引き金を引くわけにはいかないとの思いと、艦とその搭載機を何とかして脱出させねばならないとの思いが、今の彼女を支配する――
「……ってぇっ!」
ナタルの号令。発射直前にスズネ機とムウ機には警告を発してある。射線上にいるのは全て敵機。これ以上ないタイミングで、アークエンジェルの主砲は初めて実戦の中で吠えた。
アークエンジェルからのアラートメッセージが届いて間もなく、主砲が火を噴いたのがムウにも、スズネにも解った。火線はアークエンジェルを包囲していた『ジン』1機の片腕を吹き飛ばし、その勢いを殺さず『ストライク』を包囲していた『ジン』1機の片足をももぎ取り、青い『シグー』の真横を掠めてコロニーの大地を穿つ。貫通はしないが、その衝撃は十分。囲みを解かれたムウは『ストライク』へと機首を向け、スズネはその得物『アグニ』の砲口を青い『シグー』に向けたまま、零距離の位置まで吶喊する……が、その砲口は火を噴く前に青い『シグー』に掴まれて見当違いの方向へと火を噴き、逆に懐へ入られてしまう。大将格を撃墜、あるいは損傷させて戦況逆転を計ったことが、完全に裏目に出た。しかし、問答無用の反撃を覚悟したスズネの耳に届いたのは、体を砕く砲弾の音ではなく、敵のパイロットからの意外な言葉だった。
『……モビルスーツのパイロット、聞こえるか?』
互換性のない通信装置でも実行できる接触通信から聞こえる聞き覚えのない声。それは接触通信独特の反響音を通しても判る、年季を感じさせる男の声。
『私の名は、ノリス・パッカード。貴殿の名は?』
スズネはこの問いかけに逡巡した。古代の戦場ならまだしも、現代戦において、敵の名を知ると言うことは『相手が的ではなく人間である』ことを認めることだから。人間であると認識してしまったが最後、引き金は引けない。血の通わない兵器を撃破することで、血の通った人間を殺害するという血生臭い現実を糊塗するのが現代戦だ。それでも、スズネはこの聞いたことのない『ノリス・パッカード』というザフト軍人が、何故か知古の人間のようにも感じた。理由は、解らない。けれど、だからこそ、無視するのではなく、答を返した。
「……私は地球連合軍士官、スズネ・サハリン・アマダ少尉……」
相手のパイロットが、息を呑むのが伝わる。スズネは知らなかった。それは、かつて父がなしたことと全く同じことであったことを。そして、この邂逅が意味することもまた、知る由もなかった……