Phase-18 "それぞれの想い"
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「……ふぅ……」
静まりかえった格納庫。現在の艦内時間は午前1時を指している。少し前までGAT-X102『デュエル』の組み立て作業をしていた騒音も、今は一休みの状態だ。誰もいない格納庫の隅に置かれているシミュレータからむせ返るような熱気とともに現れたのは、銀髪の女性士官、スズネ・サハリン・アマダ少尉だった。
「……まだまだ……。もっと早く動けないと、あの動きにはついて行けない……」
真剣な面持ちで、誰もいない格納庫を見据える。転換訓練を始めてから3日目、最初よりは相当動けるようになりはしたものの、まだ納得できるものではない。そう考えるスズネは、キラとの訓練時間及び通常勤務以外のほぼ全ての時間をシミュレータの中で過ごしている。目標は、あの青い『シグー』、ノリス・パッカード――
「……あの男、父さんと母さんを知っていた……」
ノリスの問いかけを肯定してしまったのは、今考えると迂闊に過ぎる。けれど、何故か嘘をつく気にはなれなかった。理由は……解らない。
スズネは袋小路に入り込んだ思いを断ち切るように、格納庫に目を向けた。そこにあるのは、修理の終わったフラガ大尉の愛機『メビウス・ゼロ』と、今はキラ・ヤマトに預けている『ストライク』、そして、組み立て途中の『デュエル』2号機と、もう組み上がることのない『バスター』2号機――ほんの数日前まで、自分が『ヘリオポリス』で『G』の試験を行っていたのが、まるで夢のようだ。『ヘリオポリス』は既になく、奪われた4機の行方も、ようとして知れない。多くのものが失われ、それはまだ終わる気配もない。
「……また無茶をすると、体に障るぞ?」
唐突にかけられた声。スズネが声の方向に振り向くと、そこには連合軍の士官服に身を包んだ女性士官、ナタル・バジルール少尉がいた。ナタルの手にはドリンクパックが二つ。片方をスズネに手渡すと、ナタルはスズネに軽く微笑みかける。
「……士官学校から、変わらないな。スズネは。そうやって無理をして、いつも大丈夫と言い張る。それでは結果を残しても、いつか、絶対後悔するぞ?」
「ナタルも、変わらないよね。世話焼きなのに、そうやって肩肘張って……」
スズネの指摘に、ナタルは赤面する。
「……な!?わ、私は、同期として、親友として、だ、な……」
ナタルがあわてふためくのを見て、スズネはくすくすと笑う。悪意はなく、同期の親友としての笑いだ。
「解ってるって。ナタルが首席、私が次席。士官学校時代からの親友が大切なのは、私も同じ」
「だったら、早く休め。まったく。あのキラ・ヤマトの訓練が4時からなんだろう?睡眠不足で戦えませんでした、なんて言い訳、艦長はとにかく私は許さないからな」
先程の慌てようを誤魔化すかのようなナタルにスズネは苦笑しつつも、彼女の言うとおり休むことにする。今からだと、2時間は眠れる、そう思うと、睡魔は突然襲ってきた。
スズネの後ろ姿を見送ってから、ナタルも格納庫を後にする。後に残るのは、物言わぬ守護騎士だけ。彼らは自らの主が自分を十二分に使いこなしてくれることを待っているかのようでもあった――
――その頃、『ヘリオポリス』からほど近い宙域に存在する、地球連合軍ユーラシア連邦の軍事衛星『アルテミス』は、紅蓮の炎に包まれていた。
軍事衛星『アルテミス』は、ユーラシア連邦の軍事技術の粋を尽くした要塞衛星だった。ユーラシア連邦の独自技術である光波防御帯、通称『アルテミスの傘』に守られたこの衛星は外部からの攻撃を一切受け付けないと豪語し、事実、今までただの一度も『アルテミスの傘』を抜けて攻撃に成功した者はいなかった。
『アルテミスの傘』はどんな物体も通さず、たとえレーザーのような光学兵器ですら透過することができない。そのため、『アルテミス』そのものが中立を謳うオーブの工業コロニー『ヘリオポリス』への睨みとして存在を誇示し続け、そこに碇泊する艦隊は万が一の際の即時戦力としての地位を固めていた……はずであった。
その『アルテミス』が、今、燃えていた。
「……グゥレイトォ!数だけは多いぜ!」
『アルテミスの傘』が消滅した今、軍事衛星『アルテミス』を護るものはない。そこに、長大な2門の砲を連結した人形機動兵器が、傍若無人な攻撃を続けている。ベースカラーがベージュ、胸部をカーキと赤に塗り分けた戦車を思わせるような角張った形状に、頭部の特徴的なV字型ブレードアンテナ、そして背中に装備した2門の砲。それはまさしく4日前に『ヘリオポリス』から強奪された『G』の1機、GAT-X103『バスター』だった。
『バスター』は左側に装備した94ミリ高エネルギー集束火線ライフルに右側の350ミリガンランチャーを接続した対装甲散弾砲モードでの砲撃を続けていた。その加速された砲弾は衛星外壁の防御火器はもとより宇宙港に碇泊している艦船をも易々と貫き、周囲を地獄の業火に彩っている。その『バスター』のコクピットで、『ヘリオポリス』遭遇戦にてこの機体を奪取して以降専属パイロットとなっているディアッカ・エルスマンは、興奮を抑えることもせず酷薄な笑みを浮かべていた。
『バスター』の攻撃に気を取られた一瞬、何もない空間に突然出現する、黒を基調とした人形機動兵器。その左腕に装備されたピック状の武器、ピアサーロック『グレイプニール』が、先端のアームを展開した状態で有線誘導されて停泊中の戦艦に食い込み、一撃で破壊する。GAT-X207『ブリッツ』は、その特殊兵装『ミラージュコロイド』を存分に活用し、『アルテミス』を混乱の
「……強力な傘に頼りっきりで、それしかないって言うのが、貴方達の敗因です」
『ブリッツ』のコクピットでそう敵を評価するのは、ディアッカと同じく『ヘリオポリス』遭遇戦で『ブリッツ』を強奪して以降専属パイロットとなっている、ニコル・アマルフィ。その柔和な顔は、今、ふがいない敵を前に厳しさを増している。
『アルテミス』攻略は、クルーゼ隊による連合軍新型戦艦追撃作戦の一環だった。『ヘリオポリス』に一番近い拠点である『アルテミス』に寄港すると読んでのことだったが、残念ながらそれは叶わなかった。新型戦艦はここにおらず、いたのは常備艦隊だけ。それでも、行きがけの駄賃には十分な相手ではあった。
軍事衛星『アルテミス』の強力な『アルテミスの傘』といえども、常時展開することはできない。敵接近の報を受けて初めて展開するのだ。だが、クルーゼ隊が鹵獲した敵新型兵器の中に、これを無傷で突破できる性能を有するものが存在したことが、『アルテミス』の不運だった。
GAT-X207『ブリッツ』――特殊兵器運用を目的としたこの機体に装備されていた新兵器『ミラージュコロイド』というガス状物質を利用したステルスシステムは、可視光線をゆがめ、レーダー波をも吸収することで、その姿を完全に隠蔽することができる。勿論、『ミラージュコロイド』の噴射時間には制限が存在したため、その時間はせいぜい30分というところ。それでも、『アルテミスの傘』を展開させずに内部に進入することは容易だった。『傘』を展開する間もなく内部に進入された『アルテミス』の運命は、その時、既に決定づけられていた……
「……隊長の判断で二手に分かれて正解でしたね、ディアッカ」
ニコルの言葉に、ディアッカは短く「ああ」と答えただけ。こっちが本命ではなかったことが、ディアッカには不満だった。
……こっちが本命じゃない、ってことは、アスランとイザークがくっついていった、あのオッサンに分があるってことか。こんな連中、いくら叩いても点数にはなりやしないぜ……
ディアッカは独りごちる。クルーゼ隊長が鹵獲機を全機投入すると決定した後、同行しているパッカード隊と新型機を二分して追撃に当たるとしたのだ。クルーゼ隊が『アルテミス』攻略、パッカード隊がデブリベルト捜索となったため、確率は二分の一だったが、自分はハズレを引いたようだった。
……こうなったら、さっさと終わらせて、あっちに合流できるよう上に具申するしかないな……
ディアッカはあくまでニコルにはそれを口にしない。上昇志向の強いディアッカは、同じ評議会議員の子息として、『赤』を纏うトップエリートとして、ニコルや、アスラン、イザークをライバル視していた。そのため、失点は許されない。ディアッカは『バスター』の砲をそれまでと逆に接続して超高インパルス長射程狙撃ライフルモードにすると、『アルテミス』の司令区画に向けて撃ち込む。その砲撃は違わず目標を射貫き、『アルテミス』を虚空に浮かぶ大輪の華に変えた。
『アルテミス』陥落す――その報が第8艦隊、そしてアークエンジェルに届くには、暫しの時間が必要となる。そして、その時間が、彼らの運命を大きく変えることになるとは、まだ、彼らは気付いていなかった……