Phase-30 "ユニウスセブン"
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そこには静寂が横たわっていた。
動くものはなく、凍てついた大地は割れ、かつてそびえ立っていた人間の文明の残滓が全て凍り付いていた。
宙に浮くのは、かつてこの地でごく普通に生きていた者たちの未練。
虚空に浮かぶこの島は、コズミック・イラ70年2月14日午前10時30分のあのときから、永遠に時の流れを凍てつかせていた――
扉を開けた途端、ミリアリアは小さな叫びを飲み込んだ。トールがその小さな肩を引き寄せ、抱きしめる。サーチライトを手にしたキラも、その様子に息を呑む。
――そこに浮かんでいたのはかつて目であったボタンの取れた小熊のぬいぐるみ。そして、その持ち主だったと思われる女の子と、その子を庇うような姿のまま凍てついた、母親らしき女性だった。
「……よく見ておきなさい。そして、よく覚えておきなさい。これが、『ユニウスセブン』。そして、『血のバレンタイン』の結果よ」
スズネが静かに言う。その横でラクスが瞑目する。それに倣ってキラをはじめとする『ヘリオポリス』の学生達――彼らがこの水源確保作戦に選抜された――とラクスを護るために同行したキキも黙祷を捧げた。放射線濃度は既に安全域まで下がっているが、真空でない場所など今の『ユニウスセブン』には存在しない。全員が完全装備の状態で、巡礼者の列のように粛々と進む。
崩壊した、かつて虚空と人の住む世界を区別する空だった場所から進入したスズネ達は、輸送用重機として使用する2機のモビルスーツと輸送船から降りて『ユニウスセブン』の居住区を進んでいる。途中に見たのは、崩壊の傷痕をありありと残す大地の亀裂、金属の壁面に人の形に焼き付いた影、同じくかつて大地だった場所に巨大な影を残すだけのアキシャルシャフト、崩壊したセントラルタワー、そして、凍てついた居住区――言葉を発する者はない。しかし、どこからか風に乗って声のような音が聞こえてくる、人間の愚かさが顕現した場所。かつて空だった場所には絶対の虚空があり、星々が遠く瞬く。星より近い場所で光るものは……かつてこの地の住人であったものか。
その様子は、一行をモニターしている『アークエンジェル』艦上でも彼らと同じ感情を与えていた。特に、マリュー達正規の軍人はあの悲劇に関わっていないとはいえ、あの悲劇を引き起こした地球連合軍、大西洋連邦に所属する軍人なのだ。一言では言い表せない感情がその胸中に宿っている。正しいことだった、とは絶対に言えない。しかし、そう言わなければ、この戦争を起こした大義など存在しないのだ――実際にこの地を訪れて、ようやく彼らは『プラント』に住まうコーディネーター達が自分達を鬼畜にも劣る悪鬼の如く見る理由の一端をかいま見たような気がしていた。
「……旧世紀、あの世界大戦の後にヒロシマやナガサキを訪れた連合軍も、我々と同じ感情を抱いたのでしょうか……」
ブリッジに大写しされた光景に、誰に問いかけるとなくナタルが言葉を口にする。誰もその問いに答えることができない。それほどまでに厳然と、目の前の事実は現実を彼らに突きつける。ここに残っているのはかつて『ユニウスセブン』と呼ばれたコロニーの半分だけ。その半分だけでこれなのだ。消滅した残りがどうだったか、問うまでもない。先人が行った愚行を繰り返したのは、同じ民族の血を引く自分達なのだから……
居住区を抜けた一行は、かつてコロニー内部で『海』と呼称されていた場所に出る。そこにあるのは一面の氷結した大地。息吹くものはこの地を訪れた彼ら以外にはない。かつては海棲生物が泳いだ海も、時には住人達がバカンスを楽しんだであろう場所も、全て氷に閉ざされていた。その凄絶な光景にキラ達は息を呑む。その様子を横に、スズネが持ち込んだ計測器でその凍てついた水が用をなすものかどうかを調べていた。
「残留放射能は問題なし。塩分濃度は解凍した後に濾過できるレベルね。
ヤマト少尉、私達は一旦戻って『デュエル』と『ストライク』を起動させるわよ。他のみんなはここで待機。ミス・クラインとロジータさんも、ここでしばらく待っていてください」
そう言ってスズネはキラを連れて元来た道を戻る。残ったメンバーも、二人が見えなくなった後、誰言うとなくその場に座り込む。
「……これが、アマダ少尉があのとき言っていた『外の世界の戦争』なのよね……」
「……ああ。そうだな。俺達もブリッジとかでモニタ越しにしか見ていなかったものが、今ここにある」
ミリアリアの言葉を受けてトールが続ける。ふと手元の砂だったものをつまむと、それは僅かな擦過音を立てて凍り付いた花のように頼りなく虚空へ散っていく。サイも、二人の様子を無言で見つめていた。
「……この悲劇は、二度と繰り返してはなりません。新たな『ユニウスセブン』を生み出さないことが、わたくし達に課せられた使命なのですから」
ラクスがまっすぐこの世界を見つめたまま言う。その様子には何の迷いも感じられない。政治家の娘としてか、『プラント』の民衆の支持を受ける歌姫としての彼女がそう言わせたのか、それとも……それを知る者はこの場にはいない。だが、彼女の言葉に反論する者もまた、この場には存在しなかった。
やがてスズネとキラがモビルスーツに乗って戻ってくると、『海』から『アークエンジェル』が必要とする真水となる氷を切り出す作業が始まる。ラクスとキキはそれに手を貸すことはなかったが、その作業から目を離すことはなかった。誰もが黙々と作業を続け、それは滞りなく終了する。
作業が終わると、全員で物言わぬ都市部を一望できる丘まで移動する。目的の半分は達したが、まだ終わりではない。ここに来た理由は『アークエンジェル』のためだけではないのだから――
ラクスは自分の出番が回ってきた女優のようにゆっくりと、流れるような動作でキキから『アークエンジェル』の避難民達が作った折り紙の花束を両手に抱えるとしばし瞑目した後大地に供え、ゆっくりと静かに歌を紡ぎ出す。スズネ達の知らない歌。けれど、心穏やかになる歌。ラクスの紡ぐ歌声は凍てついた虚空と大地に眠る人々を安んじ、落ち着かせることができたのだろうか――ふと、ミリアリアは気付く。それまで聞こえていた、声のような音が聞こえなくなっていることに。そして納得する。自分達のように、『地球連合』と『プラント』の人間が一緒にここに訪れた意味があったことに。
「……カメラ、持ってくれば良かった……って、宇宙空間でもカメラって使えたのかな?」
ミリアリアが少し後悔するほど、その光景は幻想的で、美しいものだった。