Phase-32 "静かなる覚醒"
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「……ねぇ、大丈夫よね?パパのフネ、大丈夫よね?」
それはすがりつくような言葉――
「絶対よ。約束したから。キラが、みんなを護ってくれるって」
それは信頼の言葉――
その言葉に嘘をつくつもりなんてなかった。けれど、現実は僕の予想を大きく超える。一つ、また一つ光に還るもの――それは、紛れもない現実だった……
デブリベルト縦断中に奇跡的な邂逅を遂げた先遣隊第一艦隊と『アークエンジェル』。何故奇跡的か、と問われれば、先遣隊第一艦隊はデブリベルトを縦断して『ヘリオポリス』へ向かう航路を取っており、『アークエンジェル』も同じく単艦デブリベルトを縦断して地球圏軌道上の第8艦隊に合流しようとしていたからだ。ともに事前連絡もなくまさに砂漠でダイヤを見つけるかのような確率ではあったが、どちらも無駄足を踏むことなく、特に先遣隊第一艦隊にとっては本来の目的が達せられようとしていた――はずだった。
だが、それを阻むものが現れる。『アークエンジェル』の航路予測から網を張っていたクルーゼ隊。今まさに先遣隊第一艦隊の旗艦『モントゴメリ』と『アークエンジェル』が同航しようとしたその瞬間を狙っての攻撃は、完全な奇襲となった――
「……作業中止!機動兵器各機緊急発艦急げ!」
副長のナタルが号令を飛ばす。警戒態勢で既にモビルスーツデッキにいるであろうスズネに待機中だったキラが合流しようと『アークエンジェル』の通路を走っている時、目の前に彼を呼び止める人間がいた。紅い髪の少女、フレイ・アルスターだ。
「ごめん、フレイ!話があるなら後で!」
そう言って先を急ごうとするキラの手を握りしめ、フレイが懇願する。
「……ねぇ、大丈夫よね?パパのフネ、大丈夫よね?」
フレイが心配しているのは、先遣隊第一艦隊旗艦に同乗している彼女の父、大西洋連邦事務次官ジョージ・アルスターのことだけだ。言外どころか言葉そのものからもそれが知れるが、残念ながらキラはそれに気付けるほどの経験は持ち合わせていなかった。だから、キラは約束する。「僕も出るから、大丈夫だ」と。それがどういう意味を持ち合わせるか、想像することすらできずに。
「絶対よ。約束したから。キラが、みんなを護ってくれるって」
フレイの言葉は深い。その言葉にはムウやスズネ、他の『アークエンジェル』のクルーのことは含まれていないのだから。しかし、キラはそこまで察することができず、フレイの言葉に曖昧な返答をするだけで格納庫へと向かってしまう……それがどんなことを招くのか、気づきもせず。
残されたフレイは去っていく後ろ姿をずっと見つめていた。その視線は純粋でありすぎたが、彼女自身、そのことには気づけるほど大人ではなかった――
「……くっそ。総崩れだ……坊主、左だ!抜かせるな!アマダ少尉、『モントゴメリ』を!」
キラが合流してから即時出撃しての戦闘は、苛烈を極めていた。自身も『メビウス・ゼロ』で『ジン』に立ち向かいながら、ムウが自身が指揮する機動兵器群に指示を飛ばす。本来ならモビルスーツに関する指揮はスズネに任せるつもりだったが、先遣隊第一艦隊の護衛艦が真っ先に撃沈されてしまったことによる戦線の総崩れを打破すべく、『エンデュミオンの鷹』を御旗にすることにしたのだ。だが、それにも限界はある。敵艦は確認されているだけで2隻だが、さっきからムウにはあの気配がしてならない。それはつまり、敵はラウ・ル・クルーゼだと、彼に告げ続けているのだ。しかし、戦場にその機影は見えない。それが彼を苛立たせていた。
「敵は『ジン』以外にあの4機も総出演かよ……まだクライマックスじゃないってのにな!」
独りごちるムウ。そのコクピットにアラートサイレンが盛大に鳴り響く。だが、持ち前の空間認識力で彼はそれが鳴り響く直前に既に回避行動に入っている。それまでムウのいた場所を白熱した光条が貫き、それが目前に現れた敵の正体を彼に告げる。今のは超高インパルス長射程狙撃ライフルの一撃――スズネも撃ったことのあるその射撃を撃てる敵は、彼の知る限り1機種しか存在しなかった。
一方、キラも見慣れた機体とよく似た機体と対峙していた。いや、こちらがオリジナルだ。灰色を基調として額、胸、膝を青く染められたPS装甲を展開する機体。GAT-X102『デュエル』がビームサーベルで斬りかかってくるのを、対ビームシールドで受け流す。ビームサーベルで受け流せられれば攻守一体の反撃に繋げられるのだが、生憎『デュエル』のビームサーベルの刃は『ストライク』のエール・ストライカーに装備されたビームサーベルでは受け流せられない。連合製のビームサーベルで使用されている波長のビームは同種のビーム同士では反発も同化もせず、素通りしてしまうためだ。
たった3機で倍以上の敵を撃退しなければならない。それも、多数の友軍艦艇を護って――それはキラにとっては初めての経験であり、また、先程交わした約束を果たすためにも、絶対にここで退くわけにはいかなかった。
「……くっ……このぉ!」
対ビームシールドで『デュエル』の攻撃を受け流した『ストライク』だが、今のキラでは自分に向かってこない敵機も纏めて阻止できるだけの伎倆はなかった。『ストライク』が『デュエル』にかかずらっている間に先遣隊第一艦隊の艦艇は次々に沈められていく。それは主に遠距離から放たれる『バスター』の下手な艦砲以上の威力を誇る狙撃と、『ミラージュコロイド』を駆使する『ブリッツ』の名前に違わぬ電撃的な攻撃によるものだ。その様子にキラは焦る。だがそれ以上に焦りを感じていたのは、スズネであり、ムウであり、ナタルであり、マリューだった。
「……『ブリッツ』、ロストしました!」
チャンドラII世伍長の報告にマリューは眉をしかめる。『ミラージュコロイド』の性能は自分が一番よく知っている。しかし、この短期間でここまで鹵獲兵器を使いこなすということは、ここで『ブリッツ』を使い潰すつもりか、さもなくば……既に鹵獲兵器の補給問題が解決していることを意味していた。マリュー達は先遣隊第二艦隊がクルーゼらに壊滅させられ、その積荷がその手に落ちたことを知らない。そのため、彼女はザフトが、いやコーディネーターがその能力を駆使してこの短期間に成分解析、コピー、量産までこぎ着けたのではないかと推測していた。
「……コープマン大佐!対空砲火を密にしてください!『ブリッツ』の奇襲を避ける手段はそれしかありません!」
マリューは先遣隊第一艦隊の旗艦『モントゴメリ』の司令官にそう助言する。『ミラージュコロイド』展開中はPS装甲を展開できない。対空火器の実体弾を防ぐためにはPS装甲を展開するしかない。その欠点を突くためだが、それがどれほどの脅威かを理解されているかと言えば、マリューはそれを否定するしかなかった。
「……そちらこそ大丈夫なのかね?私の娘、フレイは無事なんだろうね?」
その通信に一人の壮年の男が割り込んでくる。着慣れないノーマルスーツに着られている印象を受けるその男は、誰であろう自身が所属する大西洋連邦の事務次官様であり、彼女達に膨大な負担を背負わせている張本人だった。
「……ご息女は非戦闘員でありますので、艦内の安全な区画に避難しております。本艦が沈まない限り大丈夫です。アルスター事務次官」
何故文官である彼がこんなところにいるのか……それは間違いなく自分の娘が留学していた『ヘリオポリス』と連絡が取れなくなったためだろう。『ヘリオポリス』が現在どうなったかを知る連合側の人間は『アークエンジェル』乗り組みの自分達しかおらず、またその連絡手段も限られていたため、状況が解らない第8艦隊側も小規模な艦隊を派遣してその様子を探ろうとしたのだ。そこに自身の権力を用いて強引に割り込んだ――それがどういう意味を持つのかも考えもしないところが、やはり親子なのだとマリューは内心判断していた。
「……本当に大丈夫なんだろうね?期待しているよ。ラミアス大尉」
そこで通信は切れる。本当に一方的だ。しかし、だからといって状況が変わるわけでもない。艦長であるマリューは全力で指揮し、副長であるナタルはそれを全力で補佐する。そこに手を抜く者などいようはずもなく。最前線でない場所など、この『アークエンジェル』のごく一部にしか存在しなかった。
「……『イージス』……よくも……ここまで……!」
先程から防戦一方になりつつあるスズネは懸命に機体を操作して『イージス』の両手足に装備されたビームサーベルの攻撃を凌いでいた。
スズネが真っ先に警戒したのが『イージス』の強襲形態から放たれる580ミリ複列位相エネルギー砲『スキュラ』だった。そのため『モントゴメリ』に取り付こうとしていた『イージス』を阻止に回ったスズネは接近戦でその任を果たそうとするも……予想以上に鹵獲機体を使いこなす『イージス』のパイロットに苦戦する。結果、『ブリッツ』と『バスター』が野放しな状態となり、今に至っている。ムウの『メビウス・ゼロ』も奮戦しているが、GATシリーズに正面から太刀打ちするのは難しい。遠距離狙撃を行う『バスター』にも『ジン』が複数機で護衛に回っているとのことで、ムウはそれを抜けずにいる。早く自分が駆けつけなければとの焦りが敵につけ込まれているように感じたスズネはさらに悪循環に陥るという最悪の状況を呈していた。
そんなときだった。その状況を一変させる、通信が彼女に届いたのは。
『……アークエンジェルを……護るんだ!』
それはキラと思しき通信。それが入ると同時に、『ストライク』の動きが急に変わる。ビームサーベルで『デュエル』の脚部を破壊し、そればかりか腰に装備された対モビルスーツ用コンバットナイフ『アーマーシュナイダー』を『デュエル』のコクピット付近に撃ち込んで『デュエル』を沈黙させると、スズネがいるにもかかわらずビームライフルを連射しつつまっすぐ『イージス』めがけて突進する。『ストライク』から放たれるビームライフルの射線を回避するため間合いが離れる――それこそが『イージス』にとっての好機だと気付いたのは、離れながら『イージス』が強襲形態への変形を完成させた瞬間だった。強襲形態の『イージス』の機動力はエール・ストライカー装備の『ストライク』に勝る。当然、そのような装備のない『デュエル・アグレッサー』で追いつけるはずもなく……一気に間合いを離しつつ腹部に固定された『スキュラ』が臨界に達し、その無情な光条が『モントゴメリ』を射貫く。その爆発の最中スズネが射撃後に一瞬動きの止まった『イージス』に肉薄してビームサーベルで脚部を一部切断するのが精一杯の抵抗。鹵獲機のうち2機が損傷したことによりザフトが戦線離脱しなければ、『アークエンジェル』まで沈められていたかも知れない、苦い大敗。敵機が撤退した後も、誰も言葉を発することができなかった。
その沈黙を破ったのは、キラの嗚咽。彼が何故泣いているのか、その本当の理由を知る者はそこにいなかった。