Phase-34 "届かぬ想い"
*
「うそつき!」
その言葉は鋭いナイフのように。
「パパのこと、護ってくれるって言ったじゃない!僕も出るから大丈夫だって言ったじゃない!うそつき!うそつきうそつきうそつき!」
その言葉は容赦なく僕の心をえぐる。
その行為を止めたのは、一つの乾いた音。赤く腫れ始めた頬を押さえることもせず、自分に何が起こったのかを理解するのに暫しの間を要した彼女は、その行動を起こした主に自身の攻撃の矛先を変える。僕はその光景を前に逃げ出すことしか、できなかった――
「……まったく。あの娘ったら……」
地球連合軍所属強襲機動特装艦『アークエンジェル』の艦内通路を歩く、銀髪の若い女性士官。しかし、すれ違う兵達も彼女に敬礼はするが、その雰囲気に
地球連合軍第8艦隊所属スズネ・サハリン・アマダ少尉。彼女は今自身のやや短絡的な行動を恥じつつも、自身に関わった身勝手な人間達へ向けた怒りに震えていた。
「……まったく。大人げない。コドモ相手に何をムキになってるの?私は……」
痛み分け、と呼ぶにはあまりにも不利な戦闘から帰還して、最初に起こったのはあのフレイ・アルスターからの詰問だった。それも、私やフラガ大尉にではなく、キラ・ヤマトへの。曰く、パパの乗ったフネを護ってくれなかった、曰く、自分もコーディネーターだから真面目に戦っていない、とか――正直、それだけで彼女をつまみ出す口実は完璧なのだが、それに輪をかけて事態を混乱の
「……いい加減にしなさいよ!キラが、一体どんな思いで戦っていると思ってるの?親友が乗っているかも知れない敵に銃を向けることが、どれほど苦しいか解ってるの?」
ミリアリア・ハウ――その言動は自分は友人を弁護したい一心、だったのだろうと理解はした。しかし、そのタイミングは最悪だった。フレイにキラ・ヤマトと敵との馴れ合いだと思わせる決定的な要素を与え、同時に私達正規の士官にはキラ・ヤマトが敵に通じる疑惑を持たせた。それも、多数の面前で。
けれど、そんなことに構っている余裕などない。結局、キラ・ヤマトへのさらなる攻撃を開始したフレイ・アルスターの子供じみた(実際子供なのだが)態度に堪忍袋の緒が切れた私が彼女の頬をひっぱたき――その様子に尻込みしたキラ・ヤマトは泣きながら着替えもせずに艦内へと消えた。後に残るのは気まずい空気と、何よりある一点から私に向けられる激しい憎しみの籠もった視線。その対象が私に向いてくれている間は構わない。けれど、嫌な予感がする――女の勘が警鐘を鳴らす。事態が事態だけに艦長に報告しなければならないが、それも頭の痛い問題だった。
「……何、やってるんだろうなぁ……私……」
自分が今やっていることは精神的に不安定になっていることが容易に見て取れたキラ・ヤマトの捜索。フラガ大尉と手分けして行っているものの、未だ手がかりがない。思わず足を止めて溜息を一つついた私の目に、ガンルームを外から覗き込むようにしている赤毛の少女と、彼女を監視するような位置に立つ衛兵二人の姿が映る。衛兵は私の姿に気付くと直立不動の姿勢を取って敬礼する。私はその様子が何かを邪魔しないようにしていると感じ取り、あまり騒がしくないように気を遣いながら衛兵に言葉をかけた。
「こんなところで一体何をしているの?」
「は。ミス・クラインが食後に散歩がしたいとおっしゃいまして。その途中、ガンルームであの少年の姿を見つけましたところ……」
それで十分だった。覗き込んで中にいるのは――ガンルームの舷窓に映る星空をバックに泣いているとしか見えないキラ・ヤマトを優しく抱擁するラクス・クライン。つまり、散歩の途中で彼を見つけたラクス・クラインが二人きりでお話ししたいと言ったのだろう。彼女の言う『お友達』、けれど私にはおつきとしか見えない赤毛の少女、キキ・ロジータがいるのに、彼女はキキを待たせてキラにその慈愛の微笑みを向ける。ある意味身勝手とも取れる行動だが、見方を変えれば困っている者を捨て置けない優しさでもある。ただし、それは対象を人間としてみているのか、捨て猫や捨て犬の類として見ているのかで評価はまるで変わってしまうのだが……
私は衛兵に自分がこの場を引き受けると告げ、彼らを持ち場に戻らせる。とはいえ、警護対象がここにいる以上、彼らは無人の持ち場を守るしかないのだが。衛兵が去ってから、それを待っていたかのようにキキが口を開いた。
「……確か、サハリン・アマダ少尉、だったっけ?」
「覚えていてくれて光栄ね。ロジータさん」
私の言葉に反応するかのように、彼女の表情にかげりが生じる。それは……困惑と、逡巡。その理由は解らない。彼女は言葉を続ける。迷いながら、選びながら。
「……一つ、聞いても良いかな?」
「どうぞ」
キキが息を呑む音が聞こえる。何か、重大なことを聞きたい、そう思えた。
「……少尉の顔、あたしのよく知っている人達に似てる気がするんだ。それで……少尉の知っている人に…………シロー・アマダって人、いるかな?」
「シロー・アマダは、私の父の名前ね。貴女の知っている人と同一人物かは、解らないけれど」
即答する。その答えに、彼女の表情が一条の光が差したかのように明るくなった。けれど、次の一瞬、その表情がかげり――次の瞬間にはまた意を決したような面持ちに変わった。
「……会えるかな?あたし……その人に」
私はその問いにどう答えるべきか、迷った。真実を告げるべきか、それとも、『プラント』の住人である彼女には縁のないことだとして、かりそめの嘘をつくべきか。だけど、そう考えた途端に、私はその考えを一笑に付した。何故彼女を騙す必要があるのだろう。そんな理由はどこにもありはしないのだから――
――だから、私は気付かなかった。彼女、キキ・ロジータという少女にとって、シロー・アマダという人間がどんな存在だったのかを。それと同時に、もしこのときそのことに気付いていたとしても、私にはどうしようもなかったことも。
「……残念だけれど、それはできないわ。父は、『エイプリルフール・クライシス』の犠牲者の一人だから」
『エイプリルフール・クライシス』――それはコズミック・イラ70年4月1日に、地球連合が行った暴挙である『血のバレンタイン』の報復行為としてザフトが実行した、全地球規模の攻撃だ。有効範囲内のニュートリノの活動に干渉し、時としてその活動を完全に阻害してしまう悪夢の兵器『ニュートロンジャマー』を全地球規模に散布し、『プラント』に敵対する国家に対して大規模かつ絶対的な通商破壊を実行するための兵器――ニュートリノの活動が阻害されれば、核融合炉の開発に失敗し、未だ核分裂炉に頼る旧世紀から現在に至るまでの経済活動の基盤である原子力発電及び分子間移動と物質崩壊を伴う全ての活動が阻害されてその用をなさなくなり、同時に世界規模に張り巡らされたインターネットに代表される通信網もずたずたに破壊される。化石燃料が枯渇といえる現状ではその経済活動を支える基盤の代替手段はなきに等しく、また、高速通信回線なしではもはや生活が成り立たないほど、人間はその恩恵に依存していた。
ザフトの当初のもくろみどおりであれば、その攻撃目標は『血のバレンタイン』を引き起こした部隊を指揮していた大西洋連邦と、その同盟国に限定されていたであろう。だが、ナチュラル絶滅を謳う『プラント』の急進的な過激派はそれを良しとしなかった。結果、全地球規模にばらまかれた『ニュートロンジャマー』全機が、それを止める手段もないまま完全稼働し……世界はかつてない大打撃を受けることになる。『血のバレンタイン』と『エイプリルフール・クライシス』――互いに互いを認めない者たちが引き起こした憎しみと狂気の連鎖は、こうして完成したのだ――
真実を告げられたキキの表情――それは深い悲しみに包まれていた。時折、「……嘘……」と呟く彼女は、まさしく心ここにあらず、というほかない。彼女がそこまで絶望する理由が私には解らなかった。けれど、その少女らしいか細い肩が震える様に、私は突き動かされるように彼女を抱きしめていた。
「……なんで……なんでなんだよ?あたしがこうして生きてるのに、シローが……いなくなって……」
私の腕の中で嗚咽を漏らすキキ――奇しくも、その姿は壁を隔てた向こう側のキラとラクスの様相の鏡写し。私は彼女が落ち着くまで、その思ったより小さな体を抱きしめていた。もうこれ以上、この少女が傷付くことのないように願って――