Phase-35 "フレイの選択(前編)"

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「……すっげー……」

「……本当、凄い。これが……第8艦隊……」

『アークエンジェル』のモニタからはみ出るくらいの映像に、トールが、ミリアリアが息を呑む。眼前に広がるのは宇宙艦隊の勇姿。それは勇壮で、ある種の荘厳さすら漂わせる。


地球連合軍第8艦隊――『智将』と名高い提督デュエイン・ハルバートン少将を頭とするこの艦隊は、地球軌道上を守備するという非常に重要な役割を担うだけあり、その規模、質、士気全てが非常に高いことでも知られる。また、開戦前よりザフトの新型機動兵器(モビルスーツ)の有用性に着目し、コーディネーターにしか運用できない現用のモビルスーツを越えたナチュラルでも運用可能な機動兵器となるべく『G』開発計画を推進する等、先見の明を持ち合わせた人物でもある少将は、また同時にマリューら『アークエンジェル』クルーの良き理解者でもあった。


『ヘリオポリス』崩壊から16日。多くの犠牲を払いながらも『アークエンジェル』は彼らの所属する第8艦隊に合流した。この日を以て、ようやく『アークエンジェル』は独自の艦識別コードを持つこととなり、やっと『未確認艦』から脱出することができた。ハルバートン提督は多くの犠牲を払ったことに心を痛めつつも、艦と強奪されなかった新型機動兵器『G』2機をここまで保持したマリューらに最大の賛辞を送る。戦時臨時徴用以外の軍人に無条件の1階級昇進と、本人の希望さえあれば臨時徴用まで遡って軍属から正規の軍人へと昇格させることができるようにした処遇も、彼らに対するささやかな褒賞と言えた――


「……つまり、我々が合流した艦隊以外にも、提督は補給艦隊を派遣されていた、そうおっしゃるのですね?」

第8艦隊旗艦『メラネオス』にあるハルバートン提督の執務室。この部屋の主に相応しい豪奢さと、同時に戦闘に配慮された殺風景さが同居するこの部屋に、今ハルバートン提督とその副官ホフマン大佐、そしてマリュー、ムウ、ナタル、スズネの6人がいる。提督の従兵が運んできた、宇宙ではなかなか味わうことのできない薫り高い珈琲が冷めるのも厭わず、彼らはこれまでのこと、そしてこれからのことを話し合っていた。

「そうだ。貴官らが合流した先遣隊第1艦隊以外に、我々は『G』の予備パーツを積載した第2艦隊を派遣していた。……このコースだ」

マリューの質問を受けて、ハルバートン提督が答える。ホフマン大佐がスクリーンに映し出した地球圏の星図に、『アークエンジェル』の辿った航跡と、それ以外に二つの航跡が重ねられる。マリューらは第2艦隊の予定航路に疑問を抱いた。何故これほどまで大きく迂回する必要があるのか。しかも、これでは悪いことに『プラント』の勢力圏に接近する。その質問を発する前に、ハルバートン提督が口を開いた。

「……言いたいことは解っている。このコースが何を忌避していたのか。残念ながら、地球連合も一枚板ではない。大西洋連邦だけに限っても、な……」

「……『アルテミス』、ですね。提督」

スズネの言葉にハルバートン提督は首肯する。

「そうだ。サハリン・アマダ中尉。貴官らが『アルテミス』へ寄港しなかったと聞いて胸をなで下ろしたものだ。『G』は勿論、貴官のようにナチュラルでありながらコーディネーターと同等の条件でモビルスーツが運用できる貴重なパイロットを、彼らに渡すわけにはいかなかったからな。フラガ少佐とサハリン・アマダ中尉、貴官らは今の連合では宝石の如く貴重な人材なのだよ」

そう言って、ハルバートン提督はムウとスズネを見る。『世界樹攻防戦』にてザフトの『ジン』に対抗できる唯一の戦力として主力を担いつつ、運用するためには空間認識力という特殊能力が必要なモビルアーマー『メビウス・ゼロ』を運用できる唯一の生き残りである『エンデュミオンの鷹』ことムウ・ラ・フラガ少佐と、特殊な経歴を持ちナチュラルでありながらコーディネーター用のOSを搭載した新型機動兵器を操り、ここまで戦い抜いてきた実績を持つスズネ・サハリン・アマダ中尉――ハルバートン提督も本音を言えば二人を一度前線から後退させ、後進を育てる教官としたいところであるが、現在の戦局はそれを許さない。逆に敗戦続きの現状を打破する手段として、二人にはこれから最前線のみならず虚栄取り混ぜながらマスコミを含めた情報戦でも前に出てもらわなければならないのだ。それを思うと、彼の胸の内は複雑だった。

「……しかし、これまでのザフトによる鹵獲機運用方法等を鑑みると、行方不明の先遣隊第2艦隊はザフトの手に堕ちたと見るのが妥当だと考えます。そうでなければ、これほどの短期間で鹵獲機を修復、また補給が必要な特殊兵器を最大限に運用するなど考えられません」

ナタルが言う。言っても仕方のないことではある。だが、敵が既にこちらの戦力分析を完了している事実を再確認することは必要である。連合を救うために造られた『G』が連合に牙を剥く――現在でも連合の先を行くザフトに、現行の『ジン』を凌駕する『G』の技術系統が統合されればどうなるか。想像するだけでも寒気がする。だが、現在の彼らに、それらに対する有用な策が講じられるわけでもない。より上層が動く必要があるが、果たしてそれがいつのことになるのか、誰にも解らなかった。

やがて話は戦時臨時徴用したコーディネーターであり、スズネと並んで『G』を運用したキラ・ヤマトと、人道的配慮で救出し、現在も『アークエンジェル』に留まっているラクス・クラインとその友人キキ・ロジータについてへと移る。彼ら3人のコーディネーター(だと彼らは思っている)に対する処遇は、特に現最高評議会議長の娘であるラクス・クラインについて頭の痛い問題となっていたが……それについてはほぼ先送りで意見の一致を見ていた。彼らは彼女を政争の道具とすることを望まず、同様に捕虜ではないため拘束することもできないからである。全てはアラスカにある地球連合軍総本部、通称『JOSH-A(ジョシュア)』が決める――そういうことにしたのだ。


「……キラ様?こんなところにいらしたのですか?」

マリュー、スズネらが自分達について話し合っているなど欠片とも思っていないラクスは、今日もキキを連れて『アークエンジェル』艦内を散歩していた。

当初はコーディネーターである、と言うこともあって警戒されていた彼女達であったが、特に何かをするわけでもないことが知れるにつれ、その警戒は緩んでいった。その象徴的なことが、今の彼女達には監視の衛兵がついていないことである。尤も、連合軍のIDカードを持たない彼女達が入れる場所は少ない。だが、それでも避難民に開放された区画はフリーパスであるため、元来心根の優しいラクスは自然と彼らと触れ合う機会が増えていった。避難民の中にはマスコミ等を通じて彼女のことを知る者もいたが、メディアの創り出した(ある意味悪い)幻想と現実の彼女を比べた結果、特に目立った混乱が起きることもなかった。

そんなときである。ラクスがキラを見つけたのは。キラは軍服を着ておらず、赤いインナーに重ねた黒い上着、ライトグリーンのズボンという年相応にラフな恰好で、避難民達と一緒にいた。ラクスの姿を認めたキラはいつものように優しく彼女に微笑みかける。

「うん。ラミアス艦長とアマダ少尉……あ、今は中尉になったんだっけ、二人から言われて。僕の希望でモビルスーツに乗ったけど、今の機会を逃したらもう前のままでオーブには戻れない、って。サイやトール、ミリアリア……みんなも降りるんだ。後は、これまでのことをちゃんとした形にするための書類にサインすれば、守秘義務は残るけど学生に戻れるんだって」

キラはスズネから聞いたことを口にする。そこにはキラが行ってきた戦闘行為を記録上全てムウ、もしくはスズネが行ったことにする、というマリュー達の温情が籠もっていた。そうすれば、キラに対する守秘義務の範囲は相当に狭くなる。それが彼らなりのキラに対するお礼の気持ちでもあった。

「……ふぅん。降りちゃうんだ。このフネ」

「寂しくなりますわ。わたくしは、もう少しここにいることになると思いますから……」

キキが少しつまらなそうな顔をする。ラクスの脳裏に先だって彼女に面会したハルバートン提督の顔が浮かぶ。温厚そうな提督は、彼女達を早期に『プラント』へ戻れるよう最大限の努力をする、と言っていた。勿論、そこには多分にリップサービスも含まれているだろうことは彼女でも解る。それでも、あの提督ならそれほど悪いことにはならないのではないかと、そう思える気がしていた。

「うん。でも、ラクスさんも『プラント』に帰らないといけないし……『プラント』じゃラクスさん達は今も行方不明になってると思うから」

「それは確かにそうですけれど……皆様、お優しい方ばかりですから、わたくしはそれほど心配してはいません。それよりも……」

「キラ!」

ラクスの言葉を遮ったのは、若い女性の声。その声のする方には、肩に掛かるほどに長く伸ばした紅い髪の少女、フレイ・アルスターがいた。

「フレイ?」

「捜したのよ?キラ、いつの間にかどこかに行っちゃったんだもの」

「……ご、ゴメン、フレイ」

「いいのよ。そんなこと。ねえ?キラに見せたいものがあるの。こっちに来て?」

キラの呼びかけに満面の笑みを向けるフレイ。キラはしばしフレイとラクスに迷うような視線を送ってからフレイに引き摺られるようにその場を後にする。その時にキラに見られないように一瞬だけラクスに顔を向けたフレイ。そこに紛れもないある種の感情が潜んでいたことを知ることができたのは、キキだけだった。

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