Phase-37 "智将"

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「……それはどういうことですか!フラガ少佐!?」

「……だから、今言ったとおりだ。サハリン・アマダ中尉がいきなり倒れた。医療班に引き渡したから、大事はないと思うが……」

ナタルは気密ブロックからの急報に思わず階級差も忘れて問い返す。それに対するムウの対応は冷静だった。現実にアラートが鳴り響く中でのやりとり。そんなに時間をかけられるわけではないが、それでも重要な戦力が離脱する理由が彼女には不可解だったのだ。

「……一体、スズネに何が……」

言いかけて、ナタルははっと何かに気付いたように指折り数える。そして、何かに思い当たったのか、嫌なものでも思いだしたかのような顔を一瞬見せ……マリューに問いかける。

「……艦長。艦長は『ヘリオポリス』脱出後、『戦闘薬』を服用したことはありますか?」

「ないわね。そう言えば」

即答するマリュー。突然のやりとりに二人以外のブリッジ要員が事態を飲み込めないでいた。ナタルはその様子を無視して続ける。

「……私もありません。いや、我々どころかハウ二等兵のような兵・下士官にも支給されていないでしょう。……まったく。どうして気付かなかったのか……これは、副長としての私の落ち度です」

「……どうしたの?バジルール中尉……って、まさか?」

一人何かに納得するナタル。マリューも何かに気付いたようだ。しかし、そこでどうして自分の名前が出るのか、ミリアリアは意味が掴めないでいた。そんな彼女に答を示すかのように、ナタルはマリューとミリアリア以外の人間に対して「ここで聞いたことは口外するな」と言わんばかりのオーラを放ちつつ言葉を口にする。

「……ええ。艦長。彼女は……サハリン・アマダ中尉は……『重い』んです。とにかく。
 士官学校時代でも始まったら最後、痛みでベッドから起き上がれなくなることもしばしば。無理矢理鎮痛剤飲んで飛行訓練に参加しようとして教官に叱り飛ばされたこともありました。それで次席ですから、あれさえなければ私の代わりに首席でしたでしょうね」

「あっちゃぁ……それは私も初めて聞いたわ。それじゃ任務中の『戦闘薬』は必須ね。彼女。とにかく、中尉のことは軍医官に任せましょう。
 ……搬入作業直ちに中止!現状報告!『メラネオス』との回線を開いて!」

困った顔をしたのもつかの間。マリューは頭を目前のアラートに切り換える。トノムラ軍曹とチャンドラ2世軍曹に命じて現状把握と旗艦との通信回線を開かせる。これから起こりうる戦闘へ向けて動き出すブリッジで、ナタルはさっきから不思議そうな顔をしているミリアリアにそっと話しかけた。

「不思議そうな顔をしているな?さっきの話で大体察しがついただろうが、『戦闘薬』、必要なら手配するぞ?」

「あの、バジルール中尉、『戦闘薬』って……その、危なくないんですか?」

向こうから話しかけてくれたことを幸いとミリアリアは素直に疑問を口にする。その様子をナタルは微笑ましく思った。

「確かに戦闘配備用のは依存性のある向精神薬だったりするが、これについては単なる低用量ピルだ。心配ない。今回のように戦闘中に始まるとこういうことになりかねないからな」

だから『戦闘薬』なんだ、と言うナタル。それでようやく納得のいったミリアリアは、「多分、必要ありません。私、結構軽い方だと思いますから」とだけ、答える。

「まぁ、必要ないならそれに越したことはない。
 ……まったく。因果なものだな。『女』という生き物は……」

「え?」

「……気にするな。ただの独り言だ」

それだけ言い残すと自分の席に戻るナタル。その様子にミリアリアも気持ちを戦場に引き戻した。


「艦種判明。ナスカ級2、ローラシア級2。方位オレンジ・アルファー。距離30000。なおも近付く」

「大気圏突入ポッドを持つ低速なローラシア級を伴う艦隊か……ただのパトロール艦隊ではないな。
 避難民を全員シャトルに。全艦、コンバットフォーメーション。対艦戦闘用意!」

ピケット艦からの報告に、ハルバートンはしばし考え、その後に迅速な決断を下す。単にローラシア級だけなら、あるいはザフトの虎の子である高速戦闘艦ナスカ級だけなら、そうは考えなかっただろう。だが、両方が揃っている以上、明確な攻撃意志ありと判断したハルバートンは、第8艦隊を戦闘態勢に移行させる。既に会敵を予測しブリッジ要員全員が船外作業服を着用している。予測された未来。しかし、それは悲観的では決してなかった。

コンバットフォーメーションは旧時代にアメリカ陸軍戦略爆撃隊が用いた対空戦闘陣形に酷似している。戦闘艦を一定間隔に立体配置し、互いの対空砲火で一群を防御する陣形は、『智将』ハルバートン提督が最も得意とする陣形だ。旧時代では迎撃戦闘機の速度進化に対空火器の反応速度が追いつけずに衰退したが、高度に発達した火器管制装置がその優位性を取り戻した。元々宇宙戦闘機やモビルアーマーに対抗するためのものだが、モビルスーツにも一定以上の効果があること、そして何よりそれより先に発生する艦隊戦において一斉射撃ができることから、モビルスーツの優位が確定した現在においても色褪せることなく使用される。第8艦隊はその練度の高さを見せつけるかのように迅速に陣形を展開する。その中において、全く未経験であるはずの『アークエンジェル』は、旗艦『メラネオス』と並んで陣形中央に配置されることになっていた。


「……『アークエンジェル』ラミアス艦長より通信。繋ぎます!」

「うむ」

通信士がハルバートンの返答に応えるように回線を繋ぎ、『メラネオス』艦橋のメインモニタにマリューの姿が大写しされた。

「ハルバートン提督!」

マリューがハルバートンの名を呼ぶ。だが、事ここに至っても未だ制服姿、船外作業服を着用していないことにハルバートンは軽い苛立ちを覚える。ここは海の上ではない。船板一枚下は絶体の死の世界であることを、彼女は理解しているのか……しかし、そんなことは些末なこと。それで死ぬのは彼女であり、沈むのは彼女の指揮する艦一隻だ。最新鋭艦でそのような教訓を残すことは惜しいが、今更準備不足を嘆く暇すらない。ただ、彼女のその言葉だけで、ハルバートンには彼女の言いたいことが理解できた。

「向こうから来てくれたことは好都合だ。JOSH-A(ジョシュア)に到着してから外交ルートを通そうとしていたのが、現場の判断で行動できる。ラミアス艦長、ミス・クラインに繋いでもらえるかな?」

ハルバートンはそう言ってマリューに次の行動を促した。先の会談でラクス達の身柄についてJOSH-Aの判断を仰ぐと先送りした彼らであったが、現在までハルバートンの権限で司令部にラクスの身柄保護を報告していない。その理由は可能であれば現地で接触したザフト艦隊を通じて彼女の身柄返還が叶えば、政争の具にされることもないと考えていたからだ。ハルバートンの要請に応じてモニタが切り替わり、そこに戦闘時の低重力にピンク色の髪を揺らせた少女、ラクス・クラインの姿が映った。

ラクスを前にハルバートンが言葉を発しようとする――が、それは索敵士官の突然の報告によって遮られる。

「……敵艦発砲!」

「何だと!?この距離でか!」

ハルバートン提督の副官であるホフマン大佐が唸る。ナスカ級から発砲された一発のビームが虚空をなぎ払いそのまま艦隊を通り過ぎる。被害はなかったが、その意志は明確だった。

「……落ち着け!ブラフだ!」

ハルバートンがざわめく諸将を鎮める。その様子に、回線を繋いだままのラクスが悲しそうな顔を向けた。

「……提督のお考えは、どうやら通じなかったご様子です。わたくしがここにいることが、皆様方のお邪魔になるようでしたなら……」

「そんなことはありません。ミス・クライン。……しばらくお待ち頂けますかな?こちらも、最善を尽くします」

ラクスの言葉をハルバートンは遮る。その悪い考えをも払拭するように。ハルバートンはラクスに艦内の安全な場所に避難するように勧め、マリューにラクスの身柄の安全確保と『G』保全の指示を出すと、意を決したように前をむき直した。

「さて、やるか!」

指揮官の肝が据わることは、諸将一兵卒に至るまでの士気を高める。指揮官が揺らいでいては勝てる戦も負ける。それを知るハルバートンは『智将』の名に恥じぬよう、ことさら大仰にその意志を見せつけ、士気を鼓舞した。

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