Phase-38 "軌道上会戦(前編)"
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「……応戦しろ!気合いで躱せぇ!」
ナスカ級高速戦闘艦『ヴェサリウス』ブリッジで、クルーゼは自分の思い描いた絵のとおりにならなかった現実を前にしてその焦りを隠すことができなくなっていた。それもそのはず。ラクス・クラインを保護している可能性の高い『アークエンジェル』に会談を申し込む代わりに砲弾を撃ち込んだのだから当然であるのだが……彼はその一撃で第8艦隊を萎縮させ、こちらの用件を無条件に飲ませる算段をしていた。コーディネーターの優位性にナチュラルが何をできるものか、と。だが、艦艇の絶対数にして10倍以上もある第8艦隊にそんな攻撃でひるむ理由もなく――返答は周到な包囲戦だった。第8艦隊は艦艇を3群に分離し、旗艦『メラネオス』、新型強襲機動特装艦『アークエンジェル』を中心にした正面以外に両側面からクルーゼ隊を包囲するように遷移している。
普通の指揮官であれば己の浅慮さを恥じつつ犬死にする戦況であるが……クルーゼは、いやザフトの軍人はまだ勝機を見いだしていた。モビルスーツを投入できる状況まで持ち込めば、旧式なモビルアーマーしか存在しない第8艦隊など張り子の虎も同然。その思いは、砲火の中全軍の期待を担って出撃したアスラン達にも、痛いほどよく解っていた。
「B群展開を急げ!C群包囲を維持!左翼、弾幕薄いぞ!」
「主砲斉射後、メビウス隊全機発艦!蹴散らせ!」
第8艦隊旗艦『メラネオス』ブリッジもまた戦場だった。提督ハルバートンの檄を受け、艦載されたモビルアーマー『メビウス』部隊が次々に射出される。しかし、ハルバートンも、副官ホフマン大佐も、現状を楽観してはいない。包囲して殲滅するつもりが、敵モビルスーツの発艦を許してしまった。しかも、敵は鹵獲した『G』全機を投入し、こちらの包囲網を食いちぎる勢い。連合の機体を一身に担うはずだった機体に自軍を蹂躙される――運命の皮肉にハルバートンは苦笑するしかない。だが、これだけの数の差をものともせずに先制攻撃を敢行した敵指揮官には疑問を呈さざるを得ないというのが、ハルバートン以下、幕僚達全員の共通認識だった。ザフトはモビルスーツさえあれば10倍の戦力差などものの数ではないと考えているのか、そう思うと、彼は薄ら寒いものを感じざるを得なかった。
「……X102とX105はどうなっている?」
ハルバートンはホフマン大佐に尋ねる。できるならば、温存したまま『JOSH-A』に降ろしたい。だが、戦線に敵に奪取された『G』が投入されている現状、同じ『G』でなければ対応しきれないのも事実だ。だから、彼は既に決まっているはずの答を聞いた。
――しかし、その答は彼の意に反するものだった。
「サハリン・アマダ中尉が倒れ、医務室に運ばれた、との報告がありました。現在、『アークエンジェル』で発艦可能な機動兵器は『メビウス・ゼロ』とX105のみ、とのこと」
「何だと?何が起こった?」
予想外の返答。しかし周囲へ慮って平静に努めたハルバートンに、ホフマン大佐はやや言いづらそうに言葉を選ぶ。
「……『ヘリオポリス』脱出後、あの艦では『戦闘薬』が一度も支給されていなかったそうです。現状ではサハリン・アマダ中尉だけですが、長引きますとラミアス艦長他の人員にも影響が出る可能性が……」
「……いや、解った。もういい」
その返答にハルバートンは頭痛のしてきた頭を押さえ、言葉を制する。今の『アークエンジェル』には正式な軍医官が存在しない。『ヘリオポリス』襲撃時、本来の艦長らとともに戦死してしまったためだ。そんな事情のため、彼らの健康管理をしているのは避難民から有志を募った臨時徴用の町医者。そんな人間に明文化されていない軍の不文律など解ろうはずもないのだが……それがよりにもよって今か、と彼は運命の神の悪戯に天を仰ぎたくなった。
「……となると、X105に乗るのはあの少年か……」
ハルバートンは『アークエンジェル』合流後、艦内視察を名目にしてあの少年、キラ・ヤマトと話したことを思い出す。あのときはまだ除隊許可書を受け取り、艦を降りる意志を見せていたが、その第一印象は『優しすぎる少年』だった。コーディネーターである、ということを除いても、大人として、戦場に巻き込んではいけない存在であり、護るべき対象だ。だが、今この現状を打破できる可能性を秘めているのは、恐らくこの少年だけであることも、ハルバートンには痛いほどよく解っていた。
「……よし。『アークエンジェル』に下命。稼働可能な機動兵器全機発艦。ただし、『アークエンジェル』からあまり離れるな、と伝えろ。最悪の場合、『アークエンジェル』を単身降下させることもあるからな」
ハルバートンは決定した。除隊許可書を破り捨てて軍に残った以上、あの少年は自分の有用な戦力だ。切り札として手元にあるのであれば、使わぬ手はない。自分の命令に配下の軍は正確に動き、やがて白亜の巨艦『アークエンジェル』から『メビウス・ゼロ』とGAT-X105『ストライク』の発艦を確認する。おそらく、X105を発見した敵は嬉々として殺到するだろう。しかし、それはこちらにとって好機でもある。最終到達点が解っているのであれば、そこに向かう面に網を張ればよいのだから――
「……う……ん……」
最初に目に入ったのは白い天井。そして、感じたのは薬剤の匂い。医務室だと理解し、同時に下腹部の違和感が和らいでいることに気付いた。
「……先生!アマダ中尉が目を覚ましました!」
薬が効いているのか、焦点が定まりきらない視線を向けると、まだ少女の域から抜けきらない看護師が慌てて奥へと引っ込もうとして……派手に転ぶ姿が見えた。痛そうな、と思うことより、自分がノーマルスーツから患者服に着替えさせられていることから、それなりに長い間寝ていたのかと思った方が先だった。ベッドから飛び起きようとして……足許がふらつく。慌てて駆け寄った別の看護師に支えられた私に、落ち着いた雰囲気を漂わせる白衣姿の初老の女性、現在の『アークエンジェル』の軍医官が話しかけてきた。元々『ヘリオポリス』で診療所を開業していた、というだけあり知識は広く浅くだが、特に避難民が『アークエンジェル』に滞在している時には彼女の存在は大きな力となった。その彼女が最初に私に向けた言葉は、謝罪の言葉。そして、私の体を気遣う言葉だった。
「まだ鎮痛剤が効いているわ。もう少し横になっていなさい」
「……どのくらい寝てました?」
「20分、というところかしら?もう第1種戦闘配備が発令されているから、もうじきここも戦場ね」
「第1種戦闘配備……フラガ少佐は?ヤマト少尉は?せめてブリッジへ……!」
「……お、お願いですからぁ!暴れないでくださいぃ!」
「離して!」
「駄目ですぅ!副長からの命令ですからぁ!」
「ナタ……バジルール中尉の?」
『……そうだ。ついでに言えば艦長の許可も得ている。まったく。目が覚めたと聞いてみれば……何をやっている?スズネ?』
私が答を聞くまでもなく、ベッドに据え付けられたモニタに回線が繋がり綺麗な黒髪を短く切り纏めた見慣れた顔が映る。ナタルは私の姿を見るやいなや、大げさに溜息をついて見せた。後ろで「私はついで?」という楽しげな声が聞こえたような気もする。
「何って……ナタル?見て判らない?」
階級で呼ばれなかったせいだろうか、私も目の前に映るナタルを名前で呼んでいた。ナタルは昔と変わらず全部お見通しというような雰囲気のまま、話を続ける。
『自分の体調管理も満足にできない人間はしばらく寝ていろ』
「ナタル……その責任、私に全部押しつける気?」
『ついでに艦内巡検できないこととか、当直士官空白の時間帯が存在することもおまけしてやろうか?』
「! それって全部士官が足りないからって以前艦長交えて士官全員で話し合ったでしょう?」
『そうだったか?記憶にないが』
私の怒りの矛先を躱すように、ナタルはしらを切る。
『とにかく、もうフラガ少佐とヤマト少尉が出撃している。お前が鍛えたんだろう?少しは信頼してやれ『蒼空のキツネ』』
「……な!なんでナタルがそれを!」
モニタの向こう側の本人はそれに答えず、意味深な笑みを浮かべつつ画面をフェードアウトさせる。まだ隠しておきたかったことをばらされた気恥ずかしさやらで真っ赤になっている私に、今ひとつ空気の読めない看護師が悪意なく、全く悪意なく話しかけてくる。
「あのぉ……アマダ中尉。その『蒼空のキツネ』って、どういうことです……か?ひっ!?」
「忘れて。そう。もうしばらくでいいから忘れてて」
我ながら相当きつい視線を投げたのだろう。一瞬で小動物のように萎縮しているのが見て取れる。頭を撫でる手にも震えているのが伝わってくるくらいに。
怯える彼女から手を離しベッドから起き上がろうとする私に、軍医官が話しかけてくる。
「副長さんは『寝ていなさい』って言いましたよね?」
「……私はそれを受諾していません。だから、行きます」
「……そう。医者としては止めるべき、なんでしょうけれど」
「止めても行きます」
強気の姿勢を崩さない私に、軍医官は柔らかく微笑みつつ、厳しい視線を向けてきた。
「解っていると思うけれど、本来なら鎮痛剤を投与した人間には車の運転とかはして欲しくないの。モビルスーツの操縦がどれほどのものかわたしには解らないけれど、わたしがエレカのハンドルを握るのとは次元が異なるということは理解しているわ。
だから、これだけは守って。今の貴女は普段の4割以下の能力だと思いなさい。判断力が鈍っているし、突然眠気が襲ってくる可能性もある。死んだら悲しむ人がいるということだけは、絶対に忘れないで」
そう言って手渡される、軍艦には似つかわしくないピンク色の包みを受け取り、私は医務室を後にした。
「……彼女も愛する人に出逢って、子供を授かったなら、この気持ちが理解できると思うわ」
私が去った後の、軍医官のその言葉は、私の耳に届くことはなかった――