Phase-39 "軌道上会戦(中編)"
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「何を考えているクルーゼ!この状況、どう説明するつもりだ?」
『策はある。目標はあくまで『足つき』だ。本陣が危険となれば、奴らも伏せたカードを出さざるを得まい』
激昂する古武士然とした武人に、銀の仮面の男は飄々として答える。
「……それ以前にこちらが全滅するぞ!」
『コーディネーターの優位性に、ナチュラルごときが何をできる?こちらがモビルスーツ隊を突入させればそれで終わる。ハルバートン、以前はまんまと逃げられたが、今度こそ決着を付けてやるさ』
「愚か者が!」
ナスカ級高速戦闘艦『フォッシュ』艦橋を震わせた声。それは怒りに震え、それでいてとてつもなく冷めていた。
声の主はザフトの黒服を纏った、厳つい風貌の古武士然とした男、ノリス・パッカードだ。先の『ヘリオポリス』戦以降、何かと縁のあるクルーゼ隊を補佐するためにノリスの艦隊も同航していたのだが、まさか彼も交渉をすっ飛ばしていきなり砲火を交えるとは予想の埒外だった。それも、『コーディネーターの優位性にナチュラルが何をできるものか』などと……ノリスはクルーゼに他のコーディネーターとは違う何かを感じてはいたが、それは間違いだったのか、と思い直すことにする。しかし、そんなことで開かれた戦端はもう戻らない。かくして、後に『軌道上会戦』と呼称されることになる、地球圏大気圏上の戦闘は開始されていた――
『……いいか?ここじゃ気を抜くとあっという間に地球の引力に引き摺り込まれて助からない。もてるのは男の甲斐性だが、それも時と場合だ!』
発艦前の慌ただしい格納庫。理由はそれだけではないが、その喧噪の中、レシーバーから聞こえるのは、今や新しい上官であり、戦友である男の声。一敗地に
「……解ってるさ。ウォルター。まだ死ねないからな。俺は」
『今回は隊長は出撃できない。ま、恨み言ならこの状況作ったお前さんの前の隊長に言ってくれ。
対艦攻撃フォーメーションでいく。雑魚の『メビウス』には目もくれるなよ?くれぐれもここがパッカード隊だということを忘れないでくれよ』
言われなくても――そう答えようとした自分の言葉を遮るように、オペレータが急変した戦況を告げる。
『……グリーン・チャーリー方向に敵の新型モビルスーツ、GAT-X105『ストライク』が確認されました。現在、クルーゼ隊4機が急行しています。注意してください』
「ミゲル・アイマンだ。敵モビルスーツはX105だけなのか?その装備は?他にはいないのか?」
畳み掛けるような自分の声に、モニタの向こう側のまだ少女の域を抜けきらない、そばかす顔のオペレータは一瞬怯えたような顔を見せたが、それでも彼女は職務に忠実だった。
『現在は1機のみ、高機動戦仕様と思われる装備です。ですが、同時に出現した『メビウス・ゼロ』との連携により、敵戦力が我が軍を押し返しています』
「……解った。すまない」
『い、いえ……ご武運を』
オペレータとの通信を終えた自分に、ウォルターからの通信が入る。
『……あのX102だな?奴がまだ出ていないとなると……また遠距離から撃ち抜かれる可能性もあるな』
『それでもたった2機。この物量には敵わないですよ』
『油断するな、ハンス。X105だけでも俺達は落としきれなかったんだ』
「……いや、あのX105のパイロットは『あいつ』じゃない。多分……」
つい口をついて出た言葉に、自分自身が解らなくなった。何故そう思ったのだろう、だが、よくよく考えるとその理由も明白だ。X102がいるのだ。一人のパイロットが同時に複数機を操れるわけもない。自分が雪辱するのは『あいつ』なのだ。『ヘリオポリス』で『あいつ』に敗れてから、自分の運命は一変した。だが、『あいつ』が乗っているのはこのX105ではない……
『さすが『黄昏の魔弾』だな。エースはエースを知るということか。しかし、油断できる敵ではない。……ブリッジ!射出タイミングはまだか!?』
ウォルターがそう言って未だ動作する気配のない『フォッシュ』のリニアカタパルトを催促する。砲火の飛び交う現状では下手な射出は即撃墜。だから出せないのだが、だからといっていつまでもここにいるわけにもいかない。しかし、その返事はあの小動物のような印象のオペレータではなかった。
『待たせたな。これより『フォッシュ』と『ジョッフル』の一斉砲火で射線を
それは自分達の隊長、ノリス・パッカード本人だった。ノリスはパッカード隊の旗艦『フォッシュ』と、同航するローラシア級モビルスーツ搭載艦『ジョッフル』の2隻で敵艦隊に対する砲撃を行い、その間隙を縫って発艦せよ、というのだ。クルーゼ隊のように冒険的な発艦作業を行わなかった代わりに、彼はもっと理性的で、かつ危険な方法で自分達を解き放とうとしていた。
腕が鳴る。これがパッカード隊か、と。かくして砲撃は実施され、その光輝の消えるままに次々と『フォッシュ』と『ジョッフル』からジンが発艦していく。その中に、肩のみをオレンジ色に塗り上げられたジンがいたことに気付いた第8艦隊の人間は少なかった。
「第23小隊は右翼から攻撃!第36小隊はおびき出された敵を狙い撃て!」
自身も有線式移動砲台『ガンバレル』を操りながら、ムウは第8艦隊麾下の『メビウス』小隊群を指揮する。各小隊の隊長達が『エンデュミオンの鷹』ならば、と信頼してくれたことに、ムウは敵機撃破をもって報いていた。
『フラガ少佐。この空域の敵機は壊滅した。さすがは『エンデュミオンの鷹』だな』
「いやいや。各小隊の練度が高いからできること。そんな大したことはしてないよ」
敵部隊を押し返し、空域が一時期空白となる。だが、敵もそのまま引き下がるはずもない。ムウはそう感じていたが、それでもキルレシオを大幅に塗り替える戦果は、赫々たるもの。各小隊の隊長達はそれを素直に認めたのだが、ムウはあくまで謙遜した。
そのときだった。2艦ずつ二手に分かれた敵艦隊のうち、これまで回避行動のみで沈黙を保っていた方からの砲撃に続き、『メラネオス』CICから緊迫した通信が入ったのは。
『……友軍各機に警告!新たな敵モビルスーツ部隊出現!注意してください!』
「敵モビルスーツ部隊?ヤマト少尉はどうした!?」
『キラ・ヤマト少尉は現在インディゴ・デルタ空域にて奪取された新型機4機と交戦中です。こちらへの応援もお願いします!』
強奪された新型機――その報告に空気が凍る。だが、それを払ったのは、やはりこの男だった。
「無茶言うぜ。って言うか、坊主一人に任せっきりってのも無理があるか……俺が向かう!新手はこの空域で何とか食い止めてくれ。強奪機体を何とかしたらすぐに戻る!」
そう言うが早いか、ムウは愛機『メビウス・ゼロ』の機首を返す。ムウのこの判断はこの場において正解ではあった……が、それによってもたらされた現実は、何より非情だった。
その頃――『アークエンジェル』格納庫では、スズネが愛機GAT-X102-2『デュエル・アグレッサー』のコクピットに滑り込み、キラの苦戦の報を聞いていた。装備は第8艦隊から補給された本来の『デュエル』のもの。通常の起動シークエンスを大幅にスキップしての緊急発艦準備にマードック曹長を始めとするクルーは文字どおり大車輪の活躍を要求されていたが、その状況に誰一人文句を言うものはない。ここは戦場であり、今は1機でも多くの機動兵器が要求されているのだから。
「チェック120から250までスキップ。ハイドロ、テンパラチャー……オッケー。システム・オール・グリーン」
スズネは機体のチェックの傍ら、モニタの端に映った愛機の左肩を見る。そこには新たに搬入された『スカイグラスパー』2号機と同じく、3つのリングをくぐる空色のキツネのエンブレムが描かれていた。それはX105『ストライク』と異なりこの機体がスズネの専用機として扱われている証左であり、そして同時にある覚悟を彼女に強いるものでもあった。
『……サハリン・アマダ中尉』
コクピット正面モニタに浮かぶ『CALL』の文字。発信者はナタル。だが、彼女は自分を名前で呼ばず、官位姓名で呼んだ。ナタルはスズネの顔色をモニタ越しに伺うような視線を向けた後、言葉を続ける。
『……言い訳と釈明は後で始末書と纏めて聞いてやる。だから……』
彼女はそこで言葉を切る。一瞬の沈黙。それが何を意味するのかは……スズネにもよく解っていた。
『……無理はするな。こちらも全力で支援する。以上だ』
「了解」
スズネの答を聞くと同時に、通信がナタルからミリアリアに切り替わる。機体をリニアカタパルトへと移動し、発艦準備を行うためだ。
『……前方でキラが4機の強奪機体に囲まれて苦戦し、友軍艦隊にも被害が出ています。フラガ少佐が救援に向かっていますが、こちらの方が速いです。援護をお願いします!』
「了解。全力を尽くします」
状況を説明する、友人の危機に不安げな表情を向ける少女に笑顔で答えつつ、スズネはノーマルスーツの下にある、首から下げた懐中時計の位置に手をやる。不安げな表情は見せない。そうすることで目の前の少女の不安が少しでも軽くなるならば……年長者として、そんな姿を見せるわけにはいかなかった。
『お願いします!……カタパルト動作オッケー。進路クリアー。『デュエル・アグレッサー』、発艦、どうぞ!』
ミリアリアの声に、スズネは『アークエンジェル』のリニアカタパルトの先にある虚空を見る。そこは多くの光輝に包まれており、ある種の幻想的な光景でもあったが――そんなものではあり得ないことは彼女が一番よく解っていた。前を見つめ、いつ爆発するかも解らない爆弾ができるだけ遅く作動することを祈りつつ、彼女は宣言する。
「スズネ・サハリン・アマダ中尉、デュエル・アグレッサー、発進します!」
その声を撃鉄として、弾き出されるように白亜の巨艦から虚空へと飛び出す暗灰色の巨人。それは見る間に額、胸、両肩、両膝を蒼く塗り替え、白い軌跡を曳きつつ戦場へ躍り出る。その先には、未だ消えやらぬ、命という名の光輝の華が広がっていた。