Phase-1 "太陽の街に(ほむら)は奔る(中編)"

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「……いつつ……」

痛む頭を押さえると、昨夜の悪夢が甦る。……アレは人間じゃない。『ザル』、『ウワバミ』は奴らのためにある言葉だ。いや、そんな言葉すら生やさしい。

会場の予約時間ギリギリまで仕事をしての昨夜の親睦会は、主賓以外全員撃沈という結果に終わった。幹事が明細見て悲鳴を上げていたが、それもそうだろう。サハリン・アマダ少尉は事前に聞いていたので返杯の連続に顔色一つ変えなかったことに驚くことはなかったが、ラミアス大尉も彼女に負けずの豪傑だったとは予想外だった。こっちは相応に酔うのだが、どれだけ呑んでも酔いつぶれない。実際、看板になってこっちが全員起こされた時にも、アマダ少尉は普段のまま、ラミアス大尉はほろ酔い加減にしか見えず、一体どれだけの酒が彼女らに飲み干されたのか……いや、それは考えないでおこう。

「……大丈夫ですか?飲み過ぎは体に毒ですよ?」

あんたには言われたくない、という言葉を飲み込んで、俺は顔を上げる。『ヘリオポリス』の工業ブロックに存在する兵器試験場は殺風景な天井を見せているが、そこまでは行かない遙か上、暗灰色の巨人の胸の位置のハッチが開き、それに流れ込む大量のケーブルの隙間から這い出るように作業着姿の銀髪の女性が顔を出している。俺が今いるのは『X102』のメンテナンスデッキ。銀髪の女性ことスズネ・サハリン・アマダ少尉が顔を覗かせているのが、俺が担当している『G』計画の1機、GAT-X102『デュエル』だ。

GAT-X102『デュエル』は、『G』計画全機の基礎的な機体だけあって、非常にベーシックな機体だ。特徴がないのが特徴、と言っても良い。武装も175ミリグレネードランチャー装備57ミリ高エネルギーライフルにアンチビームシールド、ビームサーベルのみで、これを発展させたのが、火力重視の後方支援機GAT-X103『バスター』と、装備換装型万能機GAT-X105『ストライク』だった。アマダ少尉が先に『X102』の試験を実施したいと言っているのは、これができれば『X103』と『X105』にデータがフィードバックできるため、結果的な作業時間の短縮に繋がることが解っているからだ。そして、それは担当主任の俺の予想を超える速度で進行していた。


「……モニタリングに異常はないな。起動準備はオッケーだ。ただ、フェイズシフト(PS)装甲はまだ起動させないでくれよ?ローストチキンにはなりたくないからな」

『了解です。こっちも良い感じです。それでは、いきますよ?』

レシーバーに届く声は、全然酒の残った感じがしない。起動シークエンスにもよどみなし。一体あれだけの酒はどこに消えたんだ?と疑いたくなるが、ともあれ、連合製OSの微調整が終わり、今、ようやく『X102』が正規の状態で起動しようとしていた。

『重量遷移正常、各駆動部問題なし。GAT-X102『デュエル』、リフトオフ』

アマダ少尉の声に続いて、暗灰色ままの装甲で『X102』がメンテナンスデッキから立ち上がる。外観からも、異常は見られない。モルゲンレーテ製の仮組OSでは起動させたことがあったが、連合軍の正規OSでは初めてのこと。外部モニタリングしている各機能にも悪影響は見られない。『X102』はそのままゆっくりと試験場を歩行し、やがて加速をつけていく。重量61.9トンの機体が重厚な地響きを立てつつ軽快に動作する様は、技術屋の俺から見ても驚きだった。一瞬、アマダ少尉が普通の人間(ナチュラル)ではなく遺伝子改造を加えられた者(コーディネーター)ではないか、とも考えたが、今の連合軍、特に大西洋連邦においてそれは考えられない……はずだが、彼女が正規のテストパイロットではない理由も、もしかしたらこれに含まれているのかも知れない。

何故俺がそう思ったか、それは彼女が俺達の上司と同じ姓を持ち、その容貌もよく似ていたからだ。件の上司は何故かまだ海のものとも山のものともつかぬ、この『モビルスーツ』という兵器に堪能で、自身も技術試験機に乗り込むこともあるテストパイロットも務めている。無重力空間での作業用パワードスーツやパワーローダーとは違ったこの新兵器を件の上司は難なく乗りこなし、多くの技術的難題を解決していった。しかし、今は連合軍側の人員到着と前後してその引き継ぎに手一杯になっており、結局連合軍側の人間とは一度も顔を合わせていない。何か理由があるのだろうか、と考えて、その上司が出向してきたオーブ陸軍の技術将校だということを思い出した。なるほど、オーブとしては、軍の人間が密接にこの計画に噛んでいると公になることはあまりよろしくないということか。そんなことを考えているうちに、アマダ少尉の駆る『X102』はその記録すべき初試験を終えてメンテナンスデッキに戻ってくる。今回は動作確認だけだったため、兵装は使用していない。記録されたデータは感嘆すべきもので、担当主任としてはよくぞここまで、としか言いようのないものだった。

「……お疲れさん。しかし、本当に初起動とは思えんな。こりゃ」

「……機体は良い仕上がりですね。予想より軽い感じがしました。
 ただ、こっちのOSが問題……動かすだけで精一杯。予想以上に反応が遅すぎる……」

「……それは、また。そっちはモルゲンレーテとしては契約上手伝えないから、そっちで何とかしてもらうしかないな……」

『X102』から降りてヘルメットを脱いだアマダ少尉が、俺の言葉に応える。ひとまずは合格点、らしい。それに、OSは見たところ連合製も自社の間に合わせ品も似たようなレベルに思えたが……やはり、実際にテストパイロットの視線から見ると違う、ということか。

「……で、どうする?アマダ少尉?先に『X102』を仕上げてから他のにかかるか?」

俺の提案にアマダ少尉はしばし迷っているようだった。先に『X102』が見極め付くまで作業を進めてそれから『X103』と『X105』にかかるか、それとも特殊な『X207』と『X303』から先に仕上げるか。どちらにしても時間は限られていて、やるべきことも決まっている。俺がふとアマダ少尉に目を向けると、彼女は無意識に作業着から年代物の瀟洒な懐中時計を取り出して弄っている。昨日今日でこれが彼女の癖だと判ったが……そうこうしているうちに、答は外からもたらされる。『X303』担当主任のリョーコ・カザマ主任がアマダ少尉を呼んだからだ。

「……よろしいかしら?『X303』の起動試験準備が整いました。お手透きならこちらにも取りかかってもらいたいと思うのですけれど……」

カザマ主任の後ろに見える『X303』のメンテナンスデッキはかなり大がかりなものだ。まぁ、変形試験も行うなら、無重力空間か、これのように可動範囲外からアームで固定するしか手はない。アマダ少尉もこれの手間が解っているからか、即答した。

「解りました。先に『X303』の初期動作試験から行いましょう。よろしいですか?カンザキ主任?」

「俺は別に構わないさ。アマダ少尉が出してくれたデータからこっちでできることをしておくだけだからな」

俺はそう言ってカザマ主任と並んで歩くアマダ少尉を見送る。後ろ姿だけ見ても、腰までのロングを淡いピンクに染めたカザマ主任と、プラチナブロンドのボブのアマダ少尉は対照的だ。聞いた話じゃ性格も対照的だが、不思議と馬が合うらしい。人間とは本当に解らないものだ。


と、まぁ、こうして『X102』を始めとする『G』各機は順調にテストを進めていき……ついに正規のテストパイロット到着を明日に控えることになった……


「……う……うん?」

ライトの消えた格納庫。本来なら不用意に立ち入ることができない時間帯だが、構うことはない。手塩にかけた『X102』のメンテナンスデッキ脇の指定席に横になる俺の頬に近付く冷たい感触。目を開けると、やはりというか、冷えた缶ジュースと、このしばらく見慣れた顔が飛び込んできた。

「……保安部が煩いぜ。こんな時間に」

無精髭のままにやりと笑う俺に、アマダ少尉はいつものような軽やかな笑みを返してくる。

「いいんじゃないですか?担当技官とテストパイロットの打ち合わせ、ってことで……は、明日から、私は担当パイロットじゃなくなるから、駄目、ですね……?」

自縄自縛するアマダ少尉を肴に、俺は差し入れの缶ジュースのプルトップを開ける。

「……盛大に自爆したな。ま、俺としちゃ、アマダ少尉並のが来るとは思ってないがね。そのうち、またあの場所でモニタとにらめっこの日々が戻ってくるさ」

これはラミアス大尉の話だけじゃない。噂じゃモビルアーマー乗りが転科してくるそうだが、伎倆は新米兵士とどこぞの砂漠の傭兵くらいの差があるとか。当然、どっちがアマダ少尉かは言うまでもない。

アマダ少尉も、そればかりか、このプロジェクトの統括に当たるアイナ・サハリン・アマダ一等技術陸佐、そして惜しくも故人となった夫のシロー・アマダ一等陸佐も、まるでずっと以前からこの『モビルスーツ』という兵器の乗り方を体に染み込ませているようなのだ。うちのテストパイロットが一歩も踏み出せなかった技術評価機をもう50過ぎた年齢で軽々と乗りこなしたアマダ夫妻――ずっと以前に存在した幻のモビルスーツのテストパイロットだった、という眉唾物の噂すらある――は、『転ぶ前に転ぶ方向に足を動かすこと』という名言を残したが、アマダ少尉はそれを無言で実践している。それは、まるで自転車が当たり前の世界からタイムスリップした人間が、黎明期の自転車に四苦八苦する人々を横目に颯爽と乗りこなすかのように。何かが違うように思える。自然に生まれ死ぬナチュラルという宿命の束縛から逃れようと人工的に遺伝子を操作したコーディネーターとも違う、何かが――

「……私の顔に、何か付いてますか?」

アマダ少尉が怪訝な顔で俺を見ている。考え事が(おもて)に出ていたらしい。俺は(かぶり)を振ると、缶に残ったジュースを飲み干した。

「……何でもない……こともないな。アマダ少尉の顔を見ていたらこの前の無重力テストのどこまでも続く宇宙を思い出していた。娘にも、見せてやりたいな、とな」

嘘だ。娘は、仕事人間の俺には懐きもしない。これに先駆けてここ『ヘリオポリス』に出向した時にも、興味なさそうに、ただオーブでも一部では知られている『プラント』の歌姫ラクス・クラインのミュージックディスクを欲しがっただけ。『ヘリオポリス』のあるL3と、『プラント』のあるL5は、地球と長年堆積した人類の負の遺産の形のひとつデブリベルトを挟んだ向こう側――その程度でしかない。だが、俺が娘の話を切り出した途端、アマダ少尉の表情が少しだけ、翳った……ような気がした。

「……結構、娘って、父親に素直になれないものなんですよね……」

「そんな、もんかね……」

「でも、良いことだと思いますよ。父親の、そう言う気持ちって、きっと伝わると思います」

何か、思うところは……あるんだろうな。だが、俺もそれ以上聞くことはできなかった。

「……ま、機会があれば見せてやれるだろうしな。それより、明日引き継ぎの人間がこんな夜更かししていてもいいのか?」

場を変えるべく、わざと意地悪く言ってみる。アマダ少尉もそれが解っているのか、短く「おやすみなさい」とだけ言って、戻っていった。


「さて、俺も部屋に戻って寝るかね……」

欠伸とともに大きく伸びをする。だが、何かが気に掛かっている。何かが起こるようなざわめき。だが、今の俺にはそれがなんなのかは判らなかった。


コズミック・イラ71年1月24日は、こうして更ける。明日に何が待っているのかすら、誰にも知らせぬまま。そして、俺も、遠くからこの『ヘリオポリス』を見つめている目があることに、気付く術を持たなかった……

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