Phase-2 "凪の静寂 に娘達は踊る(前編)"
*
頬に当たる冷たい感触。
それは、まとわりつく醜悪な匂いと同じ。
引き裂かれる服と、粘り着く匂い。
あたしは、あの人の名を叫ぶ。
精一杯。
……精一杯、叫び続けて……そのうち、何も感じられなくなった……
カクテルライトの中は、唯一私が精一杯『私』でいられる場所。
私の『外のイメージ』に乗せたスローテンポが、唇が紡ぐ旋律に重なる。
終わりとともに巻き起こる拍手喝采。
アンコールの声に挨拶すると、私は決められたとおりに舞台の袖に下がった。
ここからは、私は『わたくし』になる……
「……ラクス様、今夜も素晴らしいステージでした」
「ありがとうございます。皆様のおかげで、今宵も素晴らしい夜となりました……」
定型挨拶。決まり切った、型にはまった美辞麗句。ここでは、私は人形でしかない。もう嫌だと叫びたくても、それは『わたくしではない』――そう。『私』は、ここでは認められない者。だから、『わたくし』を演じる。精一杯……
ふと、思いついて席を外す。さすがに、化粧室の中までは誰もついてこない。ここも、『わたくし』が、『私』に戻れる数少ない場所の一つ。溜息をつく私に、後ろから声がかかった。
「……やほ。ラクスさん」
ブラウンのショートカットにトレードマークのバンダナ。歌手の中でも数少ないお友達の、Maayaさん――プラント最高評議会議長の娘で、『歌姫』と呼ばれる私とは正反対に、アプリリウス市のストリートでゲリラライブを続けながら、テレビにも出るようになった、強い
「今日のステージ、凄かったね。新曲もやっぱり凄いし」
「Maayaさんこそ……今日のお客様、若い方々は皆様Maayaさんのファンでしたわ」
「そんなことないよ。ラクスさんのファンの方が多かったって」
今日のお仕事は、プラントと、オーブ等プラント友好国向けに放送される素人のど自慢大会のゲスト。戦時だからこそ、続けられている番組に、私と、Maayaさんの歌を歌う女の子が上位に入っているので、審査員として呼ばれていた。決勝を争ったのは私のデビュー曲を歌ったミーア・キャンベルという女の子と、Maayaさんのプロデビュー曲を歌ったルナマリア・ホークという女の子。どちらも甲乙つけがたいと思ったけれど、最終的に優勝はミーアさんだった。女の子達が歌い終わった後、Maayaさんと私が1曲ずつ歌って、フィナーレを飾る。今は、収録後の打ち上げのようなもの。それなのに、私の周りには父の顔を伺うような人間しか集まってこない……
「あたしも、また書いてみようかな?最近はJ.B.に任せっきりだったから」
私とMaayaさんがお友達だと言うことは、実はあまり知られていない。私がプラントの『歌姫』で、それこそプラントそのものがバック、と思われがちなくらいだけれど、Maayaさんはたった3人でここまで来た。その強さが、羨ましくなる。
Maayaさんは、気付いているのでしょうか……私の、この思いを……
「……さん……ラクスさん?」
「え?は、はい?」
気がつくと、Maayaさんが私の顔を覗き込んでいる。思わず赤面する私に、Maayaさんが安心したように大きく息を吐いた。
「……びっくりさせないでよ。ラクスさん、いきなりぼーっとして……」
「あ、あら。私としたことが……」
「……疲れてない?あたしと違って、スケジュール相当キツいんでしょ?」
「……そんなことは……」
言いかけた時、後ろで何かが落ちるような物音がした。私が来るまで、ここは無人だったはず。Maayaさんも気付いたのか、私の前に出て物音がした扉に手をかける。
「……鍵は……かかってないみたいね……」
Maayaさんがゆっくりと扉を開ける……まず目に入ったのは紅い色。開かれる扉が、中にいるものを明らかにする。そこにいたものを見て、私とMaayaさんは声を失った。
それは、私と同い年くらいの女の子だった。けれど、顔に殴られたような跡と唇から伝う赤い線、それに刃物で切り裂かれた服。足首に見えるのは、銃で撃たれたような傷。そこからはまだ血が流れていて……それだけでなく、太ももを伝う赤と白の線……その経験のない私にも、彼女が何をされたのかはっきりと理解できる。取り乱しかける私の前で、Maayaさんが携帯に話しかけていた。
「……J.B.?要さんもいるんだ?よかった。急いで来て!場所?……」
助けを呼ぶMaayaさんの横で、私は女の子に上着を掛ける。薄手のショールだけれど、ないよりはいいと思って。
女の子はまだ、息がある。けれど、それは非常に弱々しく、いつ途切れてもおかしくないと思った。やがて、ブラウンの長い髪を根元で括った、女性と見間違うような男性が化粧室に入ってくる。Maayaさんのマネージャー、カナメ・エンソウジさん――彼は着ていた黒いロングコートを脱ぐと、女の子にかけた。
「救急車は呼んである。間もなく到着するだろう。
クライン嬢にも、大変なご迷惑を……」
「い、いえ……」
透き通ったアルト。折り目正しく礼をするエンソウジさんに、私は取り乱さないようにするのが精一杯だった。
やがて到着する救急車。騒がしくなる周囲を余所に、私達は、傷付いた少女を乗せた車が見えなくなるまで見送る。今日はクリスマスイブ。プラントでは本物は降らない。人工の雪模様。その作られた白さが、さっきの色を鮮明に私に思い出させた……
C.E.70.12.24.――Story starting...but, this is prologue...