Deofol Phantasia The 1st chapter "Reen"

Prologue

風がこんなに冷たかったなんて、今まで考えたこともなかった。


口の中に、生臭い味と鉄の味が綯交ぜになったなんとも形容しがたい味覚が広がる。


吐き出せたらどんなに気分が楽になるだろう……でも、飲み込むことしかできなかった。


体を起こそうと腰に力を入れたとき、生暖かいものが腿を伝う厭な感触が、一層自分の情けない姿を現実のものとして嫌でも認識させられるようで、気分が悪くなった……


泣き出したかった。誰もいないこの場所で。

でも、涙は出なかった。


……悔しいのに……悲しいのに……


道端で潰れた蛙のような格好のまま、私は辺りに散らばる襤褸切れで濡れた腿を拭うと、何もなかったように輝く光に向かって歩き出した……

1

秋の訪れは早い。気がつくと、そこは色とりどりに染まった吹雪舞う幻想の世界と化す。朝の爽やかな風に舞う銀杏並木を抜けてはしゃぐ小さな少女達と擦違った少年は、その小さな影を微笑ましく見送ってから、ふと、空を仰いだ。

「……そろそろ、かな?」

少年は少女と見紛う整った唇からそう言葉を紡ぐと、肩に担ぐ紺色に染め抜かれた細長い絹の袋の滑らかな感触をまるで楽しむかのように撫で摩ってから、何もなかったかのように歩き出した。


少年が歩く銀杏並木の行きつく先には、桐生院学園という私立高校がある。

戦前、ここにあったというカトリック系の女学校跡地に建てられたこの学校は、苛烈な爆撃を辛うじて凌いだ明治時代の趣を残した煉瓦造りの旧校舎と、焼け残った鐘楼を中心に戦後建て直された小さな礼拝堂が特徴という以外、特に目立つ所もない学校だった。

いや、今年から一部において注目を集めていた、と言えるかもしれない。何故なら、新学期開始と同時に新たに理事長に就任した人間が、この学園の生徒たちとさして変わらない年齢の女性だからだ。

昨年まで理事長を務めていた男が、留学を終えて帰ってきた創始者の孫娘に椅子を譲った、ただそれだけのことが周囲に与えた影響は決して小さくはなかったのである……。


桐生院学園の新校舎一階の角に一年A組の教室がある。超一流の進学校ではないとは言え、それなりの狭き門を潜り抜けた新入生達も、二学期が始まって一段落つくこの頃になると、最初の頃の緊張感も消えて新しい関係を築き上げている。そのためか、教室も最初の頃のようなぎこちなさがなくなり、また昼休みという時間帯もあってか、年相応の喧しさが顔を出していた。


「……そういえば、さ。今日、転校生が来るって話、なかったけ?」

学食のサンドウィッチを食べ終え、パックのジュースを飲み干した少女が、真っ先に口を開いた。彼女の目の前にはいつものメンバー三人が顔を揃えている。

「むぐ……。確かにそんなこと言ってたような……。優奈、覚えてる?」

話を振られた少女が可愛らしいランチボックスの中に詰まっていたお弁当の最後の一口を飲み下した。頬っぺたにもお弁当がついているが、気づいた様子はない。

「はい。私の幼馴染がイギリスから帰ってくるんですもの。忘れるはずありませんわ」

優奈と呼ばれた少女は静かにそう言うと、古ぼけたアルミのコップの中にあったお茶を一口含む。コップを机の上に置くとき、彼女の金色の髪の動きに合わせて首から下げられた年代物の純銀のロザリオがしゃらんと音を立てた。

「優奈の幼馴染かぁ……ということは、光様ともそうなるんだよねぇ……
 はぁ、まーたライバルが増えるのかぁ……」

最初に話題を切り出した少女が大きくため息を漏らした。

「……むぐ……杏子ちゃんの強力な恋のライバル出現!……あむ……」

一際明るい声で追い討ちをかけた少女は、袋からアンパンを取り出して頬張った。これでもう六個目だ。

「こーら、梨香ぁ。駄目でしょう、いくらなんでもそんな本当のことを……」

「亜里沙……あんたのが一番堪えたわ……」

杏子は絞り出すような声でそう言うと、自分の机に突っ伏した。


ちなみに、彼女達の話題に出てきた『光様』とは、この学園の新しい理事長の弟、三年A組に籍を置く桐生院光という少年のことを指す。勉学、スポーツ共にそつなくこなし、中性的な雰囲気を醸し出す紅顔の美少年は、学園の少女達の注目を当然のように集めていたのである。勿論、杏子もその中の一人に過ぎなかったのではあるが……。


「あーあ。優奈がいるから有利だと思ったんだけどなぁ……」

杏子が優奈に恨めしそうな視線を向けた。

「……総てのことは主の思し召しです。努力すれば、それは必ず報われます」

「あー、シスターと同じこと言うし……」

「娘ですから。いずれ、私もお母様のように神に仕える身となりますから……」

そう言って、優奈は胸元のロザリオを握り締めた。杏子の顔が一層渋ったのは言うまでもない。

「でも、転校初日から大遅刻なんて、本当にいい度胸してるよね……
 今頃何してるんだろ、その転校生」

「ほんとだね!お昼休みが終わると、あと一時限で学校終わっちゃうのにね!」

亜里沙と梨香が顔を見合わせた横で、優奈がポツリと呟いた。

「……本当、変わってないですわ。今頃、どこかで道に迷っていたりして……」

幸か不幸か、優奈の呟きを聴きとめた者はいなかった。


そのころ……


「ふええ……」

少女は今にも泣き出しそうだった。そして、実際、少女の姿はこれ以上ないくらい酷い有様だった。

家を出たときは下ろし立てであったろう制服は汚水の臭いに塗れ、引き摺る足元からはかぽかぽと音を立てる革靴の跡をなぞるように軟体動物が這いずったような黒く濁った跡を引いている。肘に届く辺りで切り揃えられた亜麻色の髪には土色に変色した肉がこびり付いた魚の骨が絡みつき、これがまた例えようのないくらい異様な腐臭を放っている……。

その姿で少女は大通りを歩いていた。道行く人々が少女に哀れみの視線を向けるが、だからといって少女に手を差し伸べる奇特な人間が今のご時世にいようはずもなかった。遠慮呵責のない子供に至っては、あからさまに後ろ指を差すほどだ。

「ふええ……」

少女は自分の身に降りかかった不幸を嘆く暇すら与えられなかった。普通なら足を引っ掛けるはずもないタイルの角で躓いて転んだのだ。

これが、止めの一撃となった。

「……う……ひっく……」

ここまで来たら、後はもうどうすることもできない。天下の往来にへたり込み、堰を切ったように大泣きする少女の姿は、憐憫を通り越して、もはや滑稽でしかなかった。

道行く人々が奇異の視線を投げつけるその少女は、結局、買い物をするために通りかかった優奈達が見つけるまで、そこで泣き続けたのであった……。

2

「……もう、落ち着きました?」

桐生院学園のちょうど向かいにある優奈の家。その中にある優奈の部屋は、今、石鹸の香りで満たされていた。昼間、大通りで泣いていた少女を、優奈がとりあえず自分の家に連れていったのだ。

「でも、本当に驚きましたわ。まさか、十年ぶりに会う幼馴染との対面があんな所で……。
 ふふっ。本当に変わってませんわね、リーン?」

にこやかな笑みを浮かべる優奈の前の椅子に座っているリーンの姿は、昼間のあの様子から一変していた。多分、昼間彼女を見た人間がもう一度顔を合わせても、当人とは判別できないだろう。

「ありがと。Yuna」

言葉こそ日本語だったが、その抑揚は英語圏のものだった。

「でも、どうしてあんなことに?」

甘い香りを漂わせるホットミルクのカップを手渡しながら、優奈が訊いた。

「……イヌ……」

リーンはそれだけ言うと、うつむいたままカップに口をつけた。

「イヌ、というと、あの犬?」

「追いかけられて、転んで……」

リーンがぽつりぽつりと呟くのを聞いて、優奈は合点がいった。

「なるほど。でも、どうして力を使わなかったの?貴女なら簡単なはずよ?」

優奈の言葉に、リーンは答えない。カップから湯気が立たなくなった頃、ようやく……

「……嫌われたくないから……」

ただ、それだけを口にした。

「……そう」

一時沈黙が部屋を支配した。優奈がそれを破ろうと言葉を発したのと同時に、ドアがノックされた。

「……はい?」

「……いいかしら?」

若い女性の声だった。優奈が応え、ドアが開いたときまず目に飛び込んできたのが優奈達のものより型が古いが、確かに桐生院学園の女生徒用の制服だった。

それは、光が在籍する現三年生が入学したときから制服が改定されたため、今では写真でしか見ることがなくなったセーラー服タイプのものだが、さすがに生地はしっかりしている。ほとんど袖を通していなかったのだろう。新品同然だった。

「……こんばんは、光子さん。お久しぶりです」

制服に続いて部屋に入ってきた女性を、優奈は丁寧なお辞儀で迎えた。

「リーンちゃんが大変なことになったって聞いてね。これを持ってきたのよ」

純白のスーツが似合う女性、優奈達の通う桐生院学園の新しい理事長でもある桐生院光子は、そう言って女神のような微笑を浮かべた。

「あれじゃあ、あの制服は処分しないと駄目だから。ね、リーンちゃん、よかったらわたしが着るはずだったこれ、着てみない?」

まだ状況がつかめずきょとんとしているリーンの目の前に、光子は手にした制服を広げた。

「……まあ、今の子達の中ではちょっと目立つかもしれないけど……どう?」

「……あ、あの……」

戸惑うリーンに、優奈が助け舟を出した。

「光子さん、今日はそれだけでここに足を運ばれた訳ではありませんでしょう?」

優奈の言葉を受けて、光子の表情が豹変する。今までの女神のような笑みは消え、その表情は今や憎むべき悪魔を前にした天使のような冷酷なものに変わっていた。

「……迷える子羊が現れたわ」

その言葉に、優奈とリーンは鋭敏な反応を見せた。

「……さ迷える……悪夢……」

優奈は自然とロザリオを握り締めていた。

「……これは公にはされていないけれど、一週間前、大通りの工事現場で女子高生が乱暴され、惨殺されたわ。
 それから昨夜までに、その犯人と思われる少年達が次々と謎の変死を遂げている……」

「酷い……」

「復讐、ですわね……」

二人の反応を意にも介さず光子は続ける。

「だからと言って、このまま復讐を完遂させることは許されないわ。
 優奈、リーン、貴女達はこの哀れな子羊を一刻も早く昇天させなければならない。
 今回、光には別行動してもらうから、貴女達のサポートには回れない……心してかかりなさい」

光子の言葉には有無を言わせぬ迫力があった。

「ここでの初めてのお勤め……Reen、頑張ります!」

「光さんが別行動ですか……少々私達には荷が重くはありませんか?」

「今回、男が口出しすると却って相手を興奮させるだけよ。直接攻撃力の減少が否めないのは解るけれど……
 大丈夫。リーンちゃんの力、貴女も良く知っているでしょう?」

「ええ……」

優奈の言葉からは一抹の不安がありありと見て取れた。

「そんなに心配しないで。Reen、もう大丈夫だよ」

リーンの笑顔には、先程までの影は微塵も残ってはいなかった。

「じゃあ、決まりね。
 決行は今夜二四時。光もその時間から行動を開始するわ。
 ……貴方達に、神のご加護の、あらんことを……」

3

今夜は満月だった。

イギリスで見るそれは、輪郭もはっきりとしてなんだか冷たい感じがしたが、日本で見た同じものは、輪郭も何やらぼやけていてはっきりとしていなかった。

同じもののはずなのに……リーンはそれが日本という土地のせいかと自分を納得させた。

「……ここですわね」

そこは街の大通りに面した工事中のビルだった。最近の不景気の影響か、途中で止まったままらしい。二人はしばらくビルを見上げていた。後ろの大通りには車がひっきりなしに通っていたが、二人に気をやる余裕のある人間など、いようはずもなかった。しかし、もしその気のある者が見れば、二人が奇異に映ったことは間違いない。

二人の格好は、リーンが動きやすさを重視した普段着なのに対して、優奈が映画の中でしか見られないような法衣を着て首から銀のロザリオを下げているという物々しいものだったからだ。


「……生き物の声が聞こえない。これが日本なの?」

「……金の亡者の夢の跡、ですわ。貴女が日本を離れている間、私達子供の目から見てもこの国の大人達はどこかおかしくなってしまっていますから。もっとも……」

機材が置きっぱなしになっているビルの中に足を踏み入れながらの会話は、そこで途切れた。生暖かい風が二人の間を駆け抜けたからだ。

「Yuna!」

「リーン!来ます!」

金切り声のような轟音を伴って風が駆け抜ける。それは自分の不遇を呪う声か、それとも新たな贄を見つけた歓喜の声か……。

「速い……」

聖水の入った水晶の小壜を手にした優奈が歯噛みする。リーンの今の実力が判らない今、優奈は一人でけりをつけようとしていたのだ。だが、それも相手の足を止められてのこと。無論、亡霊に足があるとなど優奈は考えてなかったが……。

『FREEZE』!

優奈がたたらを踏む。その目の前が白くなった。空気中の水分が一気に凍ったためだ。しかし、風は止まない。

「外した?」

せせら笑うかのように周囲を舞い続ける風を、リーンは睨みつけた。


これがリーンの『力』。発する言葉を具象化するその力は、まだ制御できなかった幼い頃は『他と違うこと、それすなわち罪』の観念が強い日本では異端でしかなかった。だから、彼女は母親の里であるイギリスの田舎に逃げることしかできなかった。

しかし、今は違う。自分の存在意義を見つけ、力も制御できるようになった今、リーンは自分の意思でこのもうひとつの故郷、日本に帰ってきたのだ。


「……相手の動きが速すぎて、今一つ決め手に欠けますわね」

「……もう少し、相手の姿がはっきりすると、Reenも何とかなると思う……」

風に追い詰められ、背中合わせになった二人が何事か思いつき、頷き合って離れたのはその直後だった。

「お願い!話を聞いて!」

「リーン?」

優奈の驚きも気にせず、リーンは風に向かってあらん限りの声で叫んだ。今回は力をこめてはいない。

だが、風はリーンの懇願に耳を貸すでもなく、ただ荒れ狂うだけだ。

「お願い!あなたを殺したくないの!」

「無駄ですわ!リーン。もう、貴女の言葉に耳を貸す術を、彼女は持たないのですから!」

「お願い!」

その言葉に力はこもっていなかった。しかし、それ以上の願いがこもっていた。

「……風が、止みましたわ?」

優奈はリーンの無鉄砲なやり方に呆れる反面、それができる彼女を羨ましく思った。

今まで、優奈と光だけでこの『お勤め』を果たしてきて、今回のように相手の気持ちに立って行動する余裕など、なかったからだ。人間側に立った優奈達には、『昇天』とは、躊躇うことなく封じ、滅殺することと同義語だった。

だが、リーンは違った。多分、光子は最初から知っていたのだろう。三人の中で最強の攻撃力を持ちながら、それを使おうとはしないリーンの心根を……。


 ……くすくすくす……


虚空から笑い声が聞こえる。

「笑って、いますわ……?」

優奈の声も、その笑い声にかき消された。


 ……くすくすくす……


また聞こえる。不意に風が止んだ。そして、風の衣を払って姿を現したのは……


影……そうとしか形容しようがなかった。既に人の形をしておらず、動きを止めた今でさえその姿は徐々に形を失いつつあったが、影の中に浮かぶ落ち窪んだ眼窩と外れ落ちそうな顎は、見るものを恐怖させずにはいられなかった。


「……貴女が……?」

かすれるようなリーンの言葉の答えは……笑い声だった。


 ……くすくすくす……


顎の骨が落ちた。だが、笑い声は止まない。


 ……くすくすくす……


今度は右腕。左足も腐った筋で辛うじて繋がっているだけだ。腐臭が辺りを支配する。

「……貴女達はだあれ?ここに何しにきたの?……くすくすくす……」

それはリーン達ともさして年嵩の変わらないであろう女の子の声。その中には紛れもなく狂気が混じっていた。

「……ひとつだけ聞かせて。貴女はどうしてここにいたいの?何か遣り残したこと、あるの?」

リーンが聞いた。暗く澱んだ眼窩の奥に一瞬光が宿ったように見えた。

「……寂しいの。寂しくてたまらないの。……だから、連れて行くの。寂しいから。……くすくすくす……」

声がした。そのとき、確かにリーンは見た。影の後ろに、もうひとつ、さらに澱んだ黒い陰の姿を……

「……Deofol……」

リーンがその言葉を口にしたとき、黒い陰が揺らいだ!

「Yuna!」

リーンが叫んだ。言われるまでもない。優奈が陰に向かって聖水の小壜を投げつけるのと、リーンが次の言葉を発するのは、ほとんど同時だった。

『BREAK』!

リーンの力に応じて空間が震えた。陰の周囲の空間が歪み、陰もろとも崩れ落ちる。そして、霧となった聖水が空間に穿たれた孔にはまり込んだ陰を戒める鎖と変わる。

もはや身動きできなくなった陰を前に、優奈がロザリオを振りかざす。

暗き闇より来る者よ!
 古き神々より出でたる悪しき者よ!
 契約の主に成り代わって優奈が命ず!
 大地と水より生まれし者よ、汝のあるべき姿に戻り……あるべき場所へと疾く去れ!


風が鳴いた。渦を巻き、光の粒子とどす黒い液体に分かれた風は、やがて天と地に吸い込まれるように、消えた。


「……終わりましたわ」

外套を脱いだ優奈が大きく息を吐いた。

「……ううん。まだ、終わってないよ」

リーンの言葉に、優奈が身を硬くする。その視線は、リーンのかざす手の中にある小さな黒い炎に注がれていた。


 ……苦しかったのに……痛かったのに……


「……声?」

それは優奈のものではない。目の前のリーンが発したものでもない。


 ……気持ち悪かったのに……『助けて』って言ったのに……

 ……ここは、どこ?

 ……私、どうしてここにいるの?


「……帰る場所、探してるの?」

リーンが、静かに問い掛けた。


 ……帰れるところなんて、ない……誰も、私を必要としないの……

 ……お父さんも、お母さんも……先生も、友達も……ううん、友達なんていない……

 ……誰も私を気にしないの……いなくても、気にもされないの……


「ここにいればいいよ。いたいだけ、いればいいよ」

そう言って、リーンは手の中の炎を胸に押し付ける。炎が吸い込まれるように消える瞬間、黒かった炎が白く変わったように見えた。

「……終わったよ、Yuna」

そう言って、リーンは笑った。真夏の太陽のような、曇のかけらもない笑顔だった。


そのころ……


繁華街の雑踏を外れた裏通りに、情けない男の声が響き渡った。男の孔雀のように逆立てた極彩色の髪やアウトロー気取りの革ジャンは生ゴミに塗れ、左腕の髑髏を模った刺青は自身の情けなさを自嘲するかのような乾いた笑いを張り付かせていた。

「……た、助けてくれよぅ……」

男は、地面に頭をこすり付けて懇願した。

「……あ、あの女、あんたのだったのか……。で、でもな、あれは事故……そう、事故だったんだ!俺達、殺すつもりはなかった!なぁ、許してくれ!他の奴らみたいに、殺さないでくれ!」

男の濁った目は、目前に迫る抜き身の白刃に注がれていた。水鏡のように磨かれた刃に自分の痴態が映っている。

「……殺す?僕が君達のことを知ったのは今日だ。仲間を殺したのは、僕じゃない。
 ……自業自得じゃないのか?」

男が視線を上げた。月明かりの中に漆黒の詰襟をまとった端正な少年が立っている。白木の鞘と抜き身の白刃が妖しく光る。少年が言葉を発するたびに腰に届く髪が揺れる。それらすべてが、恐怖の対象だった。

「……じ、じごうじとく?」

男はその言葉の意味が解らなかった。

「……天罰だよ。そして、これから僕が君に与えるのが……天誅だ!」

少年は刃を振り下ろした。男の股間から黒い染みが広がる。が、少年の刃は男を捉えてはいなかった。

「……君達の犯した罪、町内清掃程度で赦されると思わないほうがいい。
 彼女が赦してくれるまで、そうしていることだな」

白刃を鞘に収めた少年は、振り向くことなく言った。


直後、裏通りに絶叫が木霊した……。

Epilogue

次の日、一年A組の教室はざわめいていた。ここだけではない。噂好きの女の子集まるところ、どこも似たような状態だったといってもいい。


「……ねぇ、今朝のニュース見た?」

「女の子が工事現場で生き埋めにされてたんでしょう?」

「……犯人が自首したとき、その女の子がいるって、うわ言のように言ってたんだって」

「……よっぽど悔しかったんだね。化けて出てくるなんて」

「本当ねぇ……」


……と、どこも同じような話でもちきりだった。そして、それは優奈達も例外ではない。

「……ねえねえ見た?今朝のニュース!」

杏子が教室に入ってくるなり優奈の前に駆け寄ってくる。その声に合わせるように、梨香が何かとんでもないものを見たような顔をした。

「杏子ちゃんがニュースなんて見てくるなんて……今日、雨が降ったら嫌だよ……」

「そうねぇ。今日、帰りに駅前に寄ろうかと思ったんだけど……雨が降るならまっすぐ帰ろうかな?」

「梨香、亜里沙……あんた達があたしのことどう思っているか、よーく解ったわ……」

三人の掛け合いを見て優奈がくすりと微笑んだ。

「……優奈まで……。あー、もういいんだ……あたしゃ一生お笑いキャラで生きてく宿命なのよ……よよよ……」

「なーにが『よよよ』よ!気持ち悪い笑い方して……」

亜里沙が付き合いきれないといわんばかりに肩を竦めるふりをしたとき、教壇から声がした。

「……はーい。全員揃った?ほら、そこ!早く席につく!
 みんなもう知ってると思うけど、転校生を紹介するわね。本当は昨日からの予定だったんだけど、ちょっと予定が狂って今日になったの。帰国子女だからって、みんな、あまりいじめちゃ駄目よ」

担任の水上先生がちょっとおどけた明るい声でそう言うと、教室が笑いに包まれた。

「……鈴風さん、入ってらっしゃい!」

水上先生の呼びかけに応えて、引き戸を開けてセーラー服姿の女生徒が入ってくる。肘まで延ばした亜麻色の髪の小柄な姿を前に、教室は一瞬静まった。

「さ、鈴風さん、みんなに自己紹介して」

促されるままに、その女の子、リーンがその体に似合わぬよく通る声で自己紹介をはじめた。

「皆さん、はじめまして。鈴風リーンです。これからよろしくお願いします!」

To be continued...