失われた知識のルビー

第一章 『少年達』

1

初夏のこのとき、辺境の地にある中規模の漁村であるリフレクトの村は大騒ぎだった。その騒ぎの原因は少し前に起こった大地震と少し間をおいて発生した大津波、そして津波のお陰で海神ネプトルを祭っていた海上神殿が水没してしまったために中に封じられていた古代の魔物が蘇り、そして村人を一人また一人と石にし始め、更に買ぎ物を要求して来たことなどであった。村の代表たちは一同に集って合護会を開きその旨を審議したが、結果は魔物の要求を素直にのむことが村の安全を守る唯一の手段だと言う結論が出たに追ぎなかった。魔物の妻求とは…

『毎月の満月の夜に十人の処女と街萄酒を満たした樽を二十、あの神殿の後にできた洞窟の入り口に収めよ。さもなけれぱ今すぐにでもお前達を全員石にしてやる』

というものだった。当然、これを村人達に話すとほとんどの人間が反対の意見を出した。そして、それはこの村の村長であるアルヘイプも表向きはどうであれ内心は同じことであった。しかも、彼の家からは彼の一人娘であるブリュンヒルデを差し出すことが決定していたから、その反対はかなり激しいものになるはずだと彼は予想していた。しかし、当のプリュンヒルデはそれを素直に受け入れたのに対して、反対していたのはアルヘイブが自分の子供としてブリュンヒルデと同じように育てられていた四人の少年少女達だったのである。


「…だからさっきから言ってるじゃね一か!俺は絶対に反対だぜ!そんな暴挙が通るほど世の中甘くないって言ったのは誰だよ!」

円テープルの東側に座っていた浅黒い肌の少年、テュロスがテーブルを思いっ切り叩いて反対する。

「…そ一よ!テュロスの言うとおりだわ。どうしてプリュン義姉をあんな古ぼけた化物に差し出さなくっちゃならないのよ!」

テュロスの左隣に座っていて初めのうちは静観していた金髪の美しい容貌の小柄な娘、ロスヴァイゼの口調もいつしか感情的になっていた。

「そうだそうだ!僕もその案にはとても賛成できない。納得のいくような説明をして欲しいよ」

ロスヴァイゼの左隣に座っていた小さな子供くらいの背丈しかない少年、レルムが更にアルヘイプを間い詰める。

「…え一い、黙れ黙れ。お前達には村の安全を守ろうという気はないのか?儂だって愛娘をあんな化物に差し出すことがどれほど屈辱的なことか…。…ところでおまえ達、アレクがどこへ行ったか知らんか?」

円テーブルの北側に座っていた壮年の男、アルヘイプは三人の反対意見を強引に押し切りながら頭を抱えて言った。そこで彼はここにいるのが彼を除いて三人だと言うことに初めて気が付いたのである。

「…そう言えば…。おい、レルム!確かあいつはさっきまでお前の横に座っていたはずだな?見なかったのか?」

「僕に言わないでよ。…そう言うテュロスだってアレクの真っ正面に座っていたんじゃないか。自分の失敗を棚に上げてよく言うよ」

「…何だとっ!?てめえっ!俺に喧嘩を売る気か?」

テュロスがテーブルを力いっぱい叩いて立ち上がる。

「…もう。二人とも喧嘩なら外でやって!…あっ、何なら、あたしもその喧嘩に加勢させてもらいましょうかしらねえ?どう?」

ロスヴァイゼはゆっくりと立ち上がると始めは二人を押えるように、そしてその次にその人形のような美しさをもつ顔に見合った印象を受けるような冷やかな声で言った。彼女が立ち上がった途端二人はさっきまでの威勢を失い元どおりに椅子に腰掛けた。彼女が加勢すると収まる喧嘩も収拾がつかなくなるのである。

「…ところで、誰もアレクの行きそうな場所を知らんのか?」

アルヘイブは少し落胆したような声で言った。その問いに対しての三人の答えはただ首を横に振るだけだった。

そんなときに青白い顔をした長身痩枢の青年、アレクゲルグは帰って来た。いさかい事を嫌う彼は養父でありこのリフレクトの村の村長でもあるアルヘイブのもち掃って来た話を聞いた途端に家の外で日なたぼっこをしに行ったのだ。

「…よう。だいぶ話に熱がこもって来たようだな」

アレクゲルグはいつもと変わらぬ何も考えていないような明るい声で言った。

その声にいつになく腹を立てたのは、ロスヴァイゼだった。彼女はその小さな肩を震わせながらアレクゲルグに思い付く限りの罵詈雑言を浴びせ掛けたあげく、疲れ果ててそのまま椅子に座り込んだ。…勿論、アレクゲルグがその話を一言でも真面目に聞いている訳がなく、結局彼女の怒りはただ周りの者をうるさがらせただけに終わったのである。

「…相変わらずの小うるさいお説教だこと。…まあ、たかだかエルフに多くを望むのが所詮無理なんだがね」

アレクゲルグは両手を肩の横に上げて白々しく言い捨てる。

「…アレクっ!何て事を言うんだっ!」

アルヘイブが彼を叱り付けると同時に、アレクゲルグの頬にはテュロスの拳が決まっていた。その衝撃でアレクゲルグは自分が今閉めたぱかりの扉にたたき付けられ、そのまま床に倒れ込んだ。

「…な…何しやがるっ!痛えじゃねえかっ!」

アレクゲルグが床をなめさせられ口から血の筋を引いたまま叫んだ。

「…てめえ…。言うに事欠いて何て事言いやがるんだ…。俺達は十年近くも義父さんの世話になって、その間ずっと俺達ば兄弟のように育って来た…。ここじゃエルフだ人間だと言うような、そんなくだらんことは関係ない…そうだよな?違うのか、アレクっ!?答えろっ!」

怒りに身を震わせるテュロスを横目に立ち上がったアレクゲルグは、口についている血を服の袖で拭いながら…

「…俺は前から気にいらなかったんだぜ。この家にエルフやハーフリングがいるのをよ…。…お前、どうかしてるぜ!?平気なのかよ、あんな忌まわしい魔法使いの一族やちっこい目障りな奴と一緒に暮らすことがよ?…どうなんだよテュロス。答えられないのかよ?…ははん、お前このエルフが好きなんだろ?だからそんなにむきになって俺を殴ったんだ…。そうか…そうなんだ…。…この裏切り者が!見下げた奴だな、お前はよ!人間なら人間らしくしたらどうなんだよ!」

アレクゲルグは始めはなじるように、そしてだんだんそれに怒りを上乗せしたような口調でテュロスを罵った。

「…な…何をっ!いきなり何を言い出すのかと思えぱ…。お…お前って奴は…見損なったぞっ!」

テュロスの言葉に更に怒りがこもる。…彼は他人を差別することも、またそれとは逆に他人に差別されることも好まない性格だった。しかし、彼が狼狽したこともまた事実だった。彼は今までロスヴァイゼをあの人間とは比べものにならないほどの長命を誇り魔術に長けた種族であるエルフだという視点で見たことがなく、同じようにレルムも俗に小人と呼ばれるハーフリングとして見たことがなかった。彼にとってレルム、ロスヴァイゼ、そしてアレクゲルグは同じ屋根の下で暮らす家族であり兄弟であった。彼にとっての三人ばそれ以上でも以下でもなかったのである。彼はアレクゲルグも同じ考えだと信じていた…いや、そう信じ続けていたかった。しかし、今やそれは無残にも裏切られたのである。

「…やっぱりお前はこいつに惚れてたようだなあ。こうなっちまったからにはとことんまで言わせてもらうがな、俺はお前が義親父に違れて来られた辺りまではまだ良かったんだと思ってたんだぜ。…ここにいたのがブリュン義姉と義親父と俺だけだったからよ。だがね、それから俺はここにいるのがいやになったのさ。ロスとレルムがここに来たときからがよ。…俺はな、人間のようで人間でないような中途半端な連中が気にくわねえんだよ!」

アレクゲルグはテュロス達を嘲るように笑い、そして吐き捨てるように言い切った。その笑いで堪忍袋の尾が切れたテュロスがもう一度アレクゲルグに殴り掛かろうとしたが、その拳はアレクゲルグをもう一度叱ろうとして素早く立ち上がったアルヘイプに易々と受け止められた。その光景をテーブルに腰掛けてあざ笑うアレクゲルグ。その笑いを止めさせたのは、その目を溢れんぱかりの涙で濡らしたロスヴァイゼの平手打ちだった。

「…知らなかったわ…。貴方があたしのことをそういう視線で見ていたなんて…。貴方は確かに口が悪くて小心者でどうしようもない人だわ。…だけど。だけど、まさかそんなことを考えているなんて考えもしなかったわよっ!」

「ありがとよ。今の俺には最高の誉め言薬だぜ。…最後の付け足しがなければもっと良かったんだがな。そんな甘ったれた考えなんかもってるから裏切られたときの反動が大きいんだぜ、よく覚えておきなっ!」

アレクゲルグは言い切った。

「…て…てめえっ!黙って聞いてりゃ好き勝手なこと言いやがって!てめえみてえな最低な野郎は…こうしてやるっ!」

怒り心更のテュロスはとうとうアレクゲルグに向かって腰に差していた剣を抜いた!

「…ほう。俺とやるってのか?お前の腕で?こりゃあお笑いだぜ」

アレクゲルグは鼻で笑ってテュロスを挑発しながら自らも腰に差していた護身用の短剣を抜く。二人がお互いを牽制し始めたころ、そこにアルへイプの一喝が飛んで来た。

「止めいっ!止めぬか馬鹿者どもっ!お前達は一体ここで何をするつもりだ!?…テュロス!お前は…どうしてそういつもいつも頭よりも手の方が早いのだ…。それではいつか自分の剣で自分の身を減ぼすことになるぞと、何度言ったら分かるのだ!…それからアレク!おまえもいいかげんにしないと最後にはこの家から追い出すぞ!それでも良いのか?」

アルヘイプの一喝で二人は互いの武器をしまい、不愉快な顔でそれぞれの部屋へと戻って行った。

「…やれやれ。アレクの余りにも極端すぎる考え方にも困ったものだ。それにテュロスの喧嘩っ早さにもな…。少しはロスやレルムを見習って、おとなしくできぬものなのか…」

アルヘイブば深い溜息をついた。

「…あのう…」

「…何だ、レルム。何かあったのか?」

「…さっきからずっとプリュン義姉さんが義父さんを呼んでるんだけど…」

「何だと!?」

レルムの言葉でアルヘイブが顔を上げると、そこにはさっきまで自分の部屋にこもっていた、美しく華奮な姿にもかかわらず力強い印象を受ける長い黒髪の女性、ブリュンヒルデが立っていた。しかし、彼女の表情からはいつもの温和な印象は得られず、悲しみが見えるだけだった。

「ブリュン義姉っ!…も…もう、大丈夫…な…の?」

ロスヴァイゼが嬉しそうに声をかけたが、ブリュンヒルデの表情が余りに暗かったので次の言葉は中途半端で途切れたようになってしまった。

「…ええ。もう大丈夫よ。心配かけてごめんね、ロス。…それからお父様にも大変な迷惑をかけてしまって…」

ブリュンヒルデはロスヴァイゼとアルヘイブに向かって済まなそうな顔をしながらいつもより更に落ち着いた(…と言うよりとてつもなく沈んだ)声で言った。その声と表情にはいけにえとして選ぱれたことの自分自身としての拒絶と村人たちの安全とを秤にかけなければならないことに対する彼女自身の葛藤が見え隠れしていたことが、三人には分かっていた。

『…できることならあたしが代わりになりたい…』ふいにロスヴァイゼの心にこの言薬が浮かんだ。しかし、これを口に出す勇気をもてない自分が彼女はたまらなくいやだった。…彼女はつい先程まで自分がエルフであると自覚したことはなかった。少々卑屈な性格だが心までは腐り切っていないと信じて来たアレクゲルグや血気にはやる欠点があるが曲がったことが何よりも嫌いなテュロス、いつも冗談ばかり言っているが正義感の強いレルム、そして戦災孤児である自分や理由はどうあれ身寄りのない子供達を引き取って自分の家族として育ててくれたアルヘイブさんやアルヘイプさんの実子である物静かで心の強いプリュンヒルデ義姉さんたちと九年間もの長い間本当の家族として生活して来て自分が忘れかけていた家族の愛情というものを得たような気がしていた。…しかし、その気持ちは今や彼女の中で「ただの独り善がりだったのではないか?』という気持ちに変わりかけていた。だから彼女はそう考え、彼女の代わりに自分がいけにえとなることで自分の存在を否定してしまおうという考えに至ったのである。

「…どうかしたの?顔色が悪いけれど…」

そのプリュンヒルデの一言で彼女は現実に引き戻された。いつの問にかうつむいていた顔を上げると、ブリュンヒルデの顔が正面に見えた。…もう、彼女の顔には悲しみの表情は見えなかった。いつものように見るものに活力を与えるような女神のような徹笑みが戻り、瞳には彼女の慈愛の心を映し出したかのような柔らかな光が宿っていた。その瞳に見詰められると、もはや彼女の心からは一切の迷いが消え、彼女に一かけらの勇気を奮い立たせた。

「ブリュン義姉、あたしが…」

「何?何か言った?」

ブリュンヒルデが優しく彼女に微笑みかける。その笑顔に彼女は一瞬躊躇したが、彼女の決意は変わらなかった。

「ブリュン義姉!あたしが身代わりになるわ!…そうした方が…そうした方が良いのよ!」

ロスヴァイゼはとうとう言い切った。

「…な…何ですって!…あ…貴女、まさか本気でそんなことを言っているの!?」

その言葉にプリュンヒルデだけでなく居合わせたアルヘイプとレルムの二人もとても驚いた。だが、プリュンヒルデはいつもよりも一層優しさに溢れる笑みを浮かべ、そして静かに言った…

「…良いのよ、ロス。…これはね、もう決まったことなの。もう誰にも変えられない、誰にも身代わりになってもらうことなんかできないのよ…。分かって。…お願いだから…」

プリュンヒルデはその顔を見ずとも声だけで分かるくらい悲しみ、そして涙ぐんでいた。

「…そうだ。ロス、もう自分の部屋に戻るが良い。これ以上お前の話を間かされると儂が辛くも押えた気持ちが押え切れなくなるやも知れぬ…。この村の村長として、それだけは絶対にあってはならぬことなのだ…」

アルヘイブが悲痛の表情で言った。二人にはもう何を言ってもむだなことがロスヴァイゼには分かった…。だから彼女は素直に自分の部屋に引きこもった。…ただ、誰にもその涙顔を見られぬように足早に…。

「…ロス…」

レルムが彼女に何か慰めの言葉をかけようとしたが、それはブリュンヒルデに制された。…彼女には分かるのだ。男の真の感情が男にしか分からぬように、種族の違いを問わず女の心境は所詮男には計り知れないものなのだということが。そして今ロスヴァイゼに慰めの言葉をかけるということは、彼女の傷付いた心を更に引き裂くことになるのだということが。だから彼女は敢えて彼にその言薬をかけさせなかったのである。

「…僕も、もう自分の部屋に戻るよ…」

レルムが寂しそうな声で言った。…もはや誰も何も言わなかった、いや、何も言うことができなかった。皆無言のまま、やがてアルヘイブとプリュンヒルデも自分の部屋へと戻って行った。そして居間には誰もいなくなり、そのまま静かに時が流れて行った…

2

「…ちえっ。何で俺が義父さんに叱られなきやならねえんだ…」

テュロスが自分の部屋のベッドに横になったまま一人でふてる。彼は自分もそのとき勢いに任せて剣を抜いてしまったことを後悔しながらも、『何故自分はそこまで腹を立てねばならなかったのか?』ということを、叱られたすぐ後から一人で横になりながら考えていた。…アレクゲルグに言われるまでもなく、自分がロスヴァイゼに何かしら説明のつかない感情を抱いていたことは知っていた。それは彼女がこの世界ではもうほとんど見ることができないエルフの一族だからという訳ではない。そんな好奇の感情などではなく、何か別の…説明はしにくいが何か別の感情が、彼の心を少しずつ占め始めていたのである。

彼は大きく深呼吸をしてからベッドから跳ね起きた。それから自分の中にわだかまる何かを払い落とすためにベッドの傍らに置いてあった剣を取って外に素振りでもしに行こうとした。そのとき…

…トン…トトトン…と扉を叩く音がした。彼はそれを初めのうちは無視しようとしていたが、それが余りしつこく叩かれるので煩わしそうに返事をして扉を叩いていた者に部屋の中に入って来るように言った。

木製の扉をゆっくり開けて入って来たのは、小さな子供のような背丈の者、レルムだった。彼は入って来るなり上着のポケットに入れていた拳大の大きさの林檎をテュロスに投げ遺した。

「…おなかが空いていると思ってね。義父さんに叱られた後はいつもやけ食いしていただろ?」

レルムはにっこり微笑んだ。

「…大きなお世話だ…。まあ、敢えて否定はしないがな。とりあえず礼だけは言っとくぜ」

テュロスは手に持っていた剣をベッドの上に放り投げてからフフッと苦笑しながら言った。

「…強がり言わなくても良いのに。素直じゃないんだから」

「…ほっとけ。俺の性分だ」

テュロスは林檎にかじりつきながら言い返した。

「…それはそうと、レルム。お前は今度の事件をどう思う?」

「…どうって?」

レルムは不思議そうな顔で訊いた。

「鈍い奴だな。…ほら、ブリュン義姉があの『海魔』って化物にいけにえにされるって話しだよ」

テュロスは半ぱいらつきながら言った。

「ああ、そのことか!」

レルムは手を叩いて納得した。

「…お…お前なあ、仮にも自分の義姉さんに関わることを『そのことか!』で終わらせるなよな…」

完全に調子を狂わされたテュロスが怒りを抑えながら言った。

「…だってねえ、そう言われても僕に何ができるって言うんだよ。僕は体も小さいし、テュロスみたいに重い剣をぶんぶん振り回すこともできない…。僕に扱える剣はせいぜい軽い小剣くらいなものだよ。…そんな非力な僕に一体何ができるというの?」

レルムの言葉は珍しく的をついていた。それが彼の正直な気持ちだということは、聞いた者ならぱ誰でも分かったはずだった。

「…確かにおまえ一人の力は弱いさ。でもな、こう考えられないか?俺とお前、それからロスとアレクの四人が力を合わせたならぱ…ってな。
 …おい、ちょっと耳を貸せ…」

テュロスは嬉しそうに自分の考えを一つ一つレルムに話して行った…。

「…な…何だって!?テュロス、それ本気で言ってるの!?」

話の全貌を聞かされたレルムは心臓が飛び出さんぱかりに驚いた。

「本気だとも。こんなこと冗談で言えるか!…俺達四人が力を合わせてあの海魔をやっつけようってんだぜ。成功すりゃ俺達一気に村の英堆になれるんだぜ!」

テュロスは胸を張って答える。その計り知れない自信がどこから沸き起こるのかレルムには皆目不明だったが、とにかく彼は本気でそれを実行しようとしていることだけは分かった。

「…でも、それにロスやアレクが乗ってくれるかどうか…。もし乗ってくれなかった場合を考えたことがあるの?」

レルムは心配そうな顔で訊いた。

「…そのことなんだがな…。レルム、お前がロスを説得してくれないか?俺はアレクを引き込むからさ。…頼む!」

テュロスは拝むようにレルムに頼んだ。

「…急に下手に出て来たね。…ははぁん。ロスと何かあったんだね?…まあ、どのみち僕にアレクを説得できる訳がないから、それが妥当な線だとは思うけど…」

レルムが詮素するような口ぶりで訊いた。

「…情けないことだけどな、実は今あいつの部屋に俺は入れないんだ。ついこの間ちょっとしたものを借りようとしてノックもせずに扉を開けたら…偶然にも着替え中だったんだよな。それであいつを怒らせちまって…俺を中に入れてくれなくなっちまってるんだよ。だから…」

テュロスは赤面して頭をかきながら恥ずかしそうに言った。それを見たレルムはククッと含み笑いをしながら…

「…も…もういいよ。そういう理由なら仕方ないね。僕が説得に行くよ。…だけど…やっぱりロスも女の子だったんだねえ」

レルムが少し奥歯に物が引っ掛かったような言い方をした。

「すまん。…だがな、レルム。その言葉ロスの前では言わない方が良いと思うぜ。…俺個人の意見としては」

「だからもういいんだってば。余り自分を追い詰めないほうが良いと思うよ。…君は竜の息を全身で浴びたって死なないと思うけど…」

レルムはテュロスに忠告を返しながら最後にテュロスに聞かれないような小声で彼を皮肉った。

「…何か言ったか?」

テュロスが最後の小声で言った言葉を気にして聞く。

「いいや。何にも」

レルムは彼に見えないように含み笑いをしながら言った。

「…変な奴。でも頼んだぜ。ロスはブリュン義姉から俺なんかには到底理解のできない不思議な魔法を幾つか習っているはずだから、加わってくれれぱかなりの戦力になるんだからな」

テュロスは心配になって念を押すように言った。

「そっちこそ頼んだよ。アレクの腕前はこういうときには正当化されるんだからね」

レルムも同じようにテュロスに念を押した。…さっきの宣嘩を見ているから彼はとても心配だったのだ。

「ああ。分かっているさ。刺激しないように何とかこじつける。俺にはあいつへのとっておきがあるんだ。…そっちも相手を怒らせないように気を付けろよ」

「言われなくても。僕はテュロスみたいにがさつでデリカシーのない人間じやないからね〜だっ」

レルムは笑って言いながら部屋を出て行った。

「…て…てめえっ!…まあ、いいか。今の所頼りになるのはあいつだけだしな」

その言葉が気に障ったテュロスはレルムが出て行った後の扉に手近なものを投げ付けたが、言われたことももっともなことだったので、苦笑した後一人でそう呟いた。


テュロスの部屋を出たレルムは今、自分達の部屋のちょうど反対側にあるプリュンヒルデやロスヴァイゼの部屋へと続く廊下を歩いていた。この配置方法は我らがアルヘイブ義父さんの『年頃の娘を同年代の狼のような男どものすぐ近くにいさせる訳にはいかんっ!』という考えに則っての部屋配置である。そのため村長宅は平屋である上に非常に縦に長い繊造(イメージとしてはアルファベットの“I”の文字か数字の“1”を想像して欲しい)となっており、まず玄関から入って真っ正面にアルヘイプの部屋、そしてそのすぐ隣に居間があり、それらを中心に北側に男たちの部屋、南側に女たちの部屋が配置されていて、それぞれの部屋が一本の長い廊下(ただし居間だけは貫通している)でつながれていた。レルムが歩いていたのは男たちの部屋から女たちの部屋へ向かう廊下の、ちょうど居間を抜けた辺りだった。だが、テュロスから義父だけには絶対見つからないようにと固く言われていたため、彼は妻父の部屋をどうやって感づかれずに抜けようかと思案しなければならなかった。しかし、その考えは以外にも簡単にまとまった。ハーフリングの特性――足の裏にふさふさした毛が生えていること――を最大限に生かして足音を忍ぱせて歩けぱ良かったのだった。彼は他の家族の習慣に合わせていつも履いていた靴を脱ぎ裸足になった。そしてゆっくりと忍び足で歩き出し、ただひたすらに義父に見つからないこどだけを祈った。居間から義父の部屋の向こうまでは彼の足で僅か二十歩足らずの距離であるが、そのときの彼にはそれは一マイルのように長く感じられた。

「…ふうっ。危ない危ない。見つかったら大目玉を喰らうのは目に見えていたんだものな。でも、無事に抜けられて良かった良かった」

彼は義父の部屋の前を抜けてすぐ隣のブリュンヒルデの部屋をも抜けたところで、溜息と共に安心したように言った。プリュンヒルデの部屋を抜けれぱ、ロスヴァイゼの部屋はすぐそこだった。しかし、彼はさっきまでの緊張から解き放たれて喜びのため浮かれていたため、彼はテュロスと全く同じ失敗をすることになった。…つまり、彼もロスヴァイゼの部屋の扉をノックすることを忘れてそのまま扉を開けて入ってしまったのである。そのとき、彼は扉の取っ手にかけてあった『着替え中!死にたくなけれぱ入って来るな!ただし義姉さんだけは別よ』というかけ札をも見逃してしまっていたのであった。


扉には鍵はかかっていなかった。多分、彼女はテュロスとの一件を忘れていたのだろう。レルムは扉を開けた…

「ロス〜っ。…わわわっ!?」

扉を開けるなりレルムはとても驚かされた。そこには当たり前のことながら水浴を終えてこれから服を着ようとしている、胸と腰のところを僅かに薄布で覆っているだけのほば全裸に近い姿のロスヴァイゼがいたのである…。


きゃあああっ!?


彼女は声を聞いた途端に相手が誰かを確かめもせず、反射的に後で読もうと思ってベッドの上に置いていた分厚い魔法の書を投げた!

「…どうしたの!ロス!?何かあった…」

叫び声を閣いてブリュンヒルデがロスヴァイゼの部屋にやって来た。しかし、彼女にとってロスヴァイゼの部屋に不用意に入って来たのが体の小さなレルムであったことは、ただただ不幸であった…。

「…ブリュン義姉さん!危ないっ!」

レルムが叫ぶ。しかし、それはもう遅かった…。

「…えっ!?レルム?どうし…」

ブリュンヒルデがレルムの存在に気付いて下を向く。そのとき…


ごすっ!


ロスヴァイゼが投げた魔法の書は、その背表紙の角をブリュンヒルデの脳天に見事命中させた。…これは当然と言えぱ当然のことである。何故なら入って来たのが普通の人間の半分の背丈しかないレルムだったのだから…。それにロスヴァイゼが入って来た者が誰かを確認せずに反射的に物を投げたことも一つの要因である。入って来た者がテュロスやアレクゲルグならそれは彼の顔に命中したことだったろう。しかし相手はレルムである。当然普通の感覚で投げられた本は彼の遥か頭上を通過して後から入って来たブリュンヒルデに当たってしまったのである。それでもブリュンヒルデにとって不幸中の幸いだったことは彼女がレルムに気付いて下を向いたことである。もしそうしていなけれぱ、それは彼女の美しい顔を台なしにしていたところであったであろう…。

「あーっ!ご…ごめんなさーいっ!」

ロスヴァイゼは大慌てでうずくまっているブリュンヒルデの元に駆け寄った。

「…いたた。もうっ!一体どうしたのっ!?」

プリュンヒルデは頭を押えながら怒った。ロスヴァイゼは何度も何度も謝ったが、それだけでは一向に彼女の怒りは治まりそうになかった…。

「何だあーっ!何事だあーっ!」

向こうからロスヴァイゼの叫びを聞いて慌てて部屋から出て来たらしいアルヘイプの大きな怒鳴り声が響いて来た。ロスヴァイゼが声のする方向に目を向けるど、アルヘイプの後ろには無理やり引っ張られたらしいアレクゲルグと自分から進んで厄介事に加勢しに来る自称『勇気ある行為』(それを一般にはやじ馬根性と言う)でついて来たテュロスが続いていた。

「…やっぱーい。義父さん違が来たわ!」

「レルムっ!責方はロスのベッドの毛布の中に隠れなさい。ここは私達で何とかするから!」

ブリュンヒルデは慌ててレルムをロスヴァイゼの部屋の中に押し入れる。レルムが返事をする間もなく、彼女は有無を言わせず彼を毛布でくるみ込んでしまった。

「…さっき叫び声が聞こえたが、何かあったのか?」

アルヘイプは部屋に着くなり二人に問いかけた。

「…あ…あははーっ。あれね。あれ間違いだったの。あたしがブリュン義姉が部屋に入って来たときにテュロスと間違えて手近にあった本を投げちゃったの〜。…それだけなの。だから義父さんは何っにも心配しなくてもいーの!」

ロスヴァイゼは慌ててその場を取り繕った。当然、プリュンヒルデがそれに口裏を合わせたことは言うまでもない。

それを聞かされたアルヘイブは簡単に納得し、そして今度はテュロスに怒りの矛先を向けて何度も何度も叱り付けながら帰って行った。


アルヘイブが帰った後、二人はもうそこに誰もいないことを確認してからロスヴァイゼの部屋に入って行った。

「…もう出て来て良いわよ。お父様達帰って行ったから」

ブリュンヒルデが毛布の中に隠れているレルムに声をかけた。その声で安心したレルムは毛布の中から出て来たが、その後すぐに彼は『出て来なかったら良かった』と後梅せざるを得ない状況に追い込まれてしまった。それだけ二人が彼を見詰める視線は、例えるならぱ極寒の地の氷のように冷たかったのである…。

「…さて、どういう了見であたしの裸を覗きに来たのかとっくりと話してもらいましょうかしら?理由いかんでは怪我することになるわよ」

ロスヴァイゼはその冷たい視線に更に冷たい印象を受ける声を上乗せしてレルムに迫った。それで観念したレルムはテュロスの画策した全てのことを二人に包み隠さず話した。すると二人の顔から冷たい表情が消え、代わりに呆れたような表情が現れた。

「…な…何て馬鹿らしくて不可能に近い計画を練るの…、あの馬鹿。前から突拍子もないことをする男だとは思っていたけど…ここまで来ると本当の大馬鹿としか言いようがないわ…」とロスヴァイゼ。

「…本当ね。これがお父様に知れたら…彼、また怒られるわね。…だけど、面白いことを考えていると思うわよ、私は。…何だったらロス、手伝ってあげたら?」

プリュンヒルデが冗談紛れに悪織っぼい笑みを浮かべながら言った。

「…じょ…冗談言わないで!あたしまだ死にたくないわ!いくらあたしが義姉さんから幾つか魔法を教えてもらっているとは言っても実戦で使おうとは考えたこともないもの。それに…あんな男のためにどうしてあたしが命を賭けなきゃならないの!?」

ロスヴァイゼが怒る。

「…そう言わずに頼むよ。もしロスに断られたら僕がテュロスに怒られるんだよ」

レルムがより低い態度で頼み込む。

「そんなことあたしの知ったこっちゃないわ!だいたいあんた達が勝手に決めたんでしょうが!…あたしは絶対に行かないから!」

「…それがブリュン義姉さんを助けることになっても?」

「…そ…それは…」

ロスヴァイゼは狼狽した。

「海魔をやっつければブリュン義姉はいけにえにならずに済むんだよ。それでも行かないの?」

レルムが彼女を追い詰めるように問う。そこまで言われてはもうロスヴァイゼに選択の余地はないに等しかった…。

「…分かったわよ!行けば良いんでしょう!その代わり足手まといになったとしても文句は言わせないわよ!」

ロスヴァイゼはどうしようもなくなって渋々同伴することを約束した。

「本当!?やったね!」

レルムは跳び上がって喜んだ。そして彼は急ぎ足でロスヴァイゼの部屋からテュロスの部屋へと走って行った。

今度は義父に見つかろうが見つかるまいが彼には関係無かったので、その歩みは速かった。

「テュロス!」

レルムは喜び勇んでテュロスの部屋の扉を開けた。

「レルム!待ってたんだぜ。…で、どうだった?」

テュロスはずっと長い間待ち侘びていたものがやっと届いたかのような喜びで胸が一杯になった。それほど彼はロスヴァイゼの力を必要としていたのである。

「聴くまでもないでしょ!勿論賛成してくれたよ。…ただ…」

そこでレルムは言葉を切った。

「…ただ、何だって?」

テュロスの中に一抹の不安が過ぎる。

「…ただ、その話をロスだけじゃなくてプリュン義姉さんにも聞かれちゃったんだよ。…まあ、そのお陰でロスが了解してくれたんだけどね」

レルムは自分の失敗からその結果を招いたことはテュロスに話さなかった。

「そりゃ良かった。…こっちも何とかアレクを引き込めた。…半ぱ力ずくになったんだがな。…でも、これでいつでも乗り込めるぜ!」

テュロスの言葉にはどことなく力がこもっていた。その晩、テュロス達四人は義父に内緒で襲撃作戦を話し合った…つもりだった。しかし、彼らには一つの大きな見落としがあった。それはブリュンヒルデのことである。彼らの義父アルヘイプは彼らが話し合っているそのとき、既にブリュンヒルデの口からそのことを聞かされていた。だが、彼は黙っていた。いずれ子供は独り立ちする、それが分かっている彼はその邪魔をしたくなかったのである。


「…と言う訳だ。これでいいな?」

テュロスはみんなに彼の考えた作戦を説明した。

「…好きにしてくれよ。…これだけは先に言っておく。やばくなったら俺は俺なりの考えで行動するぜ」

アレクゲルグは余り乗り気ではないらしかった。

「僕は異存なし。…僕の考えもこの中に入っているのに一体誰が反対するの?」

レルムはこの場の雰囲気を楽しんでいるかのようだった。

「あたしも別に異存はないわよ。…だけどあたしの魔法を決して過信しないでね。一通りのことはできるけどまだ一度も実戦で使ったことないんだから…。もし失敗しても文句言いっこなしよ!」

ロスヴァイゼはみんなにあらかじめ釘を刺した。

「…よし決まった!じゃあ、あさっての朝日が昇るのと同時に出発だ。みんないいか!?」

『『お一っ!』』

みんなが声を出したので仕方なくアレクゲルグもそれに合わせた。しかし、声が揃わないのがいかにもこのメンバーの行く末を暗示しているかのようであった…。

それで話し合いは終わりを告げた。四人は義父に見つからないようにぱらぱらにそれぞれの部屋へと戻って行き、そこであさってのことを考えながらある者は不安になり、またある者は闘志をたぎらせた。そして、そのまま夜は更けて行った…

3

テュロス達の内緒話も終わり、誰もが寝静まる真夜中、村長宅の一室から小さな明かりが漏れる。炎の揺らぐ燭台を手にして自室で何かを探している者は、誰でもないこの村の村長であるアルヘイブ本人だった。彼は床下に隠してあった大きな箱を引っ張り出した後、今度はその鍵を探していたのである。そして今、彼はようやくその鍵を捜し当てた様子だった…。


かちゃり…


彼が鍵穴に鍵を差し込んで回すと、箱は永い眠りから呼び醒まされたことを嘆き悲しむかのような音を立てて開いた。

彼が箱の中から何かを捜しているとき、不意に後ろに誰かがいるような気配がして振り向いた。するとそこには、夜着姿のブリュンヒルデが立っていた…。

「…とうとうお使いになるのですね、それらの品を…。テュロス達の力では、まだあの恐ろしい悪魔に太刀打ちできないことがお父様には分かっていらっしゃるのですのね…」

彼女の声はいつになく悲しげで愁いを含んでいた。

「…そうだ。彼らの力はまだまだ未熟。意気込みだけが先走りしている状態なのだ。儂はあの偉大な予言者達が記した「巫女の予言』に従い、彼らに我が家系に代々伝わる幾つかの武具を貸し与えるつもりだ。そうしなければ…」

彼はここで言葉を切った。

「…そうしなければ、若い命をみすみす散らすことになる…と、お父様は言いたいのですね」

彼女は続けた。

「よく分かっておる。儂はまだ彼らを死なせたくないのだ。彼ら…特にテュロスには、何かがありそうなのでな。…よし。これで全部だ」

アルヘイブが箱の中から取り出したものは、少なくとも数百年の長い時間を経ているにもかかわらず、その全てが作られたときと寸分連わぬ光沢、色彩を保っていた。


鞘に収めると柄から鞘にかけて彫られた浮き彫りが一匹の水龍になる長剣は光り輝く水晶のような輝きを放ち、何らかの魔法がかけられ軽量化とある種の攻撃に対する防御力の増強が施された鎧と互いが互いを呼びあっているようであった。

柄に不死鳥の姿が彫り込まれた細身の長剣にはそれの示すとおり刀身から陽炎を生み出すほどの熱を帯び、現在存在するどの素材とも異なる素材で織られた胸のところに隼の紋章が刺繍された空色の貫頭衣にも何らかの魔法がかけられうっすらと青い光を放っていた。

様々な魔法に敏感に反応する金属であるミスリルで作られ、雌雄一対の鳳凰が刀身に彫り込まれた小剣とせいぜい子供にしか着られぬ大きさの鎧もそれぞれに威力の増大と衝撃を軽減する呪文がかけられているようだった。

さらに刀身に幾何学的な紋章が彫られた短剣にもそれが何かは分からないが何らかの力が封じられ、夜の闇を切り抜いたような漆黒に染め上げられた革鎧にも、普通のそれとは違った印象を受ける力が込められているようだった。


次の日の晩、家族が寝静まったころにこっそりと彼はこれらを四つの大きさの違う袋に詰めると、誰にも見つからないようにテュロスの部屋の扉の前にそれらを置いた。…そのとき、彼はそれぞれに自筆の手紙を添えることを忘れはしなかった。…そうこうしているうちに東の空からうっすらと光が射し始める。朝が訪れたのだった。彼は寝静まった四人が起きないうちに、急いで自室へと戻って行ってそのまま寝たふりをした。


テュロスの目が覚めたのは東の海に太陽が少し顔を出したころだった。彼は急いで身支度を整え、他のみんなと一昨日の晩に決めた場所で合流するため義父や義姉に気付かれないようにできるだけゆっくりと扉を開けた。そこで彼は扉が何かに引っ掛かったのに気がついた。彼が扉の裏に回ってみると、そこには四つの大きさの連う麻袋が置かれていた。彼はそれを不思議に思ってそれらのうちの一番大きな袋を開けてみた。

「こ…これは…!?」

テュロスが袋を開けるとその中には柄から鞘にかけて一匹の水龍が浮き彫りにされた素晴らしい長剣と青く輝く鎧が入っていた。他には何が入っているのか調べてみると袋の底の方に手紙が一通入っていた。それはテュロス宛に書かれた手紙で、表に書かれた文字は義父であるアルへイプのものだった。それには…


『テュロスよ。お前は儂を散々てこずらせてくれたが、それ以上に儂に一つの夢を見させてくれた。この長剣と鎧はお前のものだ。これを身につけ見事魔物を退治して来い!それまで家に帰って来ることを儂は許さんぞ。最愛の息子へ父より…』

これを見たとき、彼は自分の胸に何か熱いものが一杯になって来るのを感じた。残りの三つの袋も開けようかと考えたが、彼はそれを思い止めた。そして始めに身につけていた粗末な剣と鎧の代わりに義父から自分に与えられた長剣と鎧を身につけ、残りの三つの袋を担いで彼は集合場所へと急いだ。


彼が集合場所である丘の上の樫の木の下に着いたとき、そこには既に全員が揃っていた。彼は遅れた理由を簡単に説明した後、三人の前にその袋を降ろした。彼らは始めそれを訝しげに感じたが、義父アルヘイブからの贈り物だと聞いて三人は大体の目星を付けてそれぞれのものと思われる袋の口紐をほどいて行った…。

ロスヴァイゼの開けた袋には柄に不死鳥の浮き彫りのある細身の長剣と不思議な七色に輝く虹のような光を放つ空色の貫頭衣だった。彼女に宛られた手紙には…

『私のかわいい妹ロスヴァイゼへ。貴女には余りたくさんの魔法を教えてあげられなかったけれど、これから先は自分自身の力でそれを学びなさい。この袋に入っている細身の長剣と貫頭衣はお父様から貴女への贈り物です。私からは何もあげられないけれど、せめて貴女の助けになれぱ良いと思って昨日一日かけて貫頭衣にかけられている魔法の他に、私が先生から習った最後の魔法である『魔力付与』の呪文で貴女の勇気を身軽さに変換できるようにしました。これがこれから先の貴女自身の辛い戦いの際に手助けになれば幸いです。頼りにならない姉で御免なさい。遠く離れていても家族の絆が切れないように…姉より。』

と、それはアルヘイプではなくブリュンヒルデからの手紙だった。

レルムの袋には珍しい金属であるミスリルで作られた二振りの小剣とできるだけ動きを阻害しないように考慮された鎧が入っていた。彼に宛られた手紙は…

『レルムよ。この間お前に割られた花瓶、あれはかなり値が張ったものだったのだぞ。しかし、その悪戯心と好奇心を忘れずにな。これから戦う相手が例えお前の十倍の大きさであっても恐れずに立ち向かうが良い。お前には幸連の女神がついている。袋に入れてある小剣と鎧はお前のものだ。その剣にはお前が傷つけた相手に更にもう一撃与えられるような魔法がかけてあるそうだ。お前がいつも嘆いていたことを見かねた儂は散々迷ったあげくそれを贈ることにした。その剣で見事魔物を退治して来い!帰ったらずっと以前からお前が飲みたがっていた蜜酒を二人で飲み交わそうではないか。…大人になって掃って来い。儂はいつまでも待っているぞ。悪戯好きな息子へ父より…』

彼はこれを読んだとき、目から涙がこぼれるのを感じた。それは、一見放任しているような育て方をした義父の愛情を目の当りにしての涙であった。

アレクゲルグの袋の中身は刀身に奇妙な紋章が彫り込まれた短剣と真っ黒に染め抜かれた革鎧だった。彼の袋に同封されていた手紙には…

『我が最愛の放蕩息子アレクゲルグへ。お前にはもう儂から多くを語らずとも自分で分かっている筈。お前には『再来の短剣』という一度投げても元どおり手元に戻って来るという魔法のかけられた短剣と闇に同化することができるという魔法のかかった『暗闇の鎧』という革鎧を贈る。どこで身につけたかは敢えて聞かぬが、その腕前を存分に生かすが良い。それだけだ。…お前に長兄としての責任の重さを与えてしまった罪深き父より』

「…馬鹿義親父が。俺に期待なんかしやがって…」

アレクゲルグは吐き捨てるように言い、その手紙を握り潰そうとしたが、彼にはそれはできなかった。彼自身にはその理由が分からなかったのだが、横にいた口スヴァイゼには何となくそれが分かったような気がした。…つまり、彼は寂しかったのである。日和見な日々を送り何かと反抗的な態度で人に接し続けた彼であったが、心の奥底では彼は苦しんでいたのである。

義父からの贈り物をしっかりと受け取った四人は、その場でもう一度身支度をし直した。勿論義父からの贈り物を身につけるためである。そして、それが終わったとき、彼らは丘の上から自分達の家を見下ろした。そこで彼らは思い思いの礼の言葉を家に居るはずの義父に届けとぱかりに風に乗せて(約一名のみ罵りの言葉を口走ったが…)から丘を降り、あらかじめ船を隠しておいた村の東の岩場まで歩いた。


その日の海は穏やかだった。潮風はまるでこれから起こるであろう死闘を知らないようであった。彼らの心に新たな決意が巻き起こる。彼らは船に乗り込み、海魔の待つ神殿跡の海中洞窟へ向けて漕ぎ出した。


もはや後には引けなかった。…もう、潤窟の入り口は彼らの眼前にその真っ黒い口を開けて彼らの到来を待ち俺びているのだ。


…もうすぐ始まる。彼らへの生死を賭けた余りにも苛酷な試練が…

第二章 『眠れる青竜 そして試される者』へ...