失われた知識のルビー

第三章 甦る伝説恐怖の海魔

1

青竜の厳しい試練を幸くも乗り越えたテュロス達は、青竜が再び長い眠りについてしまった後、竜の棲み家で一晩休息を取り、疲れた心と体を少しでも癒すことにした。このとき、テュロスは『少しでも時問が惜しい!』と言って反対したが、その意見はこの戦いで満身創痍となったアレクゲルグに半ぱ力ずくで黙殺させられていた。

確かにここまでの戦いは余りにも無理をし過ぎていたと言えた。数多くの魔法を駆使する人魚姫、テテュスに率いられた人魚達との戦いで苦戦を強いられ傷付いていたにもかかわらず、一時の休息も取らずに彼らは洞窟の奥へ奥へと進んだことが、自分達の精神状態を更に窮地に追い込む結果になっていたことに彼らは気付けなかったのだから…。

青竜との戦いが終わったとき、テュロスはテテュスから『魔法の矢』を二発命中させられていた上に青竜の爪の攻撃を受けていたため肋骨を析り、左腕もその機能を矢いかけていた。ロスヴァイゼもテテュスとの戦いで魔法を浪費した上、青竜との戦いで微力ながら最大限まで魔法での助力を行ったため、既にその精神力は限界まで擦り減っていた。レルムに至ってはもっとひどかった。彼はその小さな体に許容でき得る体力を越えるくらいの動きを強要された上に休むことも許されなかったため、今の彼は立っていることがやっとの状態であった。アレクゲルグについては今更言うこともないだろう…。と、ここまでの戦いを乗り越えるまでに彼らはこれほどまで傷付いていたのである…。


テュロス達が眠りから覚めたとき、そこが余りにも暗かったため、一体いつが朝でいつが夜なのか全く区別がつかなかった。ただ、彼らには青竜との戦いが終わってから少なくとも半日はそこで過ごしていたことだけは分かっていた。――ちなみに一番早く起きたのはロスヴァイゼで、それからすぐにレルムが目を覚ました。しかし、テュロスとアレクゲルグの二人はいつまで待っても起きる気配すら見せなかった…。

「ほらあ。二人とも起きて!起きて!もう朝よ!…と言っても本当にそうかどうか分かんないけど…とにかく早く起きて!」

ロスヴァイゼは二人の耳元で大声を出して起こそうと努力した。初めのうちは二人とも生返事をするだけで一向に起きてはくれなかったのだが、次第にその努力が報われたのか、まずアレクゲルグが、次にまだ眠たそうな顔をしたテュロスが目を覚ましたのであった。

「…ったく、耳元でぎゃあぎゃあ喚くなよな…。やかましくてしょうがねえぜ…」

「ふ…ふあ〜あ。ほ…本当に俺達は竜に勝ったのか!?まさか全ては夢物語…って訳じやないだろうなあ!?」

テュロスはまだ寝ぼけ眼でぼーっとしていた。

「嘘じゃないわよ。彼は本当にあたし達のこと認めてくれたんだから。一昨日まで一番反対してた人が、これだもの…」

ロスヴァイゼばテュロスの仕草をおかしく思い、吹き出すのを必死で堪えながら言った。

「さて一晩ぐっすり眠ったことだし、そろそろ出発しようぜ!いつまでもこんなところでぐずぐすしてる訳にはいかねえんだからよ!」

アレクゲルグの号令の下、テュロス達は再びクラーケンのいる場所を目指して探索を続けることにした。ここから先へと進む道は昨日ロスヴァイゼが青竜から聞いていたため、それに従って進むことになった。さすがに休息を取っただけあって彼らの足取りは軽く、それが彼らの気持ちをも楽にしていた。


青竜の教えてくれた道は横幅も高さも大体十フィートくらいのかなり大きいなだらかな下り道だった。しかし、そこは足元さえ見えないほどの真っ暗闇で、歩くには松明の明かりを必要としていた。

「ねえテュロス…」

レルムが不安そうな顔で尋く。

「何だ?」

「この道、一体どこまで続いていると思う?」

「さあな…。俺にもよく分からない。ここはロスの言葉を信じるしかないんじゃないか?」

「やっぱり…」

レルムはこの暗闇に何とも言えない恐れを抱いているらしかった。

しぱらく歩いているとさすがにテュロスやアレクゲルグ、そして唯一青竜の言葉を理解し、彼から道を聞くことのできたロスヴァイゼでさえ、この真っ暗な道に不安を抱くようになった。そしてその感情が頂点に達したとき、堪え切れなくなったテュロスは…

「おい、ロス!ちょっと聞くが、本当にこの道で良いのか!?あの竜はこんな暗くて前もまともに見えないような道を俺達に教えたのか!?」

テュロスの怒りの抗議は暗閣の恐怖に怯えるロスヴァイゼを更に怯えさせた。そしてその抗議が数分おきに繰り返されたあげく、とうとうロスヴァイゼは震える声で…

「そ…そんなにあたしの言うことが信用できないの!?…あ…貴方って人は…。
 …そう、そうなの…。だったら自分の思うとおりの道を行けぱ良いじゃないの!いちいちあたしのことなんか構わないで好き勝手にすれぱ良いのよ!」

そう言い残すとロスヴァイゼは暗闇の中へ駆け出して行った…。

「ロスっ!…馬鹿野郎!おめえは一体何考えて生きてんだっ!?俺みてえな憎まれ役が言うならまだしもおめえがそんなこと言ったらあいつが傷付くのは当たり前じゃねえかっ!俺でさえ我慢してたことをよくもいけしゃあしゃあとぬかせたな!」

アレクゲルグはテュロスに拳を一発見舞った後、その勢いで彼を叱り付けた。殴られたテュロスはその反動で背中から壁に思い切りぷつかりゲホゲホと咳き込む。しかし、そのあと普段ならばお返しとぱかりに殴り掛かるテュロスも、今回はそうしなかった…。彼は自分に非があったことを認めていたのである。

「…早く行ってやれ。ああなったあいつを止められるのはお前だけだ…。自分が蒔いた種は自分で刈り取るしかないんだぜ」

アレクゲルグはまだ立ち上がっていないテュロスの肩に手をおき、そして彼を諭すように言った。

「ア…アレク!?」

テュロスが不思議がったのも仕方がないことだった。いつも自由奔放な行動をして他人に優しい言葉をかけたことのないアレクゲルグが自分を力いっぱい殴りつけた後とは言え、ほくそ笑みながらそう言ったのだから…。テュロスは何か彼に言おうとしたが、アレクゲルグはただ『早く行ってやれ』と言う顔をするだけだった。

…実際、アレクゲルグにとってロスヴァイゼが彼の忌み嫌うエルフである、と言うことはもはや関係無かった。アレクゲルグにとってのロスヴァイゼとは、九年間もの長い間世話をやかされた可愛い義妹というだけのことだった。そして、それは昔も今も全く変わりがなかったのである。確かに、彼には亜人間達を嫌う理由はある。しかし、それは家族には全く適応されない理由であった。更に彼には以前からテュロスが自分ではまだそうだとは意識していないがロスヴァイゼに魅かれていたことも分かっていた。だが、彼はそういうことが素直に喜べない性格だった。彼は現実に存在せず、夢物語としか思えないことに情熱を傾ける人間を見ると、からかわずにはいられない性だったのである。

そんな彼の心境をテュロスは知る由もなく、ただ単に彼はそれがアレクゲルグからの好意と受け取ってロスヴァイゼを追いかけることにした。しかし、それが困難なことだと彼が気付いたのは、追いかけ始めて少ししてからのことだった。

テュロスは初めロスヴァイゼが持っているだろう何らかの明かりを頼りに彼女を探そうとした。だが、よく考えてみるとロスヴァイゼは明かりなど持ってはいなかったのである。――ちなみに森の妖精であるエルフ、そして大地の妖精であるドワーフにはインフラビジョンという特殊な能力があり、真っ暗で何も見えないところでもその物体が持っている熱を感知して物を見ることができるのだが、そんなことをテュロスが知っている訳がなく、また、人間たちの通説ではそれは伝説の能力とされていたから、たとえそれを知っていたとしても彼はそうだとは思わなかったであろう。しかし、現実にロスヴァイゼは知らず知らずのうちにその能力を使って真っ暗な洞窟を泣きながら走っていたのであった。


暗い洞窟の中にテュロスの持つ松明の明かりだけがほのかに灯る…。彼がロスヴァイゼに追い付くまでには、まだ少しの時間を必要としていた…。

2

テュロスがアレクゲルグとレルムを残してロスヴァイゼを追いかけ始めたころ、彼女は無意識のうちに伝説の能力とされるインフラビジョンを駆使して真っ暗な洞窟を駆け抜けていた。そのときの彼女の青い瞳は涙で濡れ、黄金のように美しい長い金髪を振り乱しながら走っていた。

「…テュロスの馬鹿。なにもあそこまで言わなくても良いじゃない…。あたしだって不安だったのよ…。それを…」

さっきからロスヴァイゼは同じことばかりを口にしていた。そして曲り角のたびに何度も壁にぷつかりながら泣きわめいていた。

「きゃっ!?」

突然ロスヴァイゼは何かにぷつかった。それは冷たい感じがして彼女の目にも真っ青に映っていたが、それは岩壁ではなかった。感触は滑らかな金属であり、目に映る姿は人のようだった…。

『冒険者?でもどうして明かりを持ってないのかしら?』

彼女はそう思わずにはいられなかった。今の彼女の目には温度の高いものほど赤く、逆に低いものほど青く見えるはずだった。しかし、目の前にいる人間のようなものは赤く見えるようなものを何ひとつ持っていなかった。それぱかりかそれ自身でさえも彼女の目には青く映ったのである。普通、幾ら防御力の高い鎧を着ていても少なくとも目の部分と鐙のつなぎ目の部分はその人本人の熱が発散されて多少は赤く映っても良いはずである。だが、ここにいるものはそれが一箇所もなかった。まるで死人か屍体が立っているような印象を彼女に与えたのである。

「貴方は誰!?貴方もエルフなの?」

ロスヴァイゼは思わず目の前にいる人間のような者にそう尋ねた。しかし、返事はなかった…。

『おかしいわ…。何故この人は何も喋らないのかしら…?』

彼女がそう思ったとき、それは無言のまま剣を抜き、それを彼女に向かって振り降ろして来た!


ガキン!


その剣の切っ先は彼女の髪を掠め、壁にぶつかって火花を散らす…。そのとき、ロスヴァイゼはそれが誰であったのかを知った…。

それは全身を覆うように作られた漆黒の鐙を着込んだ黒騎士だった。鎧と同じく夜の闇のように黒い兜から覗く顔は、不気味な笑みを浮かべる自い仮面で覆われ、手に持っている大剣も鎧兜と同じく黒光りしていた。しかも、彼女はまだ気付いてはいなかったのであるが、その黒騎士は一人ではなく、その黒騎士に隠れるように数人の黒騎士がそこにいたのである…。

ロスヴァイゼは彼に全身をなめるような恐怖と戦慄を覚えずにはいられなかった。多分、今の剣撃はほんの挨拶代わりだったのだろう。顔が仮面で隠され、表情が全く読み取れないのがかえって恐怖を呼ぶ…。そしてその黒騎士がにじり寄って来たとき、彼女は恐怖の余り彼に自分が知り得る中で最も効果のありそうな呪文をぶつけようとした…。

「我が精神を源とする光よ!今こそその力を矢と化し、我が前の敵を貫け!」

ロスヴァイゼが短い呪文の詠唱を柊えた途端、彼女の前に一本の光の矢が発生する…。『魔法の矢』の呪文だった…。

「行けえっ!」

彼女が命じると矢は黒騎士目がけて一直線に飛んで行く。黒騎士は避ける間もなくその矢に貫かれた…筈だった。しかし、そのとき彼女はそこで驚くべきことを見ることになったのである…。


その黒騎士は確かに微動だにしなかった。だが、彼は魔法の矢が命中する寸前、事もあろうか手に持っていた大剣で矢を叩き落とした!

「う…嘘…でしょ!?」

ロスヴァイゼは目の前の現実が信じられなかった。『魔法の矢』は狙った獲物は絶対に逃がさない殺傷呪文である。そしてその矢自体はただの精神エネルギーの具現化に過ぎないため、叩き落とすなどという物理的な行為は全く無意味なはずだった。ちなみにテテュスにこれを使ったときは彼女が『魔法の盾』の呪文を唱えていたため通じなかったのである。

黒騎士はあくまで無言のまま彼女に近付いて来た…。初めはゆっくりと、しかし段々歩みを速くして行き、最後には駆け出して一気に間合を詰めて来た!

ロスヴァイゼはその余りに素早い行動に驚き、そのため一暖判断を遅らせてしまった。ロスヴァイゼが腰のレイピアに手をかけたとき、彼女の眼前には黒騎士の持つ彼女の体を凌ぐくらいに大きな大剣が迫っていた。彼女は横に避けようとしたが、僅かに間に合わず剣の切っ先が彼女の腕を掠めた。

「くっ…痛っ…」

ロスヴァイゼの腕から血が滴り落ちる。僅かに掠めただけのはずが、剣撃の衝撃波は相当な痛みを伴って彼女を傷つけていたのである。

黒光りする大剣はエルフの若い娘の血を吸って、更にその禍々しい輝きを増す。同じように全身から禍々しい気を放つ剣の持主たる黒騎士もまるで剣の意志が分かっているかのようにそれに同調する…。今まさにロスヴァイゼは蛇に呑まれる鼠の気分を嫌と言うほど味わわされていた…。


ロスヴァイゼが窮地に立たされているころ、テュロスは不意に妙な胸騒ぎを覚え、ロスヴァイゼを捜す足を自然に速めていた…。

「何だ…、この…妙な気分は!?まさかロスに何かが!」

それまで速足で歩いていたテュロスは、もう自分の気持ちを押え切れなくなって暗い洞窟の一本道を暗闇の恐怖を忘れて駆け出した。そうして数十フィートほど走ったころ、洞窟の向こうから何か金属が岩にぷつかる音とそれに交じって誰かの助けを呼ぷ声が微かに聞こえて来た。

「まさか…!?ロス!?」

テュロスは嫌な予感が現実のものかどうか確かめるため、その声のする方角へ急いだ…。


そのとき、ロスヴァイゼは今まさに黒騎士の禍々しい刃によって止めを刺されようとしていた…。彼女の目の前に立ち塞がる絶望の象徴のような黒い騎士…。それはまた無謀と無茶の結果がいかなものであるかを彼女に知らしめているかのようであった。そして、彼女はテュロスに一言『御免なさい』と言えなかったことを内心後梅しながらも、既に抗うことの無意味さを悟っていた。

黒騎士は無言のままその大剣を振りかざす…。そしてそれが彼女目がけて振り降ろされようとしたとき…


カキーン…


暗い滴窟の向こうから飛んで来た短剣が黒騎士の背中に当たる。黒騎士は剣を途中で止め短剣が飛んで来た方角へと振り向いた。その方角からはぼおっと何かが光っているのが見え、それは段々とここに近付いて来ていた…。そして今にも姿が見えようとしていたとき、それを持っていた者は明かりを脇に放り出し、気合の声を発して黒騎士に斬りかかった!不意を突かれた黒騎士は致命傷こそ受けなかったものの大剣を地面に落とし、右手を押えてうずくまった。

「テュロス!」

ロスヴァイゼは嬉しそうに叫んだ。

「ロス!大丈夫か?…何か嫌な予感がしてここに来たら案の定これだ。とにかくここは俺に任せろ!」

テュロスは『水龍の剣』を黒騎士に向けて構え、戦闘意欲に満ち溢れていることを誇示する。

うずくまっている黒騎士は相当の衝撃を受けたらしく全く動かなかった。テュロスは慎重に黒騎士との間合を詰める…。テュロスの顔に余裕の表情が見えたとき、ロスヴァイゼの叫び声が聞こえた。

「テュロス!後ろ!」

「何!?」


ザンッ!


「ぐわっ!」

「テュロス!」

そう、ロスヴァイゼだけでなくテュロスも気付いていなかったのだ。黒騎士は一人ではなかったことに…。彼は隠れていた黒騎士の一人に背中から袈裟斬りにされたのだった。幸い、ロスヴァイゼの早い指示で体を翻していた最中だったのと義父から貰った鎧のお陰で、その一撃は幸うじて致命傷にならずにすんだ。

「…ち…畜生…。まだ仲問がいたの…か…」

テュロスは傷を押えてうずくまった。ロスヴァイゼもテュロスの元に駆け寄る。そこで二人が目の辺りにしたものは、少なくとも十人はいる黒騎士の一団だった。戦慄が彼らを支配する…。彼らはここで逃れられない絶望感を感じずにはいられなかった…。白い仮面がテュロス達をあざ笑っているように見える。黒騎士の一団は一斉に剣を抜き、テュロス達を殺すべく、にじり寄って来た。

「俺達ももう最期だな…。思えば短い人生だったぜ…」

「何言ってるの!希望を捨てないで頑張りましょうよ!」

「…あのな、さっきまで諦めてた女の言うことか、それが!?」

「何ですって!?」

『フフフ…。トウトウ痴話喧嘩マデ始メタカ…。人間トハ何ト弱イ生キ物ナノダ…』

「お…おい、今の聞いたか?」

「ええ。確かにあたし達の頭に直接語りかけて来たような感じがしたわ…。でも、一体誰が…」

『私ダ。私ガオマエ達二語リカケタノダ…』

――それは確かにテュロス達の頭に直接語りかけて来た、目の前にいる真紅のマントを纏った黒騎士の隊長格からの言葉だった…。

普通一般に『伝心』の呪文は人間には使えない呪文に分類されているため、それを聞かされたテュロスとロスヴァイゼは彼らに新たな恐怖を覚えずにはいられなかった。 何故なら『伝心』の呪文はそれを逆手に使えば相手の考えを読み取る『読心』の呪文になり得たからである。ただ、『読心』の呪文であれぱ人間やエルフでも少しでも魔術を学べぱ使うことができるのだが、それを逆作用させることができないのである…。

「くそっ!俺の力だけならともかくロスの魔法まであいつらに負けるとはな…。もうどうしようもないぜ」

「初めからあたしに期待しないでって言ってたでしょ!?それを忘れてた方が悪いわよ。それにしても…」

『ソコカラ先ハ言ワズトモ分カル。私ノ正体ガ知リタイノデアロウ?ナラバ冥土ノ土産ニ教エテヤロウ。我ラハ我ガ主くらーけん様ニヨッテコノ世界ニ召喚サレタ、アノオ方ノ忠実ナ僕ナノダ…』

「な…何ですって!」

ロスヴァイゼはその言葉に驚きを隠し切れなかった。横にいるテュロスもほぱ同じ反応を示す。ただ、彼の場合はロスヴァイゼとは違い、自身の軽率さに加えて余りある単純さを梅やむということをしなかったのだが…。

『サア、オ喋リハココマデグ。ソロソロ…死ネ…』

真紅のマントを纏った黒騎士の命令で残りの黒騎士達は各が持つ大剣を抜いてテュロス達に止めを刺すべく迫って来る…。二人にはもはや助かる道は残されていない…かのようだった。

しかし、そのとき現れたのだ。…絶望の淵から二人を助けようとする者が…。

彼は突然現れた。テュロスが来た方角から白く輝く剣を持って…。彼はテュロス達が危機に陥っていることを察すると有無を言わせず黒騎士達を片っ端から叩っ斬る!突然の強敵の出現によって隊長を残して全減の憂き目を見た黒騎士達…。残された彼は漠然とその男が自分達が止めを刺そうとしていた二人の仲間だと知ると、一目散に洞窟の奥へと逃げて行った…。

剣についた黒騎士のどす黒い血を払い終わった後、彼はテュロス達に「怪我はないか?」と話しかけて来た。その声は春の風のように優しく、辺りの血生臭い雰囲気を忘れさせてくれるかのようであった。

ロスヴァイゼは返事をすることも忘れて彼のいでだちに見入っていた。その男は面頬のついた黄金の兜を被っているため顔は見えなかったが、声から察するところまだ二十代後半のように見え、面頬の隙間から見える地肌はテュロスと同じような色だった。彼の着ている黄金の鎧は見た者に安らぎを感じさせるような魔カが込められているらしく、普通の人には分からないが薄暗いランプの明かりでも真昼の太腸に照らされているかのような輝きを放っていた。先程数人の黒騎士を斬った剣は純銀で作られているかのような輝きを放っているものの、それにも何か大きな力が剣を包んでいるように彼女には思えた。それは純自のマントの下から見える彼の背中にくくり付けられている黄金の円形の楯にも感じることができた。

「いかがしたかな?ロスヴァイゼ君」

「えっ!?ど…どうしてあたし…いえ、私の名前をご存じで?」

ロスヴァイゼは初対面の男が自分の名を知っていたことに驚き、そして彼の言葉が全く聞こえないほど彼に見入ってしまっていた自分をとても恥ずかしく思ったため、声をかけられたとき思わず赤面してうつむいてしまった。

「ははは。話に聞いたよりもずっと内気な娘さんだ。…そっちにいるのがテュロス君かな?」

「は…はい。はじめまして…えーっと…」

「ああ、すまん。ついいつもの調子で兜を脱ぐのを忘れていた。今すぐに取るから安心してくれ。顔を見せずに話すのは礼儀に反することだし、何より君達もそのほうが安心して話をしてくれそうだ」

彼はそう言うと面頬を下げ、そしてゆっくりと兜を脱ぐ。兜を脱いだ後に現れたのは栗色の髪の浅黒く焼けた肌で、顔についている大きな頬傷が彼の端正な顔立ちを台なしにする反面、今までの戦闘経験を物語っているかのようであった。そしてテュロス達を見詰めるその青い瞳は海よりも深い色をたたえ、何か重大な使命を自らに課しているかのような雰囲気を漂わせていた。

「…改めて自己紹介させてもらう。私の名はギルガメッシュ。君達のことはここに来る途中にアレクゲルグという青年に聞いた。短い間だが君達と一緒に旅をさせてもらう。いいね?」

ギルガメッシュの言棄はテュロスとロスヴァイゼを驚かせた。十人の黒騎士を相手に一歩も引かなかった程の強さを持つ彼と共に旅ができるということよりアレクゲルグが自分達のことを彼に頼んだということが――特にロスヴァイゼにとって――余りにも意外だったためである。

「はじめまして。ギルガメッシュさん。貴方のような人と共に旅ができるなんて…なんて僕達は運が良いんだろう!」

テュロスはその喜びを隠し切れなかった。

「ギルガメッシュ…、どこかで聞いたような名前ね。それにその恰好…。一体どこで聞いたのかしら…?」

ロスヴァイゼは心を静めて記憶をたどる…。

「そんなことどうだっていいじゃないか!あの人が一緒に旅をしてくれることがどれだけ心強いか!」

「少し黙って!もうすぐ思い出しそうなんだから…」

そうこうしているうちにロスヴァイゼの頭にその答えがひらめいた。

「思い出したわ!貴方は…『巫女の予言』に載ってた六人の英椎の一人、黄金の騎士ギルガメッシュさんでしょ!?」

ロスヴァイゼの指摘にテュロスは驚き、そしてギルガメッシュは好感の持てる笑顔でこう答えた。

「ご名答。確かに私はかつてそう呼ぱれていたことがある…。遠い昔のことだがね…」

「でも、どうして数百年前の予言の書物に記された人がここにこうしていられるの?何故?」

「それを話すととても長くなる…。だからその話はまたいつかしてあげられるだろう。それより今はクラーケンを倒すほうが先決だ」

ギルガメッシュはもっともなことを言った。

「だけど、僕達だけで勝てるのだろうか…!?それにアレクとレルムを待たないと」

「その心配は要らない。アレクゲルグ君なら君のすぐ後ろにいる」

ギルガメッシュの言葉に驚いたテュロスが後ろを向くと、そこにはランプと松明の影に紛れるようにアレクゲルグが立っていた…。彼が身につけている『暗闇の鎧」のせいである。

「よっ。しぱらく見ねえうちにこてんぱんにやられたな…。そんなんでこれから大丈夫なのかよ!?」

アレクゲルグの口調は相変わらずだったが、今のテュロス達には彼に会うのが数年ぶりかのように思えた。

「今までどこにいたのよ!アレクのことだからあたしとテュロスのことなんかすっかり忘れてたんでしょ!?」

ロスヴァイゼは少し皮肉った調子で言った。

「下手な冗談なしだぜ!俺だって必死で戦ってたんだからよ!」

「へえ一っ。で、お相手は一体どこのどなた?」

「相変わらず、いや前にも増してきついお言葉だねえ。苦労したんだぜえ。たった二人で、しかも呪文の助けもなしに土くれ巨人を相手にするのはよ。もうちっとでヤバかっんだぜ!」

アレクゲルグは多少の脚色を付けてそのときの様子をロスヴァイゼに話す。しかし、その話をロスヴァイゼは半分も信用していなかったのだが…。

「彼の話は本当だ。実際あいつは戦士と盗賊では手に余る怪物だったからな。私が来なけれぱ絶対に殺されていたに違いない」

さすがにアレクゲルグのことに対してはうたぐり深いロスヴァイゼも、ギルガメッシュの付け加えがあれぱ納得せざるを得なかった。テュロスに至ってはギルガメッシュの出した助け舟が余りに絶妙のタイミングで出されたためにただ感服しているだけだった。

「…そうだ。アレク、レルムは一体どこにいる?」

一人足りないことに気付いたテュロスはアレクゲルグに尋いた。

「レルムなら村に帰ったぜ。ギルガメッシュさんの指示でな」

「一体どういうことですか?ギルガメッシュさん!?」

そう聞いたのはロスヴァイゼだった。

「そう、彼にはある人を呼びに行ってもらった。私が加わっても今のあいつに勝つことは少し難しいと判断したからな」

「ある人って…一体誰なんですか?」

「それは後のお楽しみとしよう。だけどロスヴァイゼ君、その人は君もよく知っている人のはずなんだが…。
 まあ、そのことはおいておいて先に進もう。クラーケンの根城はもう目と鼻の先にまで迫っている!」

そう言ってギルガメッシュは洞窟の向こうを指さす。そこからは不快な印象を受ける風――クラーケンの発する禍々しい瘴気――で通路が満たされ、不埒な侵入者が近付けないような仕掛が幾つも仕掛けられているに違いなかった…。ついにテュロス達は目的の場所にやって来たのである…。

3

レルムが抜けた代わりに黄金の騎士ギルガメッシュを加えたテュロス達一行は、黒騎士との戦いのあった場所から続く一本道を進んで行く…。進むたびに洞窟の壁は彼らに警告を発するかのように震え、辺りを覆う禍々しい瘴気も、その濃さを増しているようであった…。更に途中には幾つかの仕掛があったものの、それらはギルガメッシュの機転とアレクゲルグの腕前を遺憾なく発揮したことで何とか切り抜けて行った。

「…よく頑張ったな。クラーケンの玄室はもう目の前だ」

そう言ってギルガメッシュは洞窟の向こうを指さした。まだ少し遠くて松明もランプもそこまで照らし出せないが、確かに突き当たりの前にまで来ていることだけはテュロス達にも分かった。

「やっとここまでたどり着いた…。一体ここに来るまでにどれだけ死ぬような思いをしたことか…。
 だけど、それももうすぐ終わりだ。…ここからは今まで以上に慎重に進もう。せっかくここまで来て力尽きたんじゃ洒落にもならないからな…」

誰もテュロスの言葉には反対しなかった。特にギルガメッシュは出会ってからずっと「これからは今まで以上に気を引き締めてかかれ」と言っていたから、それは言うまでもないことだと言わんぱかりだった。

テュロス達が玄室の前にたどり着いたとき、そこにはさっきギルガメッシュによってほぼ全減させられた黒騎士の生き残りがたった一人で待ち構えていた。どうやら彼は逃げ帰った際、主であるクラーケンからこっぴどいお仕置きを受けたらしく、真っ白い仮面はぼろぼろにされ今にも剥がれ落ちそうになっていた。

『貴様ラノオ陰デ私ノ面自ハ丸潰レダ!サッキハ不覚ヲ取ッタガ、今度ハソウ簡単ニハイカン。オマエラノ首ヲくらーけん様ニ差シ出シ、モウー度元ノ地位ニ返り咲イテヤル』

「この後、止めておけぱ良かったと後悔することになるのがまだ分からんようだな。今度は二度とそんな口が聞けないようにしてやる!」

『デキルカナ…!?オマエガ幾ラ強クトモ克服デキナイコトガアルトイウコトヲ私ガ知ラヌトデモ思ッタカ!』

「何だと!?どういう意味だ!?」

『コウイウコトダ。思イ知ルガ良イ…。我ラノ主ニ逆ラウコトノ愚カサヲ!』

黒騎士はそうテュロス達の心に語りかけるが早いか自分の顔を覆っていた仮面を外し、その顔をギルガメッシュに見せる…。

「お…お前は…。そ…そんな馬鹿なことが…」

ギルガメッシュは動揺を隠し切れなかった。その様子を不思議に思ったテュロス達も彼のそばに集まりその顔を覗く。すると、仮面の下には長い茶色の髪に深い湖の底のような色を湛えた黒い確をもつ絶世の美女の顔があった…。

『フフフ…。斬レマイ。オ前ノコトナドトウノ昔二知ッテオッタワ!何ナラソコデ不思議ナ顔ヲシテイル三人ニモ教エテヤロウカ!?コノ女トオ前トノ関係ヲナ!』

黒騎士はギルガメッシュを嘲るように不気味な笑みを浮かべた。

「ええいっ!世迷い事を!あいつは…あいつは確かに三百年前に死んだんだ!」

ギルガメッシュは黒騎士の喉笛に剣を突き立てようとする…が、そのまま喉笛を掻き切ることはできなかった。

「どうした!一体あの女はあんたにとって何なんだ!」

アレクゲルグがいらだちを押え切れなくなって叫ぷ。ギルガメッシュのすぐ横にいたテュロスも剣を抜いて彼に加勢しようとしたがそれは「要らぬ世話」だと彼に制された。

『フフフ。本当ニ人間トハ弱イ。貧弱ダ!大昔ノ幻影ニ未ダニ囚ワレテオルノダカラナ!てゅろすトカ言ックナ。オ前ニ良イコトヲ教エテヤル。コノ女ハカツテノぎるがめっしゅノ恋人。ア奴ガ自ラソノ手ニカケタ哀レナ女ナノダ。…分カッタデアロウ!?ア奴ニコノ女ガ斬レヌ訳ガ…』

黒騎士はテュロスの意志に直接そう語りかけた。

「本当ですか?あの女を貴方がその手にかけたというのは!?…嘘でしょう?嘘だって言って下さいよ!」

テュロスの問いかけにギルガメッシュは何も答えなかった…いや、何も答えられなかった。しかし、彼は事態を収拾するため、その重い口をゆっくりと開けた…。

「そうだ…。彼女の名はカイ。私が訳あってこの手にかけた…いや、かけざるを得なかった…」

彼はここまで言った後、黒騎士を睨みつけ、そして…

「そう!全て元凶はこいつの主クラーケンなのだ!あいつさえカイに取り憑かなければ…こんな悲劇を招かなかったのだ!
 あのまま放っておけば遅からず世界を破滅に導いた筈。それだけは何としてでも阻止しなけれぱならなかったのだ!」

彼は僧しみを込めて言い切った。


『ならぱ今すぐその決着をつけよう。ギルガメッシュ!』

その声は意識となってその場に居合わせた者全ての心に流れ込んだ。物凄い威圧感と邪悪な心を一つにしたような声…。その声を聴いた瞬間、ギルガメッシュは剣を握り直し、新たな強敵の出現に備えた!

「やっと現れたな!クラーケン!三百年前の恨み、今こそ晴らさせてもらう!」

『我にたてつく愚か者どもよ!消え去るが良い!』

クラーケンの叫びと共に玄室の壁を破って太さ十フィート弱の灼け付くような光線が洞窟を駆け抜けた。テュロス達とギルガメッシュは辛うじてそれをかわしたものの、玄室の壁に寄り添うように立っていた黒騎士はものの見事に焼き尽くされてしまった。

「こ…これってもしかして『雷撃』!?それとも『魔法の矢』!?こんなに凄い魔法が使えるなんて…。ここまで凄いとは思っても見なかったわ…」

ロスヴァイゼはとてつもない力量の差をまざまざと見せつけられたため、もうどうして良いのか分からなくなっていた。

「さすがに凄え…。凄すぎる!俺達はこんな奴を敵に回しちまったのかよ…!?」

アレクゲルグは体の震えを止めようとしたが、それはできなかった…。相手の巨大な力に呑まれていたのである。


今、テュロス達は今までの敵とは比べものにならないほど強大な敵と対峙することになった…。


「果たして俺達に勝機はあるのか!?」


この言葉だけが彼らの心に同時に浮かぶ…。しかし、ここまで来た以上もはや引き返すことは不可能なのである…。

第四章 『壊れた唇歯輔車』へ...